第18話 天秤の先にあるもの

(SIDE:ザハド)


 あの後すぐに軍事会議が再開され、白熱した議論は深夜にまで及んだ。


 ミランダの折衷案をたたき台として、革新派と保守派、双方合意のもと軍事計画が策定され、中立派により最終調整が為される。


 決議後もなお熱冷めやらず、高揚した気持ちを誰もが抱えたまま、王国軍事会議は幕を閉じた。


 クラウスが退出し、人が疎らになった討議室でザハドはゆっくりと立ち上がる。

 昼夜に及ぶ緊張が漸く解け、重い身体を引き摺るように扉へと向かうと、ヴァレンス公爵に呼び止められた。


卿……とんでもないものを呼び込んでくれたな」


 保守派優位で終結できるはずだった流れを、わずか数十分、たった一人の少女によって覆されてしまった。


「あれは良くも悪くも人を惹きつける。……使い方次第では劇薬にもなり得るぞ」


 先程の演説を思い出したのだろうか、苦虫を嚙み潰したような表情で、ヴァレンス公爵は溜息をつく。


「とはいえ、他国の手に渡らなかったことを、今は感謝すべきか。身の内から逃がさぬよう、精々閉じ込めておくことだな」


 ぽん、と肩を叩かれ、ザハド・グリニージは天井を仰ぎ見る。


 噂に聞く『苛烈な性格』と『類稀な美貌』に興味を惹かれ、物珍しさから傍に置いたとしても、すぐに飽きるだろうと考えていた。


 身分に胡坐をかき、欲に任せて生きてきた娘など、放っておけば勝手に自滅するに違いない。


 召し上げて持て余すようなら、適当な者に下賜すれば良いだけの話だ。それまで、陛下に媚びへつらい、飽きられるまで身の振り方でも考えておくことだな、と。


 そう、思っていたのに。


 水晶宮の隠し小部屋に潜んだあの日。

 金の瞳がじわりと潤み、零れ落ちる涙が、むせび泣く声が、……すべてを受け入れ、力強く生きようとする彼女を見るたびに、脳裏に浮かんでは消えていく。


 疲れすぎて働かない頭を軽く振り、もう帰ろうと歩を進めたその時、後ろからヨアヒム侯爵に声を掛けられた。


「今日は疲れただろう? なんとも美しく、苛烈な少女だったな。思いのほか、楽しい時間を過ごさせてもらったよ」

「ああ、ヨアヒム卿……先程はありがとうございました」

「いやいや、何も。私は、何もしていない。本来であれば、人知れず始末されてもおかしくないところを、自分の力で道を拓いたのだ」


 白髪が混じり始めたアッシュグレイの髪を掻き上げると、悪戯が成功した子供のように笑った。


「願わくば、わが家の愚女を陛下のお傍に……と夢を見たのだが、ミランダ殿下が相手では、旗色が悪すぎる。入宮の申出は取下げ、明日改めて後見を申入れよう」

「……おや、ヨアヒム卿も後見の申入れを?」


 ヨアヒム侯爵と談笑していると、ワーグマン公爵も話に加わった。


「中立派のヨアヒム卿であれば、各派の反発も少なそうだな。とはいえ、実は私も後見の名乗りを上げようと思っていたところなのだが」

「閣下も後見に? いやはや、ワーグマン公を動かすとは」

「ははは……今日は、年甲斐もなく熱くなってしまったよ。こんなに楽しいのは久しぶりだ。先程ヴァレンス公にも話しかけられたが……毎年こうやって集まってはいるものの、終わった後に禍根を残さず、各派で談笑するなど、例年では考えられない光景だな」


 確かにそうですね、とザハドも笑い、先程の光景を反芻する。


 まだ幼さの残る顔立ちに、金の瞳が、燃え上がる陽のように輝き、揺らめく。

 ひとたび言葉を発すれば、触れるものすべてをのみ込み、抗うことすら許さない狂飆きょうひょうのようであった。


 恨み、妬み、怒り、憎しみ。

 グランガルドの王座はいつだって血に塗れ、数多の死屍を礎に、歴史は繰り返してきた。


 そして、現王クラウスも、また。


 深暗い濁水に投じた彼女の石は、音もなく、浅く水面を揺らし、小さな小さな波紋となった。


 消え入りそうにか細く、仄かな灯を胸のうちにともして、彼らはそれぞれの帰路につく。


 すべての灯りが消えた討議室には、静けさだけが残っていた。




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