第2話 嘆願少女と提案少女

『殺せ、だなんて随分物騒ですわね?』


 パチン、と指を弾く音が白い空間に反響する。直後に、落下して割れたカップや溢れた紅茶は段々と透けていく。

 深夜が驚く間もなく、元から何もなかったかのようにそれらは消えた。そして消えたことに数秒遅れて驚いた。


 へメラは眉をひそめながら、深夜に視線を戻す。そこには、意思を固めた深夜が変わらず立ったままだった。


『大体わたくし神に選ばれた【聖女】ですのよ? 人を救うのは義務でも、その逆は財宝を積まれても有り得ませんわ』


 ヘメラは首を振りながら手の中に新しいカップを作り出す。熱い紅茶をイメージしたのか、湯気がもうもうと立ち上がる。

 首を振りながらそれを啜るが、飲みにくいようですぐに飲むのを止める。


『だって私ちゃんは“悪霊”みたいな感じなんですよ! …多分』


 自身の有害性を訴える深夜だが、最後の言葉は聞き取るのも難しい程小さかった。

 覚悟を決めた目をしていたのは、僅か数秒の事。今の彼女は、目はへメラを見ずに斜め下を、身体は小動物のように震えていた。


『はぁ…そんな事言われても全く面白く無いですわよ? 断定も確信もなく…私への世辞などのほうが私好みでしたわ』


 再び目線を外したへメラは、再度紅茶に口を付ける。

 彼女の瞳には出会った当初よりも冷たい印象を深夜に抱かせた。それはまさに“悪役”と呼ばれるに相応しい表情。それを見て深夜は、自身の全てを見透かされた感覚になる。


 それでも深夜は、負けじと、弱々しく声をあげる。


『えっと、だから…! 私ちゃんは悪い霊なんです! 生きてるへメラちゃんの心の中に居たら絶対迷惑かけるし、今も迷惑でしょう! だから…』

『そう? 今の貴女は、私を害する事も酷い事もしてないじゃない。私を傷つけたいのなら、ガツガツきなさいな。ほら、来なさいよ』

『…それは』


 一言で、深夜は黙り込む。

 確かに今は、”ヘメラの心の中では”何も起きていない。侵入者がやってきた異常事態にも関わらず、辺りを見渡しても白い空間が広がるのみ。

 促されても、煽られても動くことはできなかった。

 

 それが、ヘメラの次の一手を決めた要因だった。


 



『興醒めですわ。死にたいのなら、勝手にどうぞ』










 一瞬。指を弾く音のみが空間内に響く。すると、抜き身のロングソード、短剣、ボウガン、弓矢、鉈等が鈍い金属音を立てて床に並べられる。

 

