第5話
その後、屋敷に送り届けてもらうと、当然、両親に勝手に抜け出したことがばれて叱られてしまった。
だが、ハーロルトが「バルバラは、父君を心配して行動していたようです」と庇ってくれたことでことなきを得た。
バルバラの父もドーン公爵の怪しい噂は聞いたことがあったらしく、これからの交流は控えると約束してくれた。
ハーロルトにもドーン公爵家について疑いの目を向けることに成功したとえいる。
「いろいろあったけど結果オーライかもしれない」
これでハーロルトがドーン公爵に悪感情を持てば、たとえ偽の手紙を持ち出して来ても簡単には信用しないだろう。
「後は……結婚のお返事……よね」
延ばし延ばしになっていたが、いい加減に返事をしなければならないのはわかっている。
両親もドーン公爵の一件でさらにハーロルトへの信頼を高めているし、ここまで世話になっておいて無理ですなんて言えるわけもない。
シュレンザだって懐いてくれているし、あの子をまた孤独にはしたくない。
でも、自分が相応しいとは到底思えなかった。
「はぁ……」
静かに落ち込んでいると、扉がノックされたのがわかった。
間を置いてメイドが部屋に入ってくる。
その手には可愛らしい花籠があった。
「お嬢様、失礼します」
「どうしたの?」
「先日、依頼されていたお花が届きました。贈り物ですよね」
「ああ、そうだったわね」
ハーロルトへの誕生日の贈り物に花を注文していたことを思い出し、メイドから花籠を受け取る。
形に残る物を送る勇気が持てず、いずれ枯れる花で誤魔化そうしていた自分と花束が重なった。
このまま彼らを破滅ルートから解放して別れたとして後悔しないだろうか。
花籠の花たちのように心を枯らしてしまう未来を想像するだけで胸が痛くなると言うのに。
「お嬢様?」
「……やっぱり別の物を贈るわ。買い物に出るから、準備して」
(ハーロルト様は真摯に接してくれている。私も、それに応えなくちゃ)
正直に全部話そう。
そしてハーロルトに気持ちを伝えてみよう。
(女は度胸よ!)
ぐっと拳を握りしめたバルバラはメイドを伴い、街へと出かけたのだった。
訪れたのはシュレンザがカフスボタンを購入した宝飾店だ。
落ちついた内装に加え、品のいい商品が揃っている。
(カフスボタンはシュレンザが贈っていたし……いざ、選ぶとなれば迷うわね……)
唸りながら商品を眺めていると、隣にいた男性にぶつかってしまった。
年齢はハーロルトと同じくらい。
背の高いその男性はさらりとした金色の髪に、鮮やかな青い瞳をしていた。
顔立ちは美しいが少し垂れた眦からは、どこか軽薄な印象を感じる。
「ああ、失礼しました」
「いや……こっちこそ……おや?」
「はい?」
彼は見つめ、目を丸くした後にやりと笑う。
その仕草に妙な既視感を覚える。
(この人、どこかで……)
「どこのご令嬢と思ったら、君か」
「ええと……どこかでおあいしましたか?」
「ふふ。ずいぶんと駆け引きがうまいな、私の運命は」
「は?」
ニヤニヤしながら男性が懐から取り出したのは、バルバラがドーン公爵家で落とした仮面だった。
「……!!」
「思い出してくれたかな?」
(この人、あの時の……)
パーティ会場でぶつかって仮面を落とした男だと言うことに気がつき青ざめる。
彼はあの場でバルバラの顔を見ていたのだ。
「ごきげんようレディ。僕はサンドロ・ドーン」
(ドーンって……ドーン公爵の息子!)
最悪な人物に顔を知られてしまった。
ドーン公爵の息子にして、王妃の弟である彼は小説の中では稀代の女たらしとして有名だった。
悪役としての活躍はないが、ハーロルトの手足としてさまざまな情報収集をしていた役どころだったと思う。
(はわわ……どうしよう)
「ずいぶんと探したよ。あの日、君のような女性を招待していた記録がなかったからね」
「それは、その」
どう誤魔化すべきかと考え込んでいると、サンドロはにっこりとひとの良さそうな笑みを浮かべた。
「ふふ……僕にあいたくてパーティに紛れ込んだんだろう? 悪い子だね」
「は……?」
「あの夜とは趣が違うが、やはりとても可愛らしい子だね」
(ぎえええ! 何この勘違い野郎!!)
