第14話「女の子に言わせる気?」

 夏休み前の最後の登校日がやってきた。その日はあいにくの雨だった。ヒナと会える最後の日なのに。終業式が終わって、静かな教室で二人きり。いつもと同じ光景だった。

「夏休み、毎日会ってくれるって約束、覚えてる?」

「ごめん。その約束、守れなくなっちゃったんだ」

 正直に伝える。ヒナに惹かれている自分に別れを告げなきゃいけない。これからいなくなってしまう男の子のボクを探し続けてしまわないように。

「君は嘘つきなんだね」

 ボクは最初から嘘つきだった。

「夏休みさ、父さんのとこに行くことになっちゃったんだ」

 ボクは彼女の目を真っ直ぐに見ながら嘘をついた。お別れの本当の理由なんてとても言えないから。せめて、ボクは彼女の中で少しでもきれいな思い出でいたかった。自分勝手だ。でも、それはヒナにとってもいいことだと思う。

 彼女はきっと、これからもっと素敵な男の子と出会える。ボクとのごっこ遊びじゃない、本当の恋愛を知ることになるんだ。

「あ、お父さんって外国で働いてるんだっけ。じゃ、仕方ないか」

 ヒナはあっさりボクの言葉を受け入れてくれたけど、複雑な表情だった。

「ごめん。ヒナとの夏休み、楽しみだったんだけど」

「それにしてはあれからずっと、夏休みの話題避けてなかった?」

 ヒナはすこし意地悪な顔をつくっておどけたように言う。

「だって、ヒナが海の話ばっかりするから……ボクは海苦手だって言ったじゃん」

「せっかく水着買ったのにな。君を誘惑しようと思ってたのに」

 言いながら彼女は密着してきた。そして、胸を強調するように押し付けてくる。

「もう、誘惑されてるんだけどな」

 ヒナはもっときつく身体密着させて、そのままボクを抱くような姿勢になる。

「じゃ、自由にしてもいいよ」

「自由って何だよ」

「女の子に言わせる気?」

 ヒナは甘えるように、何かを欲しがっているような切ない顔をしていた。ボクも、切なくなった。正直、興奮していたと思う。久しぶりにボクに残された男の部分が疼くような感覚があって、少しだけ大きくなってきたのがわかった。忘れかけていた感覚。同時に、ユミ姉ちゃんと交わることができなかったあの瞬間の情けなさも思い出す。

「ここ、学校なんだけど」

 これ以上密着してたらいけない。ボクもまた、彼女から離れたくなくなる。ヒナに出会ってから、ボクはずっと迷ってばかりだ。

「そうだね。ごめん。夏休みに君に会えないって思ったら寂しくなっちゃってさ……この夏休みの間に、もしかしたら、そういうことしちゃうかもなんて期待してたりさ」

 彼女は露骨に残念そうな顔を作りながら身体を離した。その瞬間、強く女の子の匂いを感じて、何かがせり上がって来て、最後の時を迎える感覚があった。頭の中が真っ白になりそうな感じ。ユミ姉ちゃんとの時とは何か違った快感だ。それを悟られたくなくて、すぐに言葉を探した。

「ボクも今、期待しちゃったかも」

「なんか口にすると恥ずかしくなっちゃうね」

 本当に彼女の顔は真っ赤だった。ボクの顔も、多分赤かったと思う。恥ずかしかったけど、ドキドキした。

「なんか、ごめん」

「何謝ってんの?ま、いっか。続きは夏休みが終わってからだね。浮気しちゃだめだよ」

 彼女はそういって最後に素早くボクの唇にキスをして、そのまま走り出した。

 ボクはぼんやりとしたままだ。でも、男の最後の感覚。でももう、二度とこんな感覚を味わうことはなかった。


 夏休みが終わってもボクはもうこの学校に戻るつもりはなかった。もう、最後の半年は学校には通わず、フリースクールに行くことにしたのだ。手術までしてしまったら、トイレなんかの問題もある。身体の変化も前より早くなっているので体育の授業なんかでも誤魔化すのが難しくなってくる。実際に、1日中ナベシャツで胸を押し付けているのは窮屈だった。

 だからと言って、堂々と女の子の姿で登校することもできない。だから、母とも話し合って、中学に進学するまでフリースクールに女の子として通うことにしたのだ。本格的に女子中学生生活が始まる前に、慣れておきたいという気持ちもあった。


 ヒナと最後に会った日の夜、なんとなく気まずくてユミ姉ちゃんの家には行かなかった。自分の部屋で昼間のことを思い返す。思わず股間に手を伸ばした。あの時、確かに反応していた。でも、今は全然反応しない。もともと大きくはなかったけど、かなり小さくなった。普段はトランクスやボクサーパンツを履いてるけど、女の子の小さめのショーツにも収まってしまいそうなくらいだ。もっとも、2週間後にはなくなってるんだけど。


 ヒナが最後に発した女の子の匂い。噎せ返りそうなくらいに強くて、女性という性を感じた。ボクもいつかあんな性を発する日がくるんだろうか。ボクは知ってるつもりだったけど、性についてあまりにも何も知らない。最後の最後になって、ボクは本当に女性を求める男性という性を少しだけ知った。これも、多分知ったフリなんだと思う。

 だって、ボクはとっくに性を喪っていたんだから。


 出発は明後日だ。結局、ネット通販で買ったオレンジ色のキャリーバッグにたくさんの荷物を詰めて出かける。その前に、ゴミ捨てだ。男物の服や下着は全部ゴミ袋に詰め込んだ。帰って来たら、もういらないものだから。最後に、今日履いていた男の印が残ったままのボクサーパンツもゴミ袋の中に放り投げて、きつく口を結んだ。悲しくないのに、涙が零れて驚いた。


 ユミ姉ちゃんに女の子になると宣言した日、それからわずか一年間でこんなにいろんなものを捨てることになるなんて思ってもいなかった。

 でも、いいんだ。これからは捨てるんじゃなくて手に入れに行くんだ。新しいボクで。

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