第2話 最初からそのつもりでした


 大公宮から二日ほど馬車を走らせ、国境を抜けてグランガルド王国内へと至る。


 歩車分離をうたってはいるものの、整備されているとは言い難い砂利道に、馬車が上下を繰り返す。


 お尻の皮が破れそうに痛いが、そんなことも気にならないほどミランダは興奮し、馬車から身を乗り出すようにして窓の外を眺めていた。馬車に同乗した侍女が「危ないからおやめ下さい」と窘めるが、まるで効果はない。


 御者や馬を変えながら、さらに進むこと丸一日を過ぎたあたりで、人工物が消え、周辺の景色が自然物一色に塗り替わった。


「すごいわ……」


 目の前に広がるニルス大河川と、南側に向かい遠くそびえたつ山々に、ミランダは感嘆の息を漏らす。


 三千キロにも及ぶニルス大河川の本流は、グランガルドから南西に位置する砂の大国ガルージャまで縦断すると書物で読んだものの、直接実物を見るのは初めてである。


「馬車を止めてちょうだい」


 平地の多いファゴル大公国では、絶対に見ることのできない雄大な景色に我慢できなくなり、ミランダは馬車を降りた。


 止まった馬車と、突然降りてきたミランダに、護衛騎士達は慌てて下馬し、周囲の様子を警戒する。


「ねぇ見てアンナ! すごいわ、あんな遠くまで水が流れていく! こんな素晴らしい景色、馬車から眺めるだけなんて勿体ないわ!」


 アンナもいらっしゃいよと、嬉しそうにはしゃぎながら侍女を呼ぶ。

 なびく金の髪は、陽の光を浴びて黄金に輝き、大公国一と謳われる美貌は、同性である侍女のアンナでさえ見惚れるほどだ。


 いつもならば、慎みがないと顔をしかめる昔馴染みの侍女も、これから待つであろう宗主国グランガルドでの暮らしをおもんばかり、薄く涙を浮かべながら、はしゃぐミランダを見つめた。


「あ、待ってちょうだい。やっぱり降りなくていいわ」


 が、次の瞬間、何かを思いついたミランダが、再び馬車に乗り込み、馬車内の座部を持ち上げると、「えーっと確かこのあたりに……」と呟きながらゴソゴソと何かを探る。


 その大公女らしからぬ姿に、ぴくぴくと顔を引きつらせた侍女など気にも留めず独りちながら、硬質紙で閉じられた書類のようなものを取り出した。


 子供の自主性を重んじる大公家といえば聞こえはいいが、如何いかんせん、この大公女殿下は自由すぎるきらいがある。


「これはね、アルディリアの国王陛下から拝領したものなのよ」


 二年前、姉であるアリーシェ大公女が、アルディリア王国に嫁いだ際、諸々の事情でアルディリア国王陛下におねだりし、自国に持ち帰ってきたものの一つである。


 大帝国アルイーダが四大国に分裂する前、つまり二百年以上前から現存するこの河川図は、大帝国滅亡後にアルディリアに引き継がれ、大切に保管されてきた。

 当時の帝国内を流れる河川が描かれており、だいぶ様変わりしているところはあるが、概ね近しく、まだまだ役に立つだろう。


 グランガルド移住後、必要になるのでは思い、アルディリアに急ぎ許可をもらった上で、今回国外へ持ち出すことができた。


「これは珍しい。川の地図でございますか?」

「そうよ! 少し前のものではあるけれど、四大国に分裂する前の、大帝国アルイーダの河川がすべて描かれていて、とても稀少なものなのよ!」


 持ち出し許可がおりて、本当に良かったわ!


 小脇に抱えたまま再び馬車を降り、はじける笑顔で河川図を開く。


 東側諸国の随所から至り、グランガルドと砂の大国ガルージャまでを縦断し海へと流れ出るニルス大河川は、雨季になると定期的に氾濫を起こすため、堤防や水路の整備等、インフラ構築は各国が国を挙げて取り組まなければならない急務でもあった。


 なかでも、本流が各領地をまたぐグランガルドの土木技術は、周辺国と比しても極めて高く、国内に設けられたせきや水門等、過去の降水量に基づき緻密な水路整備がなされている。


 ミランダは河川図で現在位置を確認し、現存すると思われる王都までの堰や水門をチェックした後、嬉しそうに御者へと声をかけた。


「そういえば、ここから程近い場所に、技術者の街クルッセルがあったわねぇ」

「はぁ…」

「これをご覧なさい。王都まで目算であと三日程度。謁見日まで、まだ日があるわ」


 如何いかにも今思いついたかのように語るが、河川図を持ち出すあたり、最初から計画していたであろうことはバレバレである。


 常日頃から、言い出すと引かない性格であることを承知している御供の面々は、諦めの眼差しをミランダへと送った。


「素晴らしい装飾品もあると聞くわ。そういえば、持参した髪飾りがちょうど壊れてしまって……困ったわ、こんな姿じゃ恥ずかしくて、グランガルド国王陛下に拝謁出来ないわ」


 えいっと小さく声を発し、髪飾りに縫い留められた大きな宝石を三つ、力ずくで引きちぎる。


 そのうち一番小さいものを御者に手渡し、残りの二つを、護衛騎士団長と馬車内にいる侍女に、あり余る足代として各々気前良く手渡した後、本日一番の笑顔で護衛騎士長に命じた。


「目的地を変更し、クルッセルに停泊します。隊を二分し、貢納品が積まれた馬車は、そのまま王宮へ向かいなさい」


 一度言い出したら聞かないミランダを相手に、護衛騎士長はどうしたものかと思案顔になる。


「秘密裏の訪問とするため、街の手前で馬車を止め、徒歩に切り替えます。宿泊は領館ではなく、街の宿で結構。アンナと私を同室とし、隣室に護衛騎士を待機させなさい」


 町娘の格好をしていれば、誰も気に留めないでしょう?

 目をキラキラと輝かせる主人に、「こんなに美しい町娘などどこにもおりません」と呆れたようにアンナが返す。


「急ぎ早馬を飛ばし、領主に連絡を」

「……承知しました。隊を再編成いたしますので、少々お時間を頂きます。安全な経路が確保でき次第、出発いたします」


 予定のルートとは大きく外れるが、護衛騎士長はしぶしぶ承諾する。

 日程に余裕があることも大きいが、なにより、ひとたび機嫌を損ねたら最後、何をやらかすか分かったものではないのだ。


 幼いころからミランダの護衛を務めてきた騎士長は、居並ぶ騎士達と溜息混じりに視線を交差させ、クルッセルに向けて早馬を飛ばした。


 無理を言っているのは重々承知の上、要求を受け入れてくれたことに感謝しつつ、ミランダは再び景観の美しさに顔を綻ばせる。


 グランガルドが誇る技術者たちの街、クルッセル。

 従属国になった際、いつか必ず訪れたいと思っていたが、このような形で実現するとは思わなかった。


 人質という立場上、余程のことがない限り、今後王宮の敷地内から生きて出ることは難しい。


 そんなことは、ミランダ自身が一番よく分かっている。

 これがクルッセルを見られる、人生最後の機会かもしれないのだ。


 ミランダは、意気揚々とクルッセルに向かう。





 ――謁見まで、あと『七日』余り。




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