第3話

 


「ハーロルト様が復讐を決めるのはドーン公爵が作った偽物の手紙を読んだから、だったわよね」


 自室で机に向かい、バルバラは前世の記憶を総動員していた。


「そもそもすべてはドーン公爵が招いた政略結婚による悲劇のせいなのよね」


 少々ややこしい話だが、ドーン公爵の娘である王妃は先王の王妃でもあった。

 先王は身体が弱く元々世継ぎは見込めないと言われていたのだが、ドーン公爵が強引に婚姻を進めたのだ。

 結局、結婚後まもなく先王は病床に倒れその命を落とした。

 跡を継いだのは王弟のハーロルトではなく、彼らの叔父。

 若く清いままで寡婦となった王妃を哀れんだ彼は、自分の妃に迎え、今に至る。


「でも本当は違う」


 元々、王妃は今の国王と恋仲だった。

 それを引き裂き、ドーン公爵が強引に国王に嫁がせたのだ。

 それを知っていた先王は王妃とは清い関係を貫き、いずれ自分が没した後は二人を添い遂げさせようと遺書まで残していた。


「そして先王陛下もまた恋に落ちた」


 病床にあった先王は自分を献身的に世話したメイドと恋に落ちた。

 王妃もそれを応援し、短い人生と知りながらも深い愛を育んだ二人は子どもに恵まれる。

 それがシュレンザだ。

 存在が明らかになればドーン公爵によって二人が危険にさらされると考えた先王は、死ぬ間際にハーロルトに二人を託したのだ。


「でもシュレンザのお母さんは死んでしまい、ハーロルト様がひとりで育てることになったのよね」


 先王はハーロルトが巻き込まれることを望まず、多くを語らなかった。

 いずれはシュレンザの母親が伝えると思っていたのだろう。でもそれは叶わなかった。


「そしてハーロルト様は、王妃様と疎遠になってしまった」


 何も知らないハーロルト様にしてみればシュレンザは兄の不貞の証だ。

 知られれば、危険な目にあうと思ってしまったのだろう。

 存在を隠し通し、自分の庶子として育てることに決めた。


「そこをドーン公爵につけ込まれるのよね」


 王妃は今の国王との間に王子を産んでいる。

 国王が死ねば、王位は王子……つまりドーン公爵の孫に引き継がれることになる。

 幼い国王を支える名目でドーン公爵は王家に入り込み、私腹を肥やせると考えた。

 そのために邪魔な国王を排除する必要がある。


「自分では手を汚さず、ハーロルト様を悪役にするなんて……本当に嫌なやつ」


 先王は王妃を得ようとを目論んだ叔父により毒を盛られ死んだ。

 ハーロルト様はそう信じ込まされてしまうのだ。


 正式なタイミングはわからないが、シュレンザを大切に育てるため母親役を求めて政略結婚するものの、結婚相手はハーロルトの見た目を怖がり近寄らず、シュレンザも可愛がらない。


「その結婚相手が私ってことよね……私だったらハーロルトを怖がらないしシュレンザを可愛がるのに」


 もしかしたらバルバラが「訳アリでもいいから顔のいい男!」と発言したことで未来が少し変わってしまったのかもしれない、なんておもう。

 継母の名前は出てこないが、語られていた描写ではかなり気位の高い高位貴族の女性だったはずだ。

 バルバラの設定とはかなり異なる。


 そんな冷え切った家庭に兄からの手紙が見つかったと届けられる。

 恨みを晴らしてほしいと訴える兄からの手紙を信じたハーロルトは、復讐に燃え宰相の座を得るとシュレンザに苛烈な教育を施すようになる。

 王子と結婚し女王になるように、と。

 そして二人は物語の中では悪役として恐れられる存在になっていくのだ。


(ドーン公爵はハーロルトの心の隙を狙って手紙を送ってくるに違いないわ)


 バルバラにできることは、とにかく二人を仲よくさせてドーン公爵に付け入る隙を与えないことだ。

 頻繁にハーロルトの屋敷を訪れ、ひとりで過ごすシュレンザと遊び、ハーロルトと顔を合わせる度にシュレンザの成長ぶりや可愛さを説いて聞かせ、一緒に作ったお菓子などを渡す。