どうやらサンドロはいろいろと自分の都合の良いように物事を捕らえているらしい。
ぱちんとウィンクをしてみせる仕草に鳥肌が立つ。
「名前を教えてくれないか、レディ」
「え、えっと……」
下手に誤魔化せばバルバラの正体がばれてしまう。
そうすればハーロルトにも迷惑がかける。
「バ、バーバラと申します!」
「バーバラちゃんか。可愛い名前だね」
「は、はは……」
咄嗟につい偽名を口にしてしまった。
サンドロは一切疑っていない様子で、なれなれしく距離を詰めてくる。
どうやって逃げ出そう。
そう考えながらサンドロの様子をうかがっていると、その腰にはジャラジャラとした悪趣味な飾りがいくつもぶら下がっているのが見えた。
(邪魔そう……ん?)
ゴテゴテとした飾りばかりの中、一つだけ妙に古めかしい鍵が交ざっている。
(え……あれって……!)
見間違えるはずがない。それはそれは小説の表紙にも描かれている秘密の花園の鍵だ。
(まさか……いや、絶対本物だわ)
花園の鍵は、先王とメイドの二人が持つ二つだけ。
小説の中で、ヒーローである王子は先王が残した鍵を使って花園に入っていたが、シュレンザの母親が持っていた鍵は行方不明という設定だった。
(でもなんでこいつが?)
作中で2本目の鍵は誰が持っているのが不明のままだった。
最終巻を読めばわかったのかもしれないが、ドーン公爵が隠し持っていたのだとしたらつじつまがあう。
ハーロルトを陥れた彼のことだ。鍵をどこからから入手していてもおかしくはない。
「まあ、素敵な鍵ですわね!」
「ん? 鍵? ああ、これか」
バルバラが自分に興味を持ったのが嬉しいのか、鍵を見せつけるように掲げるサンドロ。
「僕の父はこういうアンティークを集めるのが趣味でね。こっそり拝借したのさ。少々古びているが、おもむきがあるだろう?」
自慢げなサンドロに(パクってんじゃないわよ!)と心の中で突っ込みながら、その行いに感謝する。
「実は……友人の誕生日プレゼントを探していまして……彼……彼女もそういうものが大好きなのです。よければ今日の出会いの記念に譲っていただけません? もちろんお代は支払いますので」
サンドロが鍵の価値をわかっているとは思えない。
小説の中でも女性にはとことん弱い設定だったサンドロのことだ。こうやって甘えれば、鍵を売ってくれるかもしれない。
予想どおり、サンドロはでれでれと鼻の下を伸ばしてくれている。
「んん~~これは父のものなのだが……可愛い女の子の願いは叶えてあげたいなぁ」
あからさまな下心を覗かせたサンドロがじろじろとバルバラを値踏みするように眺める。
その視線に心の中では(こんのスケベ男!)とイラつきながらも、バルバラは笑顔を作りつづけた。
こんなことくらいで鍵が手に入るなら安いものだ。
「ん~そうだなぁ……じゃあ、お金はいいから僕とデートしておくれ」
「へ!?」
「そうしたらこれをあげるよ」
鍵を掲げてにやつくサンドロに、バルバラは口の端をひくつかせる。
「よし、決まりだ。さっそくだけど明日はどう? またここで待ち合わせしようよ」
「えっ、えっ」
「場所は僕に任せてね。あ~楽しみだなぁ」
勝手に話を進めるサンドロに口を挟めないでいる間に予定が組み上がっていく。
断る隙すら与えられず、サンドロは「また明日」と去っていってしまった。
「どうしよう……でも、やるしかないのよね」
取り残されたバルバラは頭を抱えたが、これはチャンスなのだと自分に言い聞かせたのだった。
そして翌日。
約束どおり再び宝飾店を訪れたバルバラを迎えに来たサンドロに案内され、二人はバラ園に来ていた。
(よかった……怪しげな場所じゃなくて)
周囲には同じように散策に来ている男女が多く、人目もあるのでサンドロも無体なことはできそうにない。
