第19話 陛下、息抜きのお時間です!


 久しぶりに熟睡したミランダは、日次恒例となった朝一の呼び出しにより、クラウスの執務室へと歩を移す。


 後見が正式に決まるまで、王宮内の貴賓室で仮住まいをするミランダ付きの侍女達は、使用人が住まう宮殿内の一室を与えられ、付き従い雑事をこなしていた。


 長い廊下の先にある、執務室の扉が開く。

 喧騒に満ちた昨日の一幕が嘘のように、穏やかな時間が流れる王宮で、クラウスは相変わらず山積みの書類に埋もれていた。


「来たか。……座って待っていろ」


 執務室に入るなり、昨日の振る舞いについて叱咤されるかと身構えていたが、そんな様子もなく、ただ穏やかに座るよう促される。

 

 執務机の正面にある応接スペースへと移動し、ミランダは静かにソファーへと腰掛けた。


 大理石のテーブルに置かれた紅茶を、ゆったりと口元に運ぶ。

 ベルガモットを思わせる爽やかな柑橘系の香りがふわりと漂った。


 カリカリとペンを走らせる音と、書類をめくる音。


 大公宮にいた頃は、日毎増える執務をこなすため、ミランダもこうやって朝から晩まで働いていた。


 勝手のわからない政務は、あっという間に時間を溶かしていく。

 思えばクラウスも即位してまだ数ヶ月、まだまだ足元がおぼつかず、段取りに頭を悩ます時期だろう。


「……昨晩はよく眠れたか?」


 ぼんやりと視線を送るミランダに気付き、手を止めたクラウスが声を掛けた。


 『狂王』の名を冠するに相応しく、暴虐な一面もある一方で、物事の本質を理解する柔軟性もあり、理知に富んでいるようにも見える。


「少し休むか。……ミランダ、こっちへ来い」


 目が疲れたのか眉間を少し指でつまみ、ミランダの答えを待たずに呼び寄せる。


 その声掛けを合図に控えていた侍従が退室し、部屋に二人きりになると、頬杖をつきながら再度ミランダを呼んだ。


「ミランダ、来い」


 呼ばれるがまま、執務机の前に立つと、椅子の横にまわるよう指示される。


 嫌な予感がしつつも、昨日は少しやりすぎたかと申し訳なく思う気持ちもあり、恐々とクラウスの横に立った瞬間、太い腕で腰を引き寄せられ、膝の上に横抱きにされた。


「……!?」


 幼子のように抱き込まれ、距離の近さに慌てもがく。

 両腕に力を籠め、顎を押しやろうとするがビクともしない。


「なっ、突然何をされるんですか!」

「心当たりがないとでも?」


 覗き込むように問われ、ミランダは観念して抵抗を諦める。


「……あります」


 大人しくなったミランダを再度抱き込んで、だろうな、とクラウスは小さく呟いた。


「昨日は色々とやってくれたな」

「……少しだけ反省しています」

「そうか、ならばもういい。……ときに、側妃の役目は知っているか?」


 御咎めなしに安心しつつ、不穏な気配にどう答えたものか悩む。


「ええと、そうですね、多岐にわたりますので一言では……」

「最も大切な、夜の役目があったと記憶しているが」


 ミランダに被せるように、クラウスは言葉を続けた。


「あろうことか役目を果たさないまま、側妃としての恩恵を享受している者がいるらしい」


 真っ直ぐに視線を向けられ、ミランダはクラウスの膝の上で、小さく縮こまる。


「職務を放棄した挙げ句、自分勝手に下賜先を検討しているのだとか」


 心当たりはあるか? と聞かれ、昨日没収されたリストのことを思い出す。


 意外にも根に持っているようだが、ミランダだって渾身のリストを取り上げられ、怒り心頭である。


「まあ! とんでもない不届き者がいるようですね!」

「……撤回する気はないのだな?」

「こ、このままでは陛下の権威を貶めかねません。そのような者は早々に城から追い出してしまいましょう」

「……手放す気はないと言ったら?」

「えっ? そ、それは困りましたね。何を隠そう私は、蝶よ花よと育てられた大公女。男女の機微には疎くて何とも……」


 これは本当。

 この年まで恋すら経験が無いのは、ひとえに姉への愛が重すぎたことに他ならない。


「口付けすら許可がいるとは恐れ入る」


 のらりくらりと躱すミランダに怒り心頭か、クラウスが目を細めると、周囲の温度が一気に下がった。


「だが、無理に組み敷くと、どこかへ消えてしまいそうな危うさがあるな」


 その行動力と危険性は、ここ数日、ミランダが身を以て示したところである。

 野生の子リスのように目を真ん丸くして警戒するミランダの側頭部を、逃げられないよう掌で支え、頬に、額に口付けを落とす。


 みるみる赤くなったミランダの顔に目を遣り、ふっと笑うと、そのまま耳元に唇を寄せた。


 ――俺はいつでも構わない。


 顔を赤らめ震えるミランダの耳元で小さく囁くと、低い声が耳から体内を鈍く揺らし、思わずギュッと目を瞑る。


 どれくらい経っただろうか。

 クラウスの動きが止まり、恐る恐る目を開くと、笑いを堪えるクラウスの横顔が潤んだ瞳に映りこむ。


 ミランダの視線に気付き、「ん?」と正面を向きなおすと、小さな耳をパクリとんだ。


「~~~~ッ!?」


 反射的に腕を振りかぶり、パチンと思い切り頬を叩く。

 一瞬罪に問われるかと頭をぎるが、深く考える余裕もなく、わなわなと震えながらクラウスを睨みつけた。


 ……非力なミランダの平手打ちなど、蚊が止まったようなもの。

 コキリと軽く首を鳴らし、ニヤリと笑うと、再度距離を縮めてくる。


「ちょ、まっ……う、うわぁぁあああんッ! 誰か! 誰かぁぁ」

「禁止事項には触れていない。……諦めろ」


 ペンと紙の音しかしないはずの執務室から、ガタガタと暴れる音と、久しく聞かない楽しげなクラウスの声。


 呼ばれて入れるはずもなく、護衛達は主の楽しい時間が少しでも長く続くよう、扉の外で願うのだった。



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