第15話「こんなボクにしたのはユミ姉ちゃんでしょ」

 本来なら大切な日だったはずなのに、ボクはほとんど何も覚えていない。というより、なんだかフワフワした感覚で空港を発って、帰って来るまで一瞬の出来事だったような気がする。実際には十時間近い大手術を受けて、二週間も入院していたのに、ほとんど何も覚えていなかった。

 手術中は麻酔でずっと寝ていたし、母とユミ姉ちゃんの話によると、ボクは痛みが酷かったので、痛み止めの点滴を打ちながらずっとウトウトしている状態だったらしい。だから現実感がないのかもしれない。でも、手術を受けたことは確かだ。まだ少し痛むし、まだ傷は残っていて、状態はよく分からないのだけど確かに女の子になっていた。

 帰国前とはまるで違うボクになっている。見えない部分だけど、変わっていた。取り返しが付かないことをしてしまったような罪悪感があったことは覚えている。


 帰国すると、もう8月の半ばになっていた。ボクはもう当たり前のように女の子の服を着ていた。髪型だって、出発する前にユミ姉ちゃんに連れて行ってもらった美容室ではぱっつん前髪にしてもらった。もう、男の子のふりをする必要がないから、思いっきりかわいくしたかったんだ。お気に入りのノースリーブのワンピース。これを着て帰国するって決めてたんだ。


 朝、空港に着くと母はすぐに仕事に行ってしまった。仕事人間の母が2週間以上も休んで傍に居てくれた。その代わり、これからは前以上に忙しくなるみたい。ボクはユミ姉ちゃんとゆっくり帰ることにした。


「せっかくだし寄り道しよっか」

 ユミ姉ちゃんもずっと傍にいてくれた。よく覚えていないんだけど、きっと母と彼女がいてくれたからこうして女の子になって日本に帰ってくることができたんだ。

「でもこのキャリーバッグ邪魔だなぁ」

 お揃いのオレンジのキャリーバッグ。そんなに重いわけじゃないんだけど、やっぱり邪魔になる。

「それに、まだ凜ちゃん術後だし家でゆっくり休んだ方がいいかもしれないね」

「ありがと。2週間、ずっと寝てたんだけどね。なんか身体が鈍っちゃったのかも。ちょっと歩いただけで疲れちゃう」

 実際に、飛行機から降りて、荷物を受け取ってから空港直結の駅まで15分くらい歩いただけなのに疲労感が凄い。

「それに、外暑そうだし、真っ直ぐ帰ろっか」


 ラッシュの時間は過ぎているので電車は空いていた。シートに座ったらほっとする。

「やっと座れたぁ」

「距離はたいしたことないけど、荷物待ち長かったもんね。空いててよかったよ」

 二人でほぼ同時にため息を吐く。

「凜ちゃん、たった一年でこんなにかわいくなっちゃったね」

 耳元でいきなり囁くものだから、思わずゾクっとして身を震わせてしまった。

「ユミ姉ちゃんがそうしたんでしょ」

「私は、凜ちゃんの手伝いをしてあげただけだよ。決心して、がんばったのは凜ちゃんだから」

 一年前のボクが今のボクを見たらどう思うだろう。驚くのは間違いないんだけど、女の子になるって宣言できるだろうか。こんなに変わってしまうなんて思ってなかった。去年の今頃は形だけだけど、男の子としてユミ姉ちゃんとエッチしてたんだ。それなのに今は……私が男の子を受け入れることができる身体になった。不思議な感覚だ。記憶としては残っているんだけど、男の子だった頃の記憶が霞がかったようで薄れている。今のボクとあまりにも違うから、記憶を自分で修正しようとしているのかもしれない。ボクは最初から女の子だったような気がする。


「まだ夏休み半分くらい残ってるね」

「凜ちゃんはもう学校には戻らないんでしょ?いいなぁ。中学生になるまでめっちゃ長い夏休みじゃん」

「一応フリースクールには行くつもりだよ」

「じゃ、凜ちゃんも残り少ない夏休みってことか。だったら思いっきり遊ぼうよ!去年はずっと私の部屋だったけど、今年は一杯遊びに行けるじゃん!夏祭りとかよくない?花火とかも見たいし!海は……まだ無理かぁ。凜ちゃんの水着姿は来年までお預けだね」

 ユミ姉ちゃんはいつも以上にはしゃいでいた。そんな姿を見ていると、私も楽しくなってきた。

「お祭りいいね!浴衣とか着てみたい」

 浴衣姿の自分を想像した。どんな色が似合うだろう。

「あと、今度こそ買い物行こうよ!まだ全然服足りないでしょ?これから秋モノもどんどん出てくるしさ。お姉さんが買ってあげよう」

「やった!楽しみ」

 私も自然と一緒にはしゃいでしまう。これが女の子同士の会話なのかな、なんて思った。それがとても楽しい。男の子のボクじゃこんな会話はできなかった。

 ガールズトークを楽しんでいると、あっという間に最寄り駅についてしまった。


 ホームに降りても人はまばらだ。そんな中、ボク達のキャリーバッグがやたら派手で目立っている。人から見れば夏休みの旅行から帰ってきた友達に見えるんだろうか。それとも姉妹?多分、恋人だなんて誰も思わないだろう。ボクはちょっと大胆な気分になって、ユミ姉ちゃんの手を掴んだ。外で手を繋ぐのははじめてだ。ユミ姉ちゃんもそれを拒否しなかった。

「凜ちゃん、最近どんどん大胆になってくよね」

 また耳元で囁いてくる。私は最近、乳首と同じくらいに耳も弱い。彼女はそれを知っていて意地悪をするんだ。

「こんなボクにしたのはユミ姉ちゃんでしょ」

 そう。ボクをこんな風に変えてしまったのはユミ姉ちゃんだ。ボクは自分の意思だと思い込んでいたけど、実際にはそこに選択肢なんてなかった。ボクは自分の未来を奪われていたことに気付いてもいなかった。いや、もしかしたら気付こうとしていなかったのかもしれない。


 ユミ姉ちゃんは歪んでる。そして、ボクも歪んでしまった。それなのに、ボク達は幸せな笑顔を浮かべて手を繋いで歩く。

 駅舎から外に出ると日差しが眩しかった。それをボクは明るい未来だと思い込んでしまったんだ。

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