第4話
「バルバラ! みて! 芽が出ているわ!」
「本当ですね! シュレンザ様が毎日お水をあげていたからですよ」
「お父さま! これ、私がお世話したのよ」
「すごいな。よく頑張ったね、シュレンザ」
ハーロルト邸の庭を訪れていたバルバラは、シュレンザと一緒に植えた花がつぼみをつけているのを見つけハーロルトと共に歓声をあげていた。
周りから見れば完全に仲の良い親子だ。
あの後、ハーロルトはバルバラを守るようにつきっ切りでエスコートしてくれ、周囲からもすっかり婚約者と認知されてしまった。
帰宅した際も、家まで送り届けてハーロルトは紳士な態度で両親の心も掴んでしまった。
(私の両親だけあって、あの顔の良さには勝てなかった……!)
すっかりほだされた両親を思い出しため息をつくバルバラ。
もうこのままでは結婚秒読みじゃない! と焦りつつハーロルトの横顔を見つめれば、不意に視線がぶつかり微笑まれてしまう。
「バルバラが手を貸してくれたおかげだ。ありがとう」
「いえ、そんな……」
(こんなに顔がいいうえに、中身まで紳士だなんてずるいわ)
すっかりハーロルトに気持ちが傾きつつある。
だからこそ、余計にこのままではいけない。
(早くハーロルト様がシュレンザと幸せに過ごせるようにして、早くお断りの返事をしなきゃ離れられなくなっちゃう)
たとえ復讐の道に進まなくとも、ハーロルトはその才能からいずれ宰相になるだろう。
その時、バルバラが妻だなんて荷が重いし、あまりに不釣り合いだ。
(決して二人のことは嫌いじゃないわ。ハーロルト様は素敵だし、シュレンザ様は可愛い。でも、私じゃ無理よ。もっと地位が高くしっかりした人じゃないと……)
舞踏会の夜、ハーロルトに熱烈な視線を向けていた令嬢たちを思い出す。
自分より身分も高く美しい彼女たちの方が、ハーロルトの横に立つのには相応しい、はずだ。
彼女たちの誰かがハーロルトたちの横に立つ姿を想像すると胸が痛むのは何故だろうか。
(ハーロルト様が私に優しくしてくださるのは、シュレンザ様が懐いているからなのよ……勘違いしちゃ駄目……早く本物の手紙を届けてハーロルト様が騙されないようするのが私の役目よ)
「バルバラ、早く咲くといいね」
「そうですね」
無邪気に微笑むシュレンザを見つめながら、バルバラはひっそりとため息をつくのだった。
その日、バルバラとシュレンザは二人で街に買い物に来ていた。
小さな宝飾店から出てきたシュレンザの手には小さな箱が抱えられている。
「ありがとうバルバラ様。お父さまへの贈り物を一緒に選んでくださって」
「お安いご用ですよ。素敵なものが見つかって良かったですね」
「うん」
(可愛い~~!!)
嬉しそうに小さな箱を抱きしめるシュレンザ。
その箱の中には、シュレンザが自分で選んだカフスボタンが入っていた。シュレンザの瞳と同じ水色の宝石がはまっている。
ハーロルトの誕生日が近いこともあり、シュレンザに誕生日プレゼントを買いに行くのに付き合って欲しいと頼まれ同行していたのだ。
「バルバラ様は何を選んだの」
「私は……お花を贈ろうかと」
「えぇ? それだけ?」
「ええ」
(いずれ離れるのに形に残る物なんて贈れないわ……)
不満顔のシュレンザを宥めながらお菓子でも買って帰りましょう、と意識を逸らそうとする。
(ん? あれは……?)
視界の先。やけに豪華な建物に入っていく成金風の男に目がとまる。
着ているものも上から下までやたら金をかけていて悪趣味だ。
(絵にかいたような金持ち貴族よね……んん??)
その貴族が持っている宝石の沢山ついたステッキに見覚えがあった。
(あれって、挿絵でヒロインを殴りつけるドーン公爵が持っていたやつじゃない? じゃあ……)
成金風の男とまじまじと見れば挿絵で見たドーン公爵よりはいくらか若いが、たしかに面影がある。
(ドーン公爵だわ! ……あいつのせいでハーロルト様とシュレンザが!)
