第20話「父さんと離婚するわ」
カフェでモーニングを食べて、駅ビルをちょっと散策しているとあっという間に昼になった。見たことある景色ばかりなんだけど、女の子になってからだと何もかも新鮮に見える。ボクには関係ないと思って、無関心だった女の子の服のお店や化粧品のお店がこんなにたくさんあったんだって驚いた。
でも、今日の目的は買い物じゃないので、母と待ち合わせている駅前へ向かった。人混みの中であっさり合流した母の表情は案外明るかった。もしかしたら、事態はそれほど深刻ではないのかもしれない。
そのまますぐに個室のある日本料理のお店に入った。
「お父さん、どんな様子だった?」
席に着くと我慢できずにストレートに聞いた。
「いつも通りよ。あまり心配することないと思う」
「なんで急に帰って来たの?」
気になることが多すぎて質問攻めになってしまいそうだ。落ち着かなきゃ、って思いながらも不安な気持ちが押し寄せてくる。
「半分は休暇で、半分は仕事らしいわ。急遽日本の本社に行かなきゃいけなくなって、そのついで一週間休暇をもらったってことらしいよ。タイミングがあまりにも良すぎるけど、偶然だったみたいね」
ただの偶然であればそんなに心配することはなさそうだ。でも、なんとか一週間を乗り切る方法を考える必要がある。
「じゃ、何か怪しまれてるわけじゃないんだね」
「多分、それは大丈夫。凜が学校の合宿に行ってるって言ってもほとんど反応なかったしね」
「それはいいけど、明日にはボクが帰ってくることになってるんだよね?」
二日稼げたけど、あと五日も誤魔化さなきゃいけない。
「それもうやむやにするアイデアがあるの。安心して」
母はなんだかとても落ち着いていた。
「どんなアイデアなの?」
「私、父さんと離婚するわ」
あまりの急展開に頭が追いつかなくなってしまいそうだ。
「待って!ちょっと意味がわからないんだけど」
「正直、前から離婚は何度も考えたことがあるわ。凜には悟られないようにしてたけどね。あの人のガンコさとか身勝手さに付き合うのに疲れちゃってね」
母は笑顔だったけど、少し投げやりな表情をしていた。そのまま続ける。
「あの人が五年間海外赴任することになって、正直嬉しかった。当面はこの生活から解放されるんだ、って思っただけでもワクワクした。逆にね、昨日、たった一週間だけなのに帰って来るって聞いた時は凄く心が重くなったわ」
ボクが知らなかっただけで、母はいろんなものを抱えていたらしい。ボクが見ている前でも当たり前に怒鳴ることもあった。ネチネチと嫌味を言うこともあった。多分、ボクがいないところではもっと酷かったんだろう。
「そっか。何も知らなくてごめんね」
「凜は知らなくていいのよ。子供が聞いて良い話じゃない。これを利用するの。」
「どういうこと?」
「私は今日、あの人に離婚を切り出す。あの人は絶対に拒否するわ。間違いなく揉める。愛情があるからじゃなくて、世間体的に離婚はしたくないはずだから。そんな様子を凜に見せるわけにはいかないでしょ?もちろん、話は1日で片付くようなものじゃない。今は話せないけど、すごく複雑な事情もあるの。残りの5日を全部使っても足りないくらいよ」
「だから、話し合いが終わるまで凜ちゃんをどこかで預かってもらってることにする、ってことですか?」
急にユミ姉ちゃんが入って来たせいで、複雑な事情について訊くタイミングを失ってしまった。
「そう。だから、またユミちゃんに協力して欲しいの。私の実家に預けてもいいんだけど、お爺ちゃんもお婆ちゃんも何も知らないから……今は説明してる時間はないし」
「それは全然大丈夫ですよ。普段からほとんど毎日一緒にいますし」
結局、ユミ姉ちゃんの家に匿って貰うっていう一番シンプルなプランになりそうだ。
「いや、ちょっと距離が近すぎて鉢合わせのリスクがあるわ。少しでも離れたところに行った方がいいと思うの」
「どこに行けばいいの?思い当たる場所なんてないんだけど」
「せっかくだから温泉旅館を予約しといたから、そこに泊まりなさい。ちゃんと未成年者だけで問題なく宿泊できるようにも手配してる」
思いがけない言葉に驚いた。この一週間どうやって誤魔化そうかって悩んでいたのになぜか温泉旅行に行くことになってしまいそうだ。普通の状況だったら嬉しいんだけど、今はあの父と向き合わなきゃいけない母が心配だ。
「ママは大丈夫なの?」
「私は大丈夫よ。いつかこんな日が来るのはわかってたんだから。もちろん、離婚しても親権は絶対に私が取るから安心してね。それとも凜ちゃんは父さんと一緒にいたい?」
「絶対ママと一緒がいい!」
「その言葉だけで頑張れるよ。ママは絶対に凜ちゃんを守ってあげるから安心して」
ユミ姉ちゃんにも母にも守られてばかりだ。自分がまだまだ子供で自分では何も出来ないことを思い知らされる。ボクがこんなことにならなければ、今のタイミングで無理に離婚しなくてよかったのかもしれない。そう考えたらボクのせいだ。
問題が解決しようとしているのに、ボクの気持ちは暗く沈んでいた。こんな大事になるなんて想像もしていなかった。
でも、父が、母が、我が家が抱えているもっととんでもない秘密をボクは後に知ることになる。
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