第4話 シヴァラク、篭絡
(SIDE:組合長シヴァラク)
グランガルド王国最高峰の職人たちが集う、技術者の街クルッセル。
その中でも、大陸有数の知識と技術を持つものだけで構成された、総勢三十五名から成る土木チームは、チーム長のサモアを筆頭に、昔気質の職人が多い。
自分の仕事に誇りを持ち頑固で実直、気に入った仕事は損得を無視してまで請負う職人気質……といえば聞こえは良いが、その実、納得のいかない仕事は腕を切り落とされても拒否をするような、偏屈者揃いである。
だが、権力におもねることのない気高い職人魂は、組合長シヴァラクの誇りであり、自慢でもあった。
そんな彼らが、繁忙期に仕事を中断され、領主からの命令で、突然お忍びで訪れた貴族令嬢の接待を命ぜられる。
怒り狂い、ストライキを起こしてもおかしくないこの状況に、シヴァラクは今朝から何も喉を通らず、胃をキリキリ傷ませながら集会所で演説を行った……はずだった。
「まぁ! 護岸に植樹を? 高低差がある場合は、どうされるのですか?」
「そこは耐風性のある低木で、護岸構造に支障を与えないよう……」
作業場に響く可愛らしい声と、懇切丁寧に答える髭もじゃのチーム長サモア。
……お前は誰だ。
「流出防止措置は講じるのですか?」
「はははぃいッ! 越流施設や排水門からの距離を鑑み、洪水時の水深や流速などから判断しますぅっ!」
多少
……お前も誰だ。
「この辺りの土堤防が決壊したら、大規模な浸水被害があるのでは?」
「危ないのはここです。大きく外に曲がっている為、流速だけでなく水位も高くなり、堤防が決壊しやすくなります。上流にダムがありますので、水門を閉めることである程度は調節可能です」
「なるほど……よく考えられていますね」
「はっはっは、まぁ三十年前はその仕組みがなくて、度々決壊してたんですがね」
俺を怒らせたら最後、水門を開いて辺り一面沼地にしてやりますよ! と顔に大きな傷のある男が言うや否や、お主も悪よのうと、作業場が朗らかな笑い声に包まれる。
あの男は確か、不愛想でいつも眉間に皺をよせている、チーム最年長、強面のローガンでは!?
……え、笑ッ? あのローガンが笑ってるだと!?
しかも気の利いたジョークまで!?
「色々な工夫をされているのですね! 水害が少ないのは、皆さんの技術と努力の賜物だわ」
感心したようにミランダが褒めると、彼女を囲むように控えていた、むさくるしい男達が、嬉しそうに顔を見合わせる。
「……素敵ね!」
本当にすごいわ! と満面の笑みを浮かべるミランダに、顔を真っ赤にして喜ぶ髭もじゃのサモア。
天に向かって大きくガッツポーズをする荒くれ者のジェイコブ。
設計机の下で小さく親指を立ててサムズアップしたのは、強面のローガン……?
そして肝心の男爵令嬢(仮)は、お忍びで訪れたはずなのに、全然忍ぶ気配がない。
お貴族様が遊び半分で見学を申し出たのかと思いきや、王都の役人でも理解に時間がかかる、王国内の地形や河川、施行法などを瞬時に理解し、的確に質問を返しているところを見ると、前提知識は勿論のこと、頭の回転がとにかく早いのだろう。
加えてあの見た目であれば、職人達が傾倒するのも頷ける。
最初は少し遠巻きに見ていた他の職人達も、段々と輪に加わり始め、気付けば皆仕事をほったらかしにして、彼女の一挙一動に反応しながら、嬉しそうに会話に参加している。
人質として王宮に向かうはずが、旅程を変更しクルッセルに来訪したかと思ったら、あれよあれよという間に自分の要望を通し、そして今、クルッセルが誇る職人チームを、小一時間で篭絡してしまった……!