鋭い視線をドーン公爵に向けていると、シュレンザが不思議そうな顔をする。
「どうしたのバルバラ? お菓子を買わないの?」
「ええっと……あ、あちらによい店がありますよ!!」
シュレンザをドーン公爵から隠すように誘導しながら、バルバラは公爵が入っていった建物を振り返るのだった。
その夜、父親の書斎に忍び込んだバルバラは、引き出しをこっそりと漁っていた。
引き出しの中には数多の招待状がつまっている。
「あったわ! ドーン公爵家からの招待状!」
ドーン公爵家は、王妃を輩出した家であること傘に着て贅沢三昧で有名。
小説の中でもドーン公爵は陰で私腹を肥やし悪事に手を染めていた。
裕福な貴族であるバルバラの父親にも怪しげな投資話を持ち掛けようとしてもおかしくないと踏んだのだ。
予想どおり届いていたドーン公爵家からの招待状は、明らかに怪しげな夜会へのものだった。
おあつらえ向きに、開催場所はドーン公爵の屋敷。
「ふふ……手紙を見つけ出すのが無理なら、ドーン公爵を失脚させてしまえばいいのよ!」
「こっそり屋敷に侵入して、何らかの悪事の証拠を掴めばドーン公爵は失墜……ハーロルト様に近づくこともできなくなるはずよ」
ぐっと拳を握りしめながら、バルバラは闘志を燃やすのだった。
仮面を被り派手に着飾ったバルバラは、ドーン公爵の屋敷で開かれている夜会に忍び込んでいた。
周囲には似たような怪しげな服装の紳士淑女がたむろっておりバルバラの姿は目立たない。
人ごみを避けるようにして屋敷の居住区に忍び込む。
(書斎にでも行ければ、絶対何かあるはず……とにかく、彼が信用できない人間だと思わせればいいのよ)
そう意気込んでみたものの、はじめての建物、しかも夜ともなれば自分がどちらから来たのかもよくわからなくなる。
気がついた時には完全に迷子になっていた。
(ひーん! なんでこんなに広いのよ~!)
半べそを掻きながら廊下を歩いていれば、その先に先に薄明かりが盛れた部屋が見えた。
助かった、と思い近づくと中から話し声が聞こえてくる。
「なら、例の情報は手筈どおり隣国に……」
「これでまた武器が売れますな」
「公爵様の手腕には驚かされるばかりです」
(な……!)
薄く開いた扉から部屋の中を覗けば、商人風の男たちと公爵が何やら声をひそめて相談ことをしていた。
(あれは絶対悪巧みをしている顔よ……なにかもっと、情報になるような……)
もっと詳しく聞きたいとドアに顔を近づけすぎ、物音をさせてしまう。
「誰だ!」
(やばっ!)
急いでその場を逃げ出す。
なんとかパーティ会場まで戻るも、背の高い男性にぶつかり仮面を落としてしまった。
「すみませんっ」
謝りながら顔をあげれば、男性が仮面の下で青い瞳を丸くしたのが見える。
「君……」
落ちた仮面を拾い上げる男性に返してと声をかけるべきかと迷うが、奥から怪しげな男たちが走り寄ってくるのが見え、バルバラは踵を返した。
(拾っている暇はないわ。早くここを出なきゃ)
会場を抜け出し玄関ホールまで来たが、すでにそこには公爵と商人たちが先回りしていた。
「くそ……あの女、どこに逃げた」
「こっちに逃げたはずですが……一体どこの間者でしょうか」
「わからぬ」
(どうしよう……)
屋敷の入り口でたむろしている男たちの剣幕に、血の気が引く。
どこに逃げるべきかと柱の陰に身をひそめるが、うっかり物音を立てて閉まった。
(しまったっ……!)