 深夜は、呆然とした様子でヘメラの方を向くが、当の本人は目線どころか姿がなくなっていた。


 愕然とした深夜はヨタヨタとそれらに近寄る。その足は、変わらず小刻みに震えたままだった。

 目線は、右へ左へ。前世でナイフの一つも持った経験が無かった彼女でも危険性が一目瞭然なほど、刃は鋭く尖り、殺傷能力の高さをそれぞれが主張する。


 逡巡した彼女は、ロングソードを両手で掲げるように持ち上げる。刃に映るのは、怯え絶望した表情。気付かぬ間に、息を吐く回数は多くなる。


『はぁはぁはぁはぁ…』


 顔の筋肉は引き攣り、涙が止まらない。見捨てられ、一人になることは恐ろしかった。

 カタカタ…と震える柄を握る手には力が篭り、それでも近づかない。進んでは戻り、戻っては進み…


『…迷惑をかけちゃ駄目、私ちゃんは、存在が最悪…』


 ぶつぶつと、独り言を呟き始める。言葉の節々から、決意と悲壮感を込めた想いが溢れる。

 その時、彼女の背後から黒く澱んだ靄が噴き出る。震えが収まるのと比例して、噴き出る靄の量も増えてゆく。







 深夜の見えない場所でそれを見ていたヘメラは、驚いたように目を見開く。信じられない、と表情を浮かべたのを、深夜は知るよしも無かった。


『……!?』


 そして、剣は振りおろされ———











 カランカラン。


 辺りに甲高い金属音が響いた。


 剣が落ちた場所には、ただ白い床が広がっているだけだった。


『…やっぱりむり…』


 深夜は、その場でペタリと座り込み泣き始める。どれだけ決意を固めようとしても、迫り来る死は、どうしても克服する事は出来なかった。

 意識なく死んだであろう前世を、幸運に思った程死は恐ろしかった。






 それを見たへメラは、何度目になるか分からないため息をついた。そして、自身の頬をパン、と叩く。

 その後姿を表したヘメラの手にはハンカチが握られており、優しく彼女の涙を拭い去った。

 その表情は、冷淡な悪魔のようなものではなく、悲しみを包み込む聖母を思わせるようなものだった。先ほどと比べると、だが。



『貴女の覚悟は分かりましたわ。…一瞬でも貴女を過小に軽んじた事、お詫びいたしますわ』

『うっ…うっ…』

『それに、私は神に選ばれし聖女ですもの。やっぱり命の喪失は見逃すべきでは無いですわよね』


 そうへメラは、軽く言ってのけた。先ほどと言ってることが真逆で、まるで悪いことをしてしまった小さな子のようだった。

 それを見た深夜は、だったらもっと優しく言ってくれ、と更に泣き出したのだった。





 再度、着席した二人は改めて話し始める。話は、深夜の話さなかった前世の自身についてを、偽りなく話し始める。


『私ちゃん死んじゃう前は、病院で常に一人きりでした』


 未だ目尻の赤い深夜は、鼻をすすりながらぽつぽつと語る。

 語る彼女の背後には、先ほど命を絶とうとした時と同じように黒い靄が広がり、寝台に寝かされる一人の少女が浮かび上がった。

 へメラは、口を挟まずに手首を回転させ続きを促す。紅茶は手に無く、じっと深夜を見つめ続きを待つ。


『さっきは言わなかったんですけど、私ちゃんは“特別検体”という世にも珍しい人間で。珍しい病気を持った人間らしんですよね』


 だんだんと当時のことを思い出し落ち着いて、声のトーンは出会った当初よりも明るくなる。

 だが、映る場面では血を抜かれ、無機質に記録をする二人の白服の男女が映し出される。懐かしむように、遠い目をする。


『親を、殺したって言われて。お医者さんに。“お父さんとお母さんに会いたい”って頼んだら正直に教えてくれて』


 そう紡ぐ彼女は、悲痛な面持ちをしながら語りを止めない。


『仲の良い看護師さんやお医者さんもいたんですけど、私ちゃんの病気に罹って死んじゃいました。目の前で消えて…』


 映像には音声はついていなかったが、その表情は目の前のものより悲しげに、涙が溢れ出していた。

 映像では、衣服のみを残して人が骨の一片も残さず消えたのを見て、ヘメラは顔を歪める。


『だから、私がいたら皆に迷惑が掛かるし、死にます…だから私ちゃんは、消えた方が良い。でも自分じゃ、死ぬの怖いから消してほしいなって…』


 そこで、深夜は口を固く閉した。同時に靄も収まり寝込んだ少女は見えなくなった。それは、これ以上問答も何も必要ないと体現して——


『じゃあ私のところに来ます?』


 へメラは事もなげにそう言い放つ。

 深夜は、驚きのあまり下げた面を勢いよく振り上げる。唇はワナワナと、こちらも信じられないものをみたかのように、再び身体を震えさせる。


『えっ、今の話聞いて』

『聞いてましたわよ。要は、貴女は寂しいでしょう、救われたいのでしょう? ならば私の本領が発揮されるじゃないの』


 勢いよく椅子から立ち上がったへメラは、芝居がかったように大仰に腕を広げる。

 そして張りのある、自信が満ち溢れるような大声を空間中に轟く。

 