予め領主から、ミランダの正体を聞かされていたシヴァラクは、ぐっと拳を握りしめた。
さすがは稀代の悪女、ミランダ・ファゴル。
人心を掌握するのはお手の物、というわけか。
俺は、俺だけは絶対に騙されないぞと、シヴァラクは強く心に誓う。
シヴァラクが通常時の十倍の速度で、激しいツッコミをいれている間、五人の護衛達は常に警戒を怠らず、辺りに目を配っている。
そして、アンナと呼ばれていた侍女は、ハラハラと不安気に主人の様子を見守りながらも、やっぱりこうなるわよねと諦めたように呟いた。
***
(SIDE:侍女アンナ)
「ねぇ、アンナ。やっぱりもう一泊……」
「駄目です! 絶対に、ダメですッツ!!」
作業場で過ごした時間が、余程楽しかったのだろう。
シヴァラクは途中で退席してしまったが、軽食をつまみながら、夕方近くまで職人達との時間を楽しんだミランダは、名残惜しそうに領主館を後にする。
乗ってきた馬車を街の外に置いてあるため、行きは護衛を引き連れての徒歩だったが、帰りは領主が馬を出してくれた。
追加の護衛が付いた大所帯のため、この御一行様は何者かと、住人たちが振り返る。
最初、一人で馬に乗りたいと駄々をこねたミランダだったが、慣れない馬で何かあっては大変だと却下され、護衛騎士長の馬に同乗することになった。
頬を膨らませて文句を言いながらも、おとなしく馬に乗っていたミランダは、街の出口付近に人だかりを見つけ、急に馬を降りたいと言い出した。
「見て! 職人組合の方々だわ!」
ミランダに向かって、一様に手を振るむさくるしい男達。
昼前に用事があると、途中退席したシヴァラクまでいる。
「最後にお礼が言いたいの。少しだけ降りてもいいかしら?」
駄目だと言いたいところだが、昼間の楽しそうな様子を覚えているため、無下にすることもできず、「少しだけですよ」と護衛騎士長はミランダを馬から降ろした。
「ミニャンダ様ーー!」
サモア、ジェイコブ、ローガンを先頭に、男達がミランダに駆け寄る。
ああ、そういえば男爵令嬢『ミニャンダ・アニョル』の設定だったわと、アンナが考えていると、同じくミランダに駆け寄ったシヴァラクが一礼し、震える指で細長い箱を差し出した。
「これは……?」
護衛騎士長が警戒して前に出ようとしたため、ミランダは手の平で控えるように示し、アンナが代わりに箱を受け取る。
何かしらと首を傾げながら蓋を開け、二人で中を覗き込んだ。
と、中に入っていたのは、サファイアを飾り玉にあしらった銀製の
昨日領主館に着いた際、護身用に作成が可能か、ミランダ直々に領主へ相談したものである。
クルッセルで製作されたものは、すべて刻印が掘られ、品質が保証されたブランド品として市場に流通する。このため、何かあった際に製作元が割れないよう、刻印を掘らないことを条件に、何とか受けてくれないかとミランダが必死に説得し、昨夜領主自ら、職人に打診をしてくれたと聞いている。
出立まで日がない上に、間に合うかは保証できない。
街で一番腕の良い職人が、三年前の流行り病で思うように指先が動かなくなってしまったため、製作可能かについても、確認が必要だと聞いていた。
ハッとしてシヴァラクの手を見ると、箱を差し出した時同様、やはり指先が震えている。
玉簪を手に取り、しばらく無言で見つめていたミランダは、小さな両手でその震える指先を包み込み、労わるように優しく握った。
「……無理をしたのでは?」
気遣うように声を掛けると、シヴァラクは得意げに胸を張る。
「一度受けた依頼は、死んでも完遂させるのが我が街の職人です」
手の中にあるのは、品のある玉簪と、シヴァラクの震える指先。
一見、変哲のない銀製の玉簪だが、ひねると下半分が外れ、中に先端が尖った棒状の真鍮が入っている仕込み簪である。
高度な技術を必要とするため、自国での製作は間に合わなかった。
長さもなく、命を奪えるほどのものでもないが、御守り代わりに持っていたかった。
「……ありがとう」
ミランダは瞳を潤ませ、指先を掴む両手を美しい口元に引き寄せると、皮膚が固くなった皺だらけの指先に、そっと口付けをする。
一瞬の静寂の後、サモアがシヴァラクの背中を力任せに叩き、周りを囲んでいた男達が一斉に、わぁっと沸き立つ。
「ありがとう! 絶対、また来るわ!!」
歓声の中、ミランダは再び馬に乗ると、みんなに見えるように大きく手を振った。
「絶対に、また来てくださいッ!!」
「ミニャンダ様ーー!」
「ずっと待ってます!!」
「殿下ーッ!」
「道中お気を付けて!!」
……どさくさに紛れて、今殿下って言ったやつ誰だよ。
こっそりツッコミを入れた護衛騎士長に、まぁいいではないですかとアンナが微笑む。
美しい夕焼けが広がり、西の空が赤く染まる。
――謁見まで、あと『六日』。
***
(SIDE:組合長シヴァラク)
「いやぁしかし、とんでもねぇ美女だったな!」
「今発ったばかりなのに、もう会いたくなってきたぜ」
「あれで稀代の悪女だなんて、噂ってあてにならねぇなー」
興奮冷めやらず、賑やかな男達の真ん中で、シヴァラクは呆然と立ち尽くしていた。
ミランダが指先に口付けをしたその時、感覚がほとんどなかったはずの指先に、ふと温かいものが流れ込むのを感じた。
そして今、指先の震えは止まっている。
シヴァラクはおよそ三年ぶりに感覚の戻った指先へと、力を込めた。
関節が、軋む様に動き出す。
「う……う、うおおぉぉぉおおおッツ!!」
叫ぶシヴァラクに、なんだどうしたと笑いながら、男達が肩を組む。
指先は、もう震えなかった。
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