「綺麗でしょ~僕、バラが好きなんだよね」
サンドロは無害そうな笑顔を浮かべながらしきりに話しかけてくる。
本気でバルバラを口説こうとしているのか、それともこれが素なのかわからない。
油断すれば手を握り肩を抱こうとしてくるなれなれしさに苛立ちながらも、バルバラはなんとか機嫌を損ねないように必死に笑顔を取り繕う。
すれ違う男女は仲睦まじい組み合わせばかりで、だんだんと虚しさがこみ上げてくる。
(せっかくならハーロルト様と一緒に来たかったな)
不意にハーロルトの顔が思い浮かぶ。
きっと一緒に歩いたら楽しかっただろうに。
「僕が傍にいるのに考え事?」
「っ!?」
目の前にサンドロの顔があった。
考え事をしていたせいか周囲には人気がなくなっていることに気が付かなかった。
背中には大きな生け垣があり、逃げ場もない状況だ。
「ふふ……そんなに怖がらなくていいよ。僕はね、君みたいなお転婆が大好きなんだ」
「わ、私はあなたのような軽薄な男性は嫌いです」
「冷たいなぁ……そこもいいんだよね」
「ひっ」
(こいつ、変態だ)
サンドロは一切離れる気配がない。
「ねぇこの鍵が欲しいんだよね? キスさせてくれたらあげてもいいよ」
「は!?」
「僕、打算的な女の子も大好きだからさ。ね?」
じりじりとサンドロの顔が近づいてくる。
「っ、いやっ!」
(ハーロルト様!)
顔に息がかけり、むせかえるような香水の匂いに涙がにじんだ。
「……ずいぶんと慎みがないな」
「……!」
冷ややかな声にサンドロが動きを止めた。
その向こうに誰かが立っているのが見えた。
「……ハーロルト、様?」
そこにはまるで氷のように冷たい表情でこちらを睨み付けるハーロルトが立っていた。
傍には数名の騎士や文官がいて、彼が仕事中なのがわかる。
「なんだ? ……げ」
不機嫌そうな顔で顔をあげたサンドロは、ハーロルトの姿を認め、顔をしかめた。
「何しにきたんだ? まさか姉上に頼まれて僕を見張りに?」
「まさか。このバラ園の整備計画のために視察中だ」
(そっか……二人は知り合いだったわよね)
浅からぬ縁の二人だ。何かしら交流があってもおかしくはない。
「あの、ハーロルト様、私」
誤解を解かなければとバルバラが声をかけようとするが、偽名を名乗っていることもあり、何から話せばいいのかわからない。
言葉が見つかる前に、サンドロがわざとらしく大きな声をあげた。
「まったく、デートの邪魔をするなんて無粋だな」
「っ、違……」
「……邪魔したようだな」
「っ!」
ハーロルトは冷たい表情でバルバラを睨むと、そのまま立ち去っていってしまった。
弁解も、言い訳も、謝ることもできなかった。
追いかけることなど同然できるわけがない。
(私、なにやってるんだろう)
「邪魔者はいなくなったな。じゃあデートの続きを……」
「帰ります」
「は!? え、ちょっと……」
戸惑うサンドロを振り払い、バルバラは走り出す。
待たせてあった馬車に逃げるように駆け込み、家に帰ってと告げ、両手で顔を覆う。
(最低だわ私。本当に最低)
情けなさと虚しさと悲しみで頭の中が真っ白だった。
ハーロルトに誤解されたことがこんなにも悲しい。
「……でも、逆によかったのかもしれない」
これでハーロルトのバルバラに対する印象は最悪になっただろう。
お見合いをしている相手がいるのに、他の男と出歩いていたなんて知ったら、たとえ百年の恋でも冷めるに違いない。
「手紙だけでも届ければ破滅は回避できるし……順番が入れ替わっただけで、計画どおりじゃない。これでいいのよ」
自分を納得させるように呟きながらも、涙がとまらなかった。
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