第9話「あの子はどう思うかな?」

「何その反応。冗談だよ。真に受けないでよ」

 冗談にしても面白くないし、ボクには刺さりすぎた。でもボクは平然を装う。

「冗談って。全然面白くないんだけど」

 軽い口調で言ったけど、少しだけ声が震えていたかもしれない。

「でも、君女の子みたいにきれいな顔してるからさ。いい匂いするし。羨ましいくらいだよ」

 言いながらヒナはボクの首のあたりを小さめなのに高さがあってきれいな鼻を近づけてきた。そして言葉を続ける。

「そんなところも含めて全部君のことが好き」

 またキスをした。ボクは流されやすい。ユミ姉ちゃんに流されて女の子になろうとしてるのに、ヒナに流されて男の子であろうとしている。

「ボクも君のことが好きだよ」

 また言ってしまった。ダメなのに。この夏休み、ボクは完全に男の子を捨ててしまうのに。

「嬉しい。夏休みがもっと楽しみになったよ」

 ボクは楽しみというより、彼女を騙していることへの罪悪感で一杯だった。それなのに彼女とキスをすると、声を聞くと気持ちが抑えられなくなってしまう。彼女のことが好きだとはっきり自覚していた。だからってどうしようもない。もう、何も変わらないんだから。

 嬉しそうに笑う彼女を見て、胸が苦しくなった。窒息しそうだ。



 ヒナの告白を受け入れた日の夜もまたユミ姉ちゃんの部屋にいた。女の子の姿で。

「女の匂いがするなぁ」

「前も言ってたでしょ」

「凜ちゃんじゃなくて、別の女の匂い」

 ドキッとした。でもユミ姉ちゃんがヒナのことを知ってるわけがない。

「どういうこと?」

「女は敏感なんだよ。男の子のフリをして女の子と遊んでるんでしょ?」

「なんで知ってるの?」

 バレてるんならしょうがない。ボクはどこか開き直っていた。彼女を相手にシラを切ったとしても意味がない。それよりもどうして知っているのかが気になった。

「秘密。っていうかカマかけただけだよ。今日、ちょっといつもと雰囲気が違ったからさ」

「怒ってる?」

「別に。どんな子だか知らないけど、その子は男の子の凜ちゃんが好きなんでしょ?だったら、もうすぐ興味失うよ」

 部屋にある大きな姿見に写った自分の姿を見た。ノースリーブのワンピースに包まれた身体は女の子にしか見えなかった。確かにこんな姿を見たらヒナはボクを好きだなんて言わない。

「そうだよね」

 ボクの言葉を遮るように強引にキスをされた。そして、そのままベッドに押し倒される。

「でも、浮気は浮気だからお仕置きはしないとね」

 彼女は慣れた手つきでボクを脱がせる。ブラを外して白く、成長中の胸が露わになると少し乱暴に触られた。ボクは思わず身をよじる。すると、すぐに優しくなる。全身を走る切なさに思わず声をあげてしまった。

「こんな風に気持ちよくなっちゃって、感じちゃってエッチな声出しちゃう凜ちゃんを見たら、あの子はどう思うかな?」

 ボクは切なさで声を出せなかった。

「その子は本当の凜ちゃんを知らないから一緒にいてくれるだけなんだよ」

 そんなの知ってる。ボクが全てをさらけ出したら二度と口もきいてくれないだろう。当たり前だ。ずっと騙し続けてきたんだから。キスまでしたのに。

「本当の凜ちゃんを受け入れることができるのは私だけ」

 ユミ姉ちゃんは優しくキスをして抱きしめてくれた。また涙が出てきた。この時期のボクはかなり情緒が不安定だった。そして、それから長く苦しむようになる。ホルモン治療の副作用の中でも特に厄介なのが、このメンタルへの影響だ。ボクの場合、始めた年齢があまりにも早く、男性としての成長が始まる前だったこともあって、身体への副作用はほとんど感じなかった。でも、その分だけ精神的には大きなダメージを受けていた。

 この1年、あまりにもいろんな事があったから、少し心が不安定になっているだけ……自分にそう言い聞かせていたけど、多分心は悲鳴をあげていた。

 だから、ユミ姉ちゃんに甘えたかった。これは依存だ。多分、これは全部彼女が仕組んだことだったんだけど、ボクはもはや離れることができなかった。

「泣いてもいいよ。大丈夫だから」

 彼女の優しい声を聞きながら、自分にも言い聞かせる。ボクは大丈夫。


 次の日、ボクは学校を休んだ。ヒナに会わせる顔がなかった。母には風邪をひいたと嘘をついて部屋に引きこもった。部屋で一人でいるといろんなことを考えてしまう。ボクどうしてこんなことになっているんだろう。何度考えてもわからない。もし、ユミ姉ちゃんに出会わなかったら?いや、出会っていてもボクが彼女の家ばかりに入り浸るのではなくて、普通に友達を作って暗くなるまで外で遊んでいればよかったのかもしれない。そうすれば今みたいな距離感の関係にはならなかったはずだ。普通の男の子と同じように過ごせばよかった。

 そう考えると最初から普通の男の子ではなかったのかもしれない。基本的に外に出るのが嫌いで、部屋でできる遊びが好きだった。外でサッカーや野球をするのではなく部屋で本を読んでいる方が好きだった。

 だから放課後は遊びに行きたいなんて考えず、親に言われるままにユミ姉ちゃんに預けられていた。それが心地よかった。自分の部屋よりもユミ姉ちゃんの部屋の方が落ち着いた。女の子の部屋の方が落ち着いた。

 そう考えると、ボクは最初から男の子じゃなかったのかもしれない。だったらこの選択は間違いなんかじゃない。そうだ。これは正しいことなんだ。


 そんな事を考えているといきなりユミ姉ちゃんが部屋に入ってきた。

「なんで?」

「凜ちゃんが風邪ひいたって言うからお見舞い」

 そういえば、前からボクが学校を休むとユミ姉ちゃんがよくボクの部屋にやって来ていた。

「学校は?」

「サボった」

 その割には高校の制服を着ている。彼女はずかずかとボクの部屋に入ってきて、いきなりおでこに触れる。

「熱ないじゃん!あ、凜ちゃんもサボりでしょ?」

「たまにはいいじゃん」

「だったら着替えなよ。いいもの持ってきたから」

 いつの間にか部屋に持ち込まれていた大きめの紙袋。その中からどこかの学校の制服を取り出した。もちろん、女の子のものだ。ボクが進学する予定の学校ではない。

「凜ちゃん、来年から女子中学生になれることになったよ」

 言ってることの意味がわからなくて、ボクは絶句した。

「女の子として学校に通えるの!もう、隠さなくて大丈夫なんだよ!」

 ユミ姉ちゃんが言ってるんだから、きっとそうなるんだろう。白いシャツの首元に赤いリボン。チェックのスカートをはいて学校に通う自分の姿を想像した。驚くくらいにそれは自然で、違和感がなかった。


 ヒナごめん。ボクは学ランどころか、スカートを履いて中学生になるみたい。

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