第12話 他に言いたいことはあるか?


 そっと目を閉じると、ミランダの額に優しい口付けが落ちてくる。


 寄せた頬から暖かい体温が伝わり、ドクドクと脈打つ音が溶け合って、心地よく脳を揺らした。


 いつ移動したのだろうか、ギシリと寝台がきしみ、すぐ近くにクラウスの息遣いが聞こえる。


「……何か他に、言いたいことはあるか?」


 優しく問われ、相変わらず回らない頭でミランダは考える。


 重い瞼をゆっくり持ち上げると、ミランダに覆いかぶさるようにして、クラウスの顔がすぐ目の前にあった。


 欲情を孕んで燃えるように、熱を帯びた瞳が、ミランダを捉える。


 何か、なにか……なにか言わなければならないことがあったような……。


「ああッ」

「!?」


 と、先程の自白剤のことを思い出し、ミランダはぴょこりと身体を起こした。


 すぐ近くにあったクラウスと頭がぶつかり、声にならない声をあげながら、寝台の上で悶絶する。


「突然どうした!」


 一瞬で雰囲気を壊され、不機嫌な声がミランダへと降り注ぐ。


「先程の…!」

「?」

「先程、陛下から頂いた一杯目のワインは、自白剤ではありませんか……?」


 ミランダが発した、『自白剤』という単語に、クラウスの肩がピクリと揺れる。


「……なんのことだ?」

「知らぬふりをしてもダメです。確かに私が作った自白剤『ペンタル』の香りがしました!」

「!? 私が作った……?」

「そうです! あれは私がお姉様のために、アルディリアなんぞに嫁ぐことになった、大好きなお姉様のために、昼夜研究に研究を重ね開発したもの!」


 もちろん、私自身への有効性も検証しました!

 加護があるので毒は効きませんが、自白剤はそこそこ効くようです!


 大好きなお姉様を思い出し、急に元気になったミランダは、クラウスの胸倉に掴みかかる勢いで畳み掛ける。


「いざという時にアルディリア国王陛下の弱みを握り、脅すために使って欲しいと、私が直接手渡したものなのですッ!」


 はぁはぁと息を荒げて捲し立てられ、理解の追い付かないクラウスは、自白剤が未だ絶賛稼働中のミランダを呆然と見つめた。


「ついでに少し具合が悪くなるといいなと思って、自白剤の中にこっそり毒草も混ぜました!」

「は? ……はぁあ!? おっ、お前、先程から何を言っている。有毒なのが分かっていながら何故飲んだ!」


 よもや毒を盛ってしまったのかと慌てるクラウスに、ミランダは高笑する。

 『毒草』のあたりで、なにやら壁越しに動く音がしたが、隠し小部屋に潜ませたザハドのことなど、クラウスの頭からはとうに消え去っている。


「ご安心ください。腹をくだす程度のものなので命に別状はありません」


 ニッコリと微笑む姿は相も変わらず美しく、だが、薬のせいか微妙に焦点があっていない。


「お前は大丈夫なのか? ……その、腹がくだるとのことだが」

「問題ございません! 身体に無害なため、自白剤自体は作用してしまうのですが、何を隠そう私は『治癒』の加護持ち! 私に毒は効きません」


 陛下の御毒見役を任じてくださっても結構です! と得意げに宣うが、そもそも毒が効かないのであれば、毒見役には向いていない。


「……ファゴル大公は、稀少な加護持ちが出国することについて、何も言わなかったのか?」

「お父様は当初、私ではなく、末の妹を貴国に送ろうとしていました。ですがこれは、『加護』とは全く関係のない理由です。私の立ち回りのせいで、悪評が独り歩きを始めてしまいましたので……実情を知る国内ならまだしも、他国では苦労するとお考えになったのでしょう」


 そもそも欲のない方だから、加護については、あってもなくてもどちらでもいいと、常々申しておりました。


 自国を離れ、まだ一ヶ月も経っていないのに、喧嘩するように大公と掛け合いをしていた日々が、もう懐かしく思える。


「特に私の加護は、自分への毒を無効化したり、ちょっとした怪我や病気を治す程度のものですから」


 重い怪我や病気の場合は、何日もかける必要がありますし、広範囲に渡って一度に治癒することもできません。とても限定的な加護なのです。


 そのまま口をつぐみ、こくりこくりと舟を漕ぎ始めたミランダに目を向け、溜息をついた後、クラウスは口を開いた。


「……そうか」


 ポツリと呟くと、そのまま勢いよくミランダの隣に寝転がる。

 腕を伸ばしミランダを引き寄せると、すっぽりと包みこむように腕の中へと閉じこめた。


 急に身動きが取れなくなり、抜け出そうともがくと、クッと喉の奥で笑う音が聞こえ、クラウスと視線が交差する。


「……もう眠れ」


 太い腕に抱きしめられ、ミランダはなおも脱出を図るが、クラウスの寝息と規則的な鼓動につられ、瞼が徐々に重くなり、いつしか眠ってしまった。


 ――――そう。


 隠し小部屋から出るに出られず、自白剤の副作用で一晩中悶絶する羽目になった、ザハドを残して。



***



「昨夜は眠れたか?」


 グランガルドの宰相ザハド侯爵は、揶揄うように問いかけるクラウスを、恨みがましい目で見つめた。


「なかなか興味深い話だったな」

「それはそうですが……」


 スッキリとした顔のクラウスとは対照的に、一晩で何があったのかと侍従に心配されるほど目が窪み、げっそりと頬がこけたザハドが、力なく返事をする。


 クラウスがミランダを召し上げたという話を聞きつけ、今朝方、早速幾人かの高位貴族が謁見を願い出た。


 ひとまずザハドにて受けたものの、ミランダの後見を願い出る者、娘を正妃にと推し進める者……次代の王を見越し、『正妃の座』争奪戦が始まったのである。


 明日の王国軍事会議では、グランガルドを謀ったジャゴニ首長国への処分を決する予定だが、おそらく、クラウス自ら軍を率いて遠征することになるだろう。


 想定される遠征期間は、約二ヶ月。

 その間ミランダは、頼るものがいないグランガルドの離宮に残され、国母の座を狙う魑魅魍魎に、命を狙われながら過ごすことになる。


 悪評ゆえ、ミランダを認めない者も多い一方、離宮という閉ざされた空間で目が届きにくいのを良いことに、利用しようと近付く者も、後を絶たないだろう。


「馬鹿どもの相手は疲れたか?」


 頭の痛い問題を山積みにし、正直逃げ出したいザハドの心情を知ってか知らずか、クラウスはまるで今朝のやり取りを見てきたかのように声を掛ける。


大公女がどう対応するか……ものだな」


 面白い玩具を見つけたとばかりに機嫌良く話すクラウスに、ザハドは言葉もなく、ただ項垂れた。




 ――グランガルドに在する高位貴族が、一堂に会する王国軍事会議。


 クラウスから、『好きにしてよい』とお墨付きをもらったミランダが、言葉どおり、とんでもないことを仕出かすとは……その時の二人は、想像だにしなかったのである。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る