 一緒に花を植えたりなどをして過ごしていると虫が出てきて、二人で大騒ぎする姿にハーロルトが目を丸くするなど微笑ましい時間が過ぎていく。

 数ヶ月を過ぎた頃には、すっかりシュレンザはバルバラに懐いて、まるで家族のような仲睦まじさとなっていた。

 最初の頃に比べて、ハーロルトとシュレンザも仲良くなっていることに満足げなバルバラ。

 屋敷の使用人も、バルバラが来るようになって屋敷が明るくなったと歓迎ムード。

 せっせと通うバルバラの姿に、父親も「ベルクマン殿と結婚する気になったか?」と聞いてくるが「それとこれと話は別!」と誤魔化しつづけていた。


「このままだとうっかり結婚しちゃうことに……でも二人を見捨てるなんてできない。早くなんとかしないと。他に私にできることといったら……そうだ、手紙よ!!」


 乙女騎士の作中で、主人公はお城にある秘密の花園に隠された本物の「先王とシュレンザの母親との手紙」を発見する。

 優しい彼女はそれをハーロルト様に届けようとするのだ。


「あの手紙を先にハーロルト様に届けられれば、嘘の手紙に惑わされないかもしれない……今はまだヒロインはシュレンザと同じく幼女。つまりまだ本物の手紙は花園の中!?」


 この物語の鍵となる手紙を発見すれば、今はまだぎくしゃくしているハーロルトと今の王様や王妃様の関係も改善するし、シュレンザも悪役令嬢にならないで済むかもしれない。


「やったぁ! じゃあさっそく花園に……え、でもどうやったら王宮に行けるの?」


 解決策が見つかったと思ったら、再び壁にぶつかってしまった。

 さてどうするかと頭を抱えていたバルバラの元に、ハーロルトから一通の招待状が届いた。

 それは王宮で行われる舞踏会の招待状だった。


『是非ご一緒に』


 添えられたカードに描かれた短い一言。

 神経質そうな文字だというのに、何故か心が躍ってしまう。


「嬉しい……じゃ、なくて! これは千載一遇のチャンスだわ!」


 バルバラはぐっと拳を握りしめる。


「舞踏会で隙をついて例の花園に入り、手紙を見つける。その手紙をハーロルト様にこっそり届けて誤解を解けばいいのよ。ついでに、この舞踏会で我儘な困った令嬢を演じてハーロルト様に呆れられてあっちから振ってもらう! 一石二鳥! 完璧だわ!」


 ハーロルトとシュレンザのことは幸せにしたいが、結婚して家族になるまでの責任は持てない。

 胸は痛むが、これが最善なのだ。

 そう考えながら、バルバラは嫌な女に見えるように派手なドレスと装飾品で着飾ること決めた。


 真っ赤で趣味の悪いドレスは露出も多く、恥ずかしかったが背に腹は代えられない。

 迎えに来たハーロルトはそんなバルバラに驚きつつも、優しく微笑み手を差し出してくれたのだ。

 舞踏会でもあれが飲みたい食べたいと我儘な態度を演じてみせるが、ハーロルトはずっと優しくバルバラに接してくれて。


(うう、悪女になれないよぉ)


 世の中の悪役令嬢のメンタルの強さに尊敬を感じつつ、バルバラは会場の片隅で深いため息をついた。

 会場に視線を向ければ、ハーロルトが社交のために他の貴族と話をしている姿が目に入る。

 凛々しいその姿に胸がきゅっと締め付けられる。

 周囲はハーロルトに畏怖の視線を向けながらも、間違いなく彼を尊敬しているのがわかる。


(悪役にならなければ、きっと素晴らしい宰相になるはずだわ)


 そんな風に考えていると、近くにいた令嬢立ちが「きゃあ」と黄色い悲鳴をあげたのが聞こえてきた。

 彼女たちの視線の先にいるのはハーロルトだ。


(黒髪黒目で怖がられているけど、それ以外は普通にかっこいいもんね。それに王家の血を引いてらっしゃるし)


