第8話「君、もしかして女の子なの?」
恐れていた夏が来たけど、拍子抜けした。ナベシャツと大きめのTシャツを組み合わせれば胸はそれほど目立たない。親公認になったお陰で、家でも入念に準備できるのも大きくて、完全に普通の男の子を演じることができていた。幸い、ボクの学校にはプールがないので水泳の授業もない。体育の着替えもうまく誤魔化せた。友達がいないボクのことなんて誰も見ていないんだから気付かれるわけもない。
このまま小学校の間は無事に過ごせるだろう。でも、そろそろ中学生になってからのことを考えなければならない時期だった。
難しい問題だった。LGBTへの理解が進んでいるとは言ってもそれはあくまで大人の話。これからボクの身体がもっと変化するのは明らかだ。それなのに、戸籍上、そして男性器があるという点でボクは明らかな男だ。戸籍上の性別変更は現時点ではほぼ不可能。そうなれば、学校には男子生徒として通うことになる。女の子にしか見えない男子生徒の存在は確実に浮いた存在になるだろう。
解決すべきことは山積みだけど、目の前に差し迫った問題もあった。ヒナとの関係だ。相変わらずに学校ではいつも一緒に過ごしながら、告白の答えは保留のままだ。はっきり言って、断るべきだろう。ボクは女の子になると決めたんだし、ユミ姉ちゃんという恋人だっている。でも、踏み切れない部分があった。男としてのボクを好きになってくれた可愛い女の子。ほんの数ヶ月だけど、彼女と一緒に過ごす時間は幸せだったし、支えでもあった。でも、ボクは彼女に嘘をつき続けていた。本当のボクを知ったらきっと彼女の恋心なんて消えてしまうだろう。身勝手だとは思うけど、それが怖かった。
彼女とのお別れは、本当の男の子のボクとのお別れだ。
何度もお別れをしたし、決心をしてきたのに、ボクの心の男の部分はガンコだ。
ヒナに突然キスされた。ボクは抵抗しない。卑怯だから相手の好ましいアクションはそのまま受け入れる。彼女はボクにキスした後、すぐに弾かれたように離れてしまう。でも、そうされなければきっとボクは抱きしめてしまう。
「君がキスを拒まない限り、ずっと期待してしまうよ」
拒まなければと思いながら、ボクの身体は動かない。
「ボクも君のことが大好きだよ」
拒むどころか、そんなことを口走ってしまった。多分、これは本当の気持ちなんだと思う。ユミ姉ちゃんがいなければ……一瞬だけ頭に過った。でも、それは本当に一瞬のことで、すぐに現実に引き戻される。ボクは女の子だ。ヒナが好きなのは男の子を演じるボクだ。
「君のキス、どんどん甘くなってる。女の子の匂いだよね。やっぱり、私以外にいるんでしょ?」
それはボクの匂い。でも、そんなこと言えない。
「いないよ」
少し声を荒げてしまった。ユミ姉ちゃんの存在じゃない後ろめたさだ。
「だったら、夏休み、毎日私と一緒にいてくれる?」
「いいよ」
即答してしまった。本当なら、夏休みはずっとユミ姉ちゃんと一緒にいるはずだった。病院に行って「治療」を受けながら真っ直ぐに女の子になって行くはずだ。
「早めに睾丸摘出しよっか」
予想外の言葉にボクは狼狽えた。外科手術はもう少し先だって言っていたし、もう少しこのままだと思っていた。
「え?なんで?」
「迷ってるみたいだったからさ」
ボクには迷いなんてなかったはずだ。女の子になることはとっくに受け入れていた。痛いのは嫌だけどいずれ通る道だ。
「迷ってなんかないけど」
そう。ボクは迷ってなんかない。それよりも、ユミ姉ちゃんが少し焦っているように感じた。
「だったらいいじゃん。早く男の子捨てちゃってよ」
男の子を捨てる。何度この言葉を耳にしただろう。考えただろう。とっくにボクは男の子じゃない。男性を喪っていた。それなのに。
「いいよ。じゃ、夏休みに」
去年の夏休み、ボクは決断した。本当はもっと前から始まっていたのだけど、ボクの意思で動き出したのは去年の夏だった。それなのに……。
ヒナの嬉しそうな顔を見ていると自分の決断が揺らぐ。今さらどうにもならない。今さらホルモン治療を辞めたって男の子には戻れない。男でも女でもない中途半端な存在になるだけだ。子供だって作れない。当時のボクはそこまで考えてはいなかったけど、きっとヒナにはもっと相応しい彼氏ができるはずだ。それに、ボクにはユミ姉ちゃんがいる。
でも、抗えない。そんな気持ちがあった。
「私は何があっても君が好き」
ヒナの言葉を深読みすると、ボクの秘密を知っているみたいだった。そんなはずはないんだけど。ヒナの気持ちにちゃんと応えられない自分が情けない。そして、気持ち悪い。
ボクは自分が気持ち悪い。
気持ち悪い。
だけど、そんな気持ち悪いボクにヒナはまたキスをしてくれた。中途半端な気持ちは捨てた方がいい。
女の子にならなければ、それでいい。子供を作れなくても、本当の男の子に戻れなくてもいい。女の子にならなければヒナとずっと一緒にいられる。そんな気持ちでボクは一杯になった。逃げるなら今しかない。
でも、違った。
「君、もしかして女の子なの?」
予想すらしていたなかったヒナの言葉に、ボクは何の反応もできなかった。
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