「おい、なにか音がしなかったか?」
(どうしよう)
もうだめ。そう思った時だった。
「何の騒ぎですか」
落ちついた声がその場に響いた。
男たちが息を呑み、その場の空気が硬くなったのがわかった。
「これはこれは。いらっしゃっていたのですが」
「ずいぶんと物騒だな。何か問題でも?」
「いえいえ大したことでは……」
先ほどまでとは打って変わって公爵の口調は丁寧だし腰が低い。
よほど位の高い相手と話しているのだろうか。
(でも、この声、どこかで……)
しばらく会話が続いた後、公爵たちがその場から立ち去っていく足音が聞こえた。
誰の気配もしなくなったのを確かめ、バルバラはそっと柱の陰から顔を出す。
「なにをしている」
「ひっ……!」
まだいた! と青ざめて顔をあげれば、そこには背の高い仮面の男性が立っていた。
先ほど会場でぶつかった相手かとおもったが、服装と仮面が違う。
なにより仮面の奥から覗く瞳は、真っ黒で。
「……ハーロルト様?」
「やはり君か」
ため息交じりの声と共に仮面が外された。
それは紛れもないハーロルトで。
「ああ……」
安堵からその場にへたり込めば、ハーロルトが手を差し出し支えてくれる。
大きくたくましい腕に心臓がドキリと高鳴る。
「バルバラ。どうして君がここにいるんだい?」
「えっと……あ、あははは……」
まさかドーン公爵の悪事の証拠を探そうとしていたとは言い出せず笑って誤魔化せば、ハーロルトが眉間にしわを寄せたのがわかった。
明らかに怒っている。
「とにかく帰ろう。送っていく」
「いえ、私は」
「行くぞ」
「……はい」
ハーロルトの剣幕に勝てず、バルバラは手を引かれるままに馬車に乗り込んだのだった。
向かい合わせに座った馬車の中。
ハーロルトは腕を組み、じっとりとした視線をバルバラに向けていた。
表情はいつものように冷静だが、まとっている雰囲気はどこまでも不機嫌で。
(怒っている。何でかわからないけどめっちゃ怒っている)
「バルバラ。どうしてあの場所に?」
「ええっとぉ……」
「君のような若い女性が同伴者もなく、あんな集まりに参加するなど……どれだけ危ないことをしたと思っているのだ?」
「……申し訳ありません」
「このことを、君の御家族は?」
「……」
「はぁ……」
深いため息に身がすくむ。
怪しげなパーティに出入りする、はしたない娘だと失望されたに違いない。
(でもこれで……結婚相手には相応しくないと思ってくれるかも……)
婚約を断る理由になったからいいじゃない。
そうしたかったはずなのに、何故か胸が痛い。
「何があった?」
「……え?」
「君がこんなことをしたのには理由があるはずだ。もし助けが必要なら、打ち明けてくれないか?」
思いがけない言葉に、バルバラは目を丸くする。
ハーロルトは怒ると言うよりも、バルバラを案ずるような表情を浮かべていたのだ。
「怒ってないのですか?」
「怒ってはいる。それに呆れている。だが、それ以上に心配なのだ」
「あ……」
「君が無事でよかった」
心から言ってくれているのがわかった。
胸が締め付けられ、涙がにじむ。
(ああもう駄目だ。私、この人のこと)
本当はとっくに惹かれていた。
あれこれ理由をつけていたが、ハーロルトという人物は立派な人だ。
荷が重いのではない、自分には勿体ない人なのだ。
一瞬、ハーロルトと結婚しシュレンザの母になる未来が頭をかすめる。
きっとそれは幸せに違いない。でも。
(しっかりするのよ私。彼が私を気にかけてくれるのは、シュレンザの母親が欲しいからなんだから)
決してバルバラを好いていてくれるからではない。
勘違いしてはいけない。
(私にできることは彼らを破滅ルートから解放すること。こんなに素敵な人なんだもの。すぐにもっといい女性と巡り会えるわ)
顔がいい人がいいなんて不純な動機でお見合いをしたバルバラなんかよりもずっと。
そのためにやるべきことをやらなければとバルバラは背筋を伸ばす。
「実は……」
バルバラは、父親がドーン公爵に怪しげな投資話を持ち掛けられているのを盗み聞きしていまい、騙されたのかもしれないと心配になり招待状を使ってこっそり参加したという説明を口にした。
そして、ドーン公爵を探しているうちに迷子になってしまい、怪しげな取り引きをしている現場を見てしまい男達に追いかけられたのだ、と。
(大筋で嘘は言ってないからセーフ!!)
「なるほど……」
納得した様子のハーロルトにほっと胸をなでおろすバルバラだったが、すぐに鋭い視線を向けられ背筋を伸ばす。
「事情はわかった。だが、君が危険なことをする必要はなかったはずだ」
「……もうしわけありません」
「謝ってほしいわけじゃないんだ……ただ……」
「?」
「……俺はそんなに頼りない男じゃない。困った時は頼って欲しい」
「!!」
どこか拗ねたような顔をするハーロルトに、胸がきゅんと締め付けられる。
本当に優しい人なのだ。
「……ありがとうございます」
「君の心配もわかった。ドーン公爵は、こちらでも調査をしておこう。これ以上、君が関わる必要はない。二度と危険なことはしないでくれ」
「はい……」
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