 何故かモヤモヤとしたものが胸の中にこみ上げてくる。

 一体この気持ちの正体がなんなのか。

 まとまらない考えにぼんやりとしていると、不意に視界に影がかけった。

 顔をあげれば、ずいぶんと背の高い男性が目の前に立っていた。

 今のバルバラに負けずとも劣らない悪趣味な衣装に身を包んだ、ずんぐりとした体型の中年貴族がそこにいた。


「おいお前。どこ家の娘だ? それとも娼婦か? こんなに下品な格好をして……誘っているんだろ?」


 舌なめずりをしながら声をかけてくる男性のわかりやすい下心に、バルバラは思わず顔をしかめる。


「まさか私美形にしか興味ないので」


 思わずぽろりしてしまった本音に、男性がざっと顔色を変えた。


「なんだと!」

(し、しまったぁ)


 周囲からは咎めるような視線が集まりはじめている。

 どうやら痴情のもつれと思われているのか、皆声をひそめて顔をしかめていた。

 目の前の男性は袖にされたことに怒り心頭で唾を飛ばしながら怒鳴っていた。


「こっちにこい!」

「いやっ……」


 大きな手が伸びてきた。

 掴まれるとおもったが、その手は誰かによって阻まれる。


「私のパートナーに何か用かな?」

「ひっ」


 低い声で男性を睨み付けていたのはハーロルトだった。

 男性はハーロルトが誰が気がついたのだろう。さっと青ざめるとうわずった声で謝罪しながらその場を去っていった。


「大丈夫か? バルバラ嬢」

「……はい」

「よかった」


 気遣ってくれる言葉に泣きそうになった。

 どうしてこんなに優しくしてれるのか。


「これを」


 どこから持ってきてくれたのか黒いショールを肩にかけられる。


「あまり肌を露出するのはよくない。あなたの美しさに寄ってくる男は彼だけではないかもしれない」

「っ……」


 どう返事をしていいかわからずに立ち尽くしていると、美しい音楽が流れはじめた。

 見ればホールでのダンスがはじまっていた。


「私と踊っていただけますか」


 まるで導かれるように、ハーロルトの手を取っていた。

 ダンスホールの中央で踊っていると、この世界の主人公になったような気分になる。


(もしこのまま一緒にいられたら……)


 そんな考えが一瞬頭をよぎる。

 ドーン公爵の悪事を暴き、ハーロルトと結婚してもいいじゃないか、と。


(っ、て駄目よ。私には荷が重すぎる!)


「っ、ごめんなさい!」

「バルバラ嬢!?」


 曲の終わりと共にハーロルトを振り切ったバルバラは、真っ直ぐに庭園へと駆け出していた。

 これ以上一緒に踊っていたらハーロルトを好きになってしまうとおもったから。


「ええと、たしか……」


 前世の記憶を頼りに、なんとか花園の前まで来こられた。

 だが……門扉はしっかりと施錠されていた。


(そんなぁぁ~~)


 バルバラはがっくりとうなだれる。

 一体なにをしに舞踏会に来たのかわからない。


「うう……私の馬鹿」


 ハーロルトから渡されたショールがやけに重く感じた。

 とぼとぼと会場に歩いていると、向こうから誰か駆け寄ってくるのが見えた。

 それは息を切らせたハーロルトだった。


「バルバラ嬢! どこに行ったのかと探したぞ」

「え……私を探して……?」

「まだ誰かに絡まれているのかと」


 その優しさにますますいたたまれなくなる。

 どうしてこんなに優しくしてくれるのか。


「……ごめんなさい」


 素直に謝れば、ハーロルトはふわりと微笑む。


「いいんだ。でも、女性の一人歩きは危ない。どうか気をつけてくれ」

「……はい」

「この庭園を歩くのは久しぶりだな」


 バルバラを気遣っているのか、ハーロルトが場を和ませるようにやわらかな声をあげた。


「昔、兄と一緒にここでよく剣の練習をしたものだ」

「……お兄様……先王陛下ですか?」

「ああ。兄は、こんな見た目の俺を唯一慈しんでくれた大切な家族なんだ」


 何かを懐かしむように目を細めるハーロルトの横顔に胸が痛んだ。

 今の彼は決して悪人などではない。

 悪人になんかさせてはいけないと思う。


「今度はここにシュレンザを連れてこよう」

「ええ、きっと喜びます」


 頷けばハーロルトは嬉しそうに頷いてくれたのだった。

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