第4話 憑依少女と先代聖女

「痛いけど、我慢してね…」

「い、いたくないぜヘメラ…!」


 イオラ領内の屋敷近くの広場に、大人数の子どもが群がっていた。輪を描くように集まった子どもたちの中心には、きらめく金と艶のある黒を混じらせた髪をした少女と涙ぐむ男の子がいた。


 男の子は、膝を大きく擦りむいており、紅く血が脚をつたい地面へと垂れる。その痛々しさに目を逸らす子どももいたが、男の子は唇をキツく閉じていた。


 ヘメラと呼ばれた少女は手を翳すと、その掌と男の子の裂傷した部位が光り出す。そして、傷はふさがっていく。


「すごーい、あれがかみさまの力〜?」

「すげぇ…あんなにいたそうだったのが、みるみるなおってってるし…」

「ヘメラ…やべぇ」


 そして、擦りむいた膝は傷のない綺麗な状態へと戻ったのだった。

 ザワザワと話す周りの子どもをよそに、ヘメラは再度男の子に語りかける。


「はい、ボール。…気をつけてね、との約束だよ?」

「お、おう…ありがとうな、ヘメラ…」

「よーし、ケーちゃんも元気になったしあそぼーぜ!」


 「またね」と手を振り、ヘメラは黒い目を離れていく子どもたちへと向けた。その目には羨望と哀愁がこもった事に気づいた者は居なかった。

 そんな彼女から離れたところで男の子達はヒソヒソと話し出す。


「…なぁ、なんかアイツかわったよな?」

「うん、前はすごいイバってたしヤなヤツだった」

「…でもなんか、おじょうさまっぽくなったな、ヘメラ…」






 男の子たちの声が耳に入ったヘメラ、改めニクスは大きく息を吐いた。




 ヘメラ・イオラ関連の混乱から二日。ニクスは、イオラ家の面々からの反発もなく平穏に暮らしていた。

 貴族制度の面倒な話題が暫くはついて回るのではないかと心配したが、それは杞憂であった。

 神の代行者である【聖女】のヘメラ本人がそれを良しとし、昔から友人の一人も居ない娘を心配した両親は深夜を受け入れる事を決意したのだったが、その背景はニクスは気づく事は無かった。




 『聖神術は、傷も治せる』というヘメラの言葉を思い出しながら、ピリピリと痛む手を見つめる。


——人の身体は色々と勝手が違う。昂りと不安が心中を埋め尽くす。これなら自分のやりたい事も————と考えを巡らす。

 そこに執事長の息子、シュバルが近づきタオルを差し出す。


「お疲れ様ですヘメラ…いえ、ニクス様!」

「ありがとうございます、シュバルさん…」


 眼を逸らしながら二楠ニクスはタオルを受け取る。キラキラとした眼差しを向けられるのが、ニクスは苦手だった。


 ーーーーーー私ちゃんお医者さん達(一部除く)以外と仲良くできてなかったしなぁ…


 心の中で、自身の傍らで乙女ゲームについて教えてくれた看護師と医者の顔がよぎった。柔和な笑顔でいつも寄り添っていたが、今の側には会って二日の従者しか居ない。平たく言えば、超人見知りで不安だった。


『あら、私もいるじゃない』


 突然心の声に割り込んだのは悪役令嬢、もとい本家本元の【聖女】ヘメラ。

 意識が従者のいた現実世界から精神世界へと引き込まれる。






「いや、ヘメラちゃんは友達というより姉妹だって自分で言ってたじゃないですか」

「あら、私にいまだ敬語だなんて。お姉様に不躾じゃないかしら?」

「私ちゃん一四歳です…」


 自身の方が歳上だと判明した後、何度もそれを告げた。が、頑なに姉の座を譲らないヘメラに再度ため息を吐く。


 二人の精神は混ざり合い、精神世界で外で何が起こっているかから観賞するようになったとヘメラは言ってきた。

 それを告げた後に、さながら劇を観にきた観客のように、ヘメラはその日のニクスの行動に笑い転げていた。


「シュバルはよい従者ですわよ。さっさと慣れなさいな」

「家族さんならまだしも、あの人は暑苦しく苦手なタイプで…」

「そこがいいんじゃない」




「おーい、ニクス様ー?」


 平行線な二人の会話は、現実世界へ意識を戻そうとするシュバルが肩を揺らすまで続けられた。





 そして、もう一つニクスには困った事があった。それは——


「お帰りなさいませ、ニクス様」

「はい…アバントさ…様」


 圧倒的存在感を放つ、元【聖女】付きアバントの存在である。

 彼女は、二日前の事件以降屋敷内にずっと留まり続けていた。その目的ははっきりとしていなかったが、屋敷内では常にニクスの行動を見張っていた。

 猛禽類が、隙を晒す獲物を見逃さないように。はっきりと言えば、それも苦手なことの一つだった。


 例えば、就寝前に屋敷を歩いていた時は、話しかけずに彼女を遠巻きから見つめているのを、よく磨かれて反射した花瓶から気づいた。

 例えば、共に朝食を食べた際にも、目線こそはずっと見つめていた訳ではないが、常に視感されているのを感じていた。


『こ、怖…』


 恐怖。その二文字が心中を埋め尽くしていた。理由も分からず、かと言って彼女に話しかけにいく勇気もない。つまり、八方塞がりの状態だった。


「いや、直接行けばいいじゃないですの」


 そういうヘメラはあいも変わらず、美味しそうにカップに口をつける。彼女は美味しく物を頂く天才かもしれない。

 回りくどい、曲がりくねった事を好まない彼女は、そういう点ではニクスは尊敬していた。

 ——けれども。


「なんかあの人、私ちゃんの方に用事があるっぽいんですよね…多分」

「ふーん…」


 じゃあ尚更行けよ、といった具合にジッと彼女を見つめつつ返事を返す。紅茶を飲んでも、カップを机に置く際も一切目線を外さなかった。


「…はい、分かりました。ちゃんと行ってきます…」


 重圧に屈したニクスは、重い腰をあげ問題に直接対峙する事を決めた。

 ヘメラの方が怖いと思ったのは、内緒である。


 



 

———日も暮れ夕刻。夕食前にヘメラの部屋へと呼び出したニクスは、直球に質問を飛ばす。


「えっと、何で私ちゃんをずっと監視…見ているんですか、アバント様」

「監視…ですか」

「…はい。私ちゃん、視線には敏感なんですよ…!」


 自信に満ちたように胸を張ったのは、多少虚勢も入ったからだと、自分の行動に結論づける。本当はなんの自慢にならない事は誰よりも知っている。

 

「では、単刀直入に申し上げますと…」

「ひっ…」


 虚勢を超えた虚勢。すぐさまそのハリボテの張りも空気を失ったボールのように萎んでいく。

 そもそも変なことで自慢するんじゃない、と自責を繰り返す。

 そうして逃げる間もなく、アバントは目の前に立った。ニクスは、どんどんと今にも決壊しそうなほど涙が溜められていった。



 二人の間を、重い緊張が走る。

 その状態を破ったのは、アバントだった。


「貴女も…」


 思わず顔を背ける。迫り来る注射が恐ろしいからと逃げられるはずも無いのに。

 覚悟も決まらず、けれども続きを気にするニクスは薄く瞼を開く。


「もしかして、【聖女】になろうとしているのですか?」

「…ほぇ?」


 知らず知らず間抜けな声が出てしまったニクスは、あいた口がしばらく開いたままだった。

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