第3話 彼女の願いは大抵打ち砕かれる
クルッセルの街に到着した頃には日も傾き、木造りの簡素な家々には、暖かな灯がともる。
従属国とはいえ、大公女。
早馬を飛ばし、過分な接待は控えるよう間違いなく通達をしたはずだが、何かあっては国際問題になると領主に頭を下げられ、ミランダはしぶしぶ領主館に泊まることを了承した。
「堅苦しい接待を抜きにして、私は楽しみたかったのに!」
なおもブツブツと文句をいうミランダの髪をつげ櫛で
「突然の来訪にも関わらず、快く受け入れてくださったのですから、良いではありませんか」
クルッセルに到着する直前に、硬い保存食のパンを食べたため、食事は不要とし、早々に休ませてもらうことにした。
さぁさぁ、明日は早いのですからと、アンナはつげ櫛を机に置き、代わりにピューターの水差しを手に取り、グラスへと水を注ぐ。
こぽこぽと涼し気な水音に、アンナの手元にある水差しへと目を遣ったミランダは、思い出すように口を開いた。
「……そういえば、その水差しも、クルッセルの工芸品の一つだったわね」
「まぁ、そうなんですか?」
「そうよ。錫だけだと柔らかくて硬度がないでしょう? だから複数の金属を混ぜて作っているの」
一昔前に流通していたピューターの水差しには、鉛が含まれており、その毒性にいち早く気付いたのがクルッセルの職人組合だった。
鉛を廃止し、延性や酸への耐性を高めるために、複数金属の配合率を変え、純度の高い錫と混ぜ合わせることで、現在の形になったのだという。
加工性に優れており、装飾も容易であることから、クルッセルが誇る工芸品の一つとして世に出回っている。
「もっと長い期間滞在できればよかったのに」
不満そうにミランダは口を尖らせる。
「一泊して明日の夜に発つ予定だったけれど、頑張ればもう一泊くらいできたりしないかしら…?」
何を思いついたか、ふむふむと考え込むミランダに悪い予感がしつつ、アンナはそっと水の入ったグラスを手渡した。
何事もなく、予定通り無事に明日を終わらせることができますように……。
そして翌朝。
多分に漏れず、アンナの願いは打ち砕かれることとなる。
***
30人を超える職人および技術者達が一堂に会し、何事かとざわつきながら、組合長を待つ。
いつもなら怒号が飛び交い、作業のために若い衆が忙しく走り回る時間だが、今朝に限っては大事な客が来るとのことで、仕事を中断し集会所に整列をしていた。
しばらくして職人組合の組合長シヴァラクがドアを開け入ってくると、その後ろに女性だろうか、身体が小さいため、組合長に隠れてしまい顔がよく分からないが、ひらひらとした白いワンピースが見える。
そして、その少女の周りを、他国の騎士らしき男が三人、また領内の衛兵二人の計五人が、ものものしく囲んでいる。
「とある片田舎の領地から、お忍びで来訪したご令嬢だそうだ。設計現場の見学を希望されているため、本日はうちで預かることになった。忙しいかとは思うが、土木チーム長のサモアに対応をお願いしたい」
突然の指名に、サモアは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
もうすぐ雨季に入るから、川幅や地形を再度確認し、洪水対策を講じなければならないのに。
シヴァラクを睨みつけたまま、サモアは返事の代わりに、無言のまま、横柄な態度で顎をクイと動かした。
すると、サモアが見えなかったのか、シヴァラクの後ろから目も覚めるような美少女が突然、ひょっこりと顔を覗かせる。
「初めまして。ミニャンダ・アニョルです。父はしがない男爵ですので、ご存知の方はいらっしゃらないかと思いますが、本日はよろしくお願いいたします」
片田舎の男爵令嬢という触れ込みなのに、まるでどこぞの姫君のような美しいカーテシーを披露したミランダは、呆然と立ち尽くす男たちと順番に視線を合わせた後、最後に、小首を傾げながら組合長であるシヴァラクのほうを向いた。
「土木チーム長のサモア様は、どちらに?」
しんと静まりかえり物音ひとつしなくなった集会所に、ミランダの声が響き渡る。
ビクッと肩を震わせ、最前列にいた40代前後の髭もじゃの職人が、恐る恐る手を挙げた。
「まぁ、貴方がサモア様?」
下級貴族のご令嬢のはずなのに、何故か圧倒され、誰一人として声を発することができない。
真夏でもないのに、立っているだけで汗びっしょりになったシャツを、丸太のように太い二の腕に張り付かせながら、サモアはこくこくと、首を思い切り上下に振って肯定した。
「……よろしく、お願いしますね?」
平民に近い質素な生成りの白いワンピース。
ミランダが微笑んだ瞬間、それはまるで宝石のように光輝を放ち、集会所を照らし出した……ような気がした。
笑顔で見つめられ、耳まで真っ赤になったサモアは、またしても首を上下に振り、肯定する。
それにしても『ミニャンダ・アニョル』って、なんなんだ。
そんな男爵いたか?
いや、どこぞの大公女が確かそんな名前だったような……。
そんな考えが頭をよぎっているのだろうか、目くばせしあう男達に向かって、ミランダが再度微笑むと、みな顔を赤らめて俯くのだった。
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