『私は【聖女】ヘメラ・イオラ。困る手が有れば掬って救い、絶望するなら私で希望させる』


 深夜の後ろに回ったヘメラは、彼女の手を引き立ち上がらせる。そしてダンスを踊る時と同じく、ガッチリと指を絡ませる。


『それがこの私なのですわ。貴女も私に救われなさい。神に選ばれた【聖女】に二言は無いの』

『でも私ちゃんは』

『くどい』


 片手を離したへメラは、空間内にまたパチン、と響かせる。

 直後に黄金に輝く扉が現れ、その眩しさに目を背ける。神々しく光るそれは、まるで天国の扉のようだと深夜は感じた。


『……いい、ですか。不幸になっても』

『なるわけ無いじゃない。だって私は【聖女】だもの! 私に貴女の不幸も未来も全部任せなさいな!』


 全然悪役なんかじゃ無いじゃん———小さく呟かれたその言葉は、ヘメラの耳に入ることは無かった。


『…末永く、よろしくお願いします…』


 高笑いをあげるへメラに、頬を赤くしながら深夜はお礼を述べる。耳に入っているかは定かではないが、握る手には、熱が篭った。


『では、行きますわよ!』



・・・・・・・

・・・・


 二人が扉をくぐる数分前。屋敷内では、未だ混乱が続いていた。


 呪術師のとの決着は、瞬く間に終わったが『屋敷内にはまだ多くの闇の魔力の反応がある』と、アバントは伯爵らに告げた。

 屋敷内を捜索すると、術者本人がおらずとも作動し続ける呪術の道具もあり、彼らは解除に多くの時間を割いたのだった。


 だが、【聖女】ヘメラを蝕む闇の靄は勢いを落としていなかった。どころか、溢れていた靄は彼女の身体へ吸収されていく。


「何故止まらない! 娘の呪いの解き方を吐け!」


 縄で両腕を締め付けられた女性の胸ぐらを掴みつつ、イオラ伯爵は怒りを込めた言葉を投げつける。引き摺りながらへメラの部屋の前まで連れていった為、服は擦り切れ肌には内出血が起こっている。

 だが、女性は意に返さず逆に挑発し返す。


「これは命を奪う呪術じゃない…! 魔王様への“贄”を作る儀式さ! あの娘は、魔王様の傀儡へとする為に闇に漬けた…アンタ達が私やブラフに夢中になっている間に、既に終了したのさ…ッ!」

「なんだとっ…メイラ!」


 掴まれた状態の女性を、メイラと呼ばれたイオラ夫人は蹴り飛ばす。飛ばされた先では、アバントが光魔法での治癒を行うが、構わず更に殴打を加えられる。


「いーっひゃひゃははは! 絶望するがいい! それが魔王様の力を増す…」


 殴られてなお口を閉じない女性に、執事長ヴェルは剣を突き立てようとする。その時、屋敷内が神々しい光で満たされた。

 謎の発光現象に、屋敷内はさらに騒然とする。


「皆さまこの光は、光魔法です! 安心してください!」


 アバントが皆を落ち着けるため、大声をあげる。それを聞いた屋敷の者たちは、一斉に件の部屋へと視線を向ける。


 光を掻き分け、歩き出す少女が一人いた。


「ま、まさか、そんなことが…そんなことがあっていいのか! 魔王様の傀儡になった筈…」


 女性はワナワナと、あり得ないと驚愕の視線を向ける。目は大きく開かれ、その目玉は今にも飛び出そうだった。


「なんか身体が重いと思ったら、闇の魔法が身体から溢れてますわね…あの子が来たのってこれが原因かしら?」


 少女は、血に塗れた顔を拭うとその箇所が淡く光る。すると、血色を失った肌は潤いを取り戻す。

 また、見るものを惹きつける美しい金髪の毛先には、艶のある漆黒が混じっていた。

 部屋の前で揃っていた両親を見つけた少女は、嬉しそうに口を開いた。


「お父様、お母様! 今日から私、妹が出来ましたわ!」

「よ、よろしくお願いしま…えっ?」


 碧眼の少女の瞳が黒く染まった瞬間、他人行儀な発言が飛び出したが、その言葉は驚愕に変わる。


「えっ」

「えっ」

「馬鹿なぁああああ!」


 

 少女、へメラ・イオラの衝撃の発言により屋敷内は絶叫に包まれ、女性は泡を吹いて失神したのだった。

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