第2話

 


(きてしまった……)


 ハーロルトの屋敷を見上げ、バルバラは深いため息をついた。


(とにかく今日、でっかい失敗をやらかして呆れられるなり嫌われるなりすればいいのよ!!)


「バルバラ様、ごきげんよう」

「シュレンザ様! 今日もお可愛らしい!」


 だが満面の笑みで出迎えてくれるシュレンザの可愛らしさに、決心が吹き飛ぶ。

 聞けばハーロルトは仕事の都合で家を空けているらしい。

 広い屋敷で使用人とだけ過ごすシュレンザは、人恋しいのかバルバラにべったりだった。


「お父さまは忙しくていらっしゃるから……私のこと、きっとあまりお好きでないの」

「そんなことないですよ!」

「バルバラ、一緒に遊んでくれる」

「ええ、もちろん!!!!!!」



 しばらく一緒に遊んでいると、興奮で疲れてしまったシュレンザが眠ってしまった。

 その頭を優しく撫でながら、バルバラは切ない気持ちになっていた。


(こんなに可愛らしくていい子なのに……)


 今はまだ小説の中でみせるような悪役令嬢の片鱗もなく、素直で優しいシュレンザを可愛いと思う。

 同時に、シュレンザを悪役にしてしまうハーロルトに怒りを感じる。


「こんな可愛い子を一人きりにして! ひどい人!」

「……そう言われても仕方がないのかもしれないな……」

「!!」


 いつの間に帰ってきていたのか、ハーロルトが背後に立っていた。

 ハーロルトは眠ってしまったシュレンザを抱き抱えると黙って歩き出してしまう。

 ついていけば、可愛らしい調度品とぬいぐるみが溢れた部屋が。そこがシュレンザの部屋とわかり驚くバルバラ。

 ベッドにシュレンザを寝かしつけ、その頭を撫でるハーロルトの横顔に愛情の片鱗を感じ取る。


(もしかして、ハーロルトもシュレンザを大事に思っているのかしら)


 バルバラは小説とは違う雰囲気の二人に思いを巡らせる。


「待たせてすまない。娘の相手をしてくれて助かった」

「……とてもお寂しそうでしたよ」


 つい、冷たい口調になってしまう。

 だがハーロルトは怒る様子もなく「そうだな」とどこか切なげ。

 無言になってしまった空気に耐えきれず、バルバラは今回のお見合いを回避すべくいろいろと自分がハーロルトに似つかわしくないという話題を振る。


「私、社交界とかお付き合いが苦手で……」

「奇遇だな、俺もだ」

「どっちかというと家で静か~~にしているのが好きなんです」

「それはいい。シュレンザも一緒に過ごしてくれる相手ができるときっと喜ぶだろう」

「私、本当に見た目が平凡で!」

「とても愛らしいと思うが?」

(魅惑の微笑! 人たらし! 人たらしがいるぞ!)


 何を言っても笑顔で躱され、受け止められてしまう。


「……私のような何の後ろ盾もない娘にハーロルト様の妻は務まりません!」


 しっかりはっきりと口にし、断れた! と肩で息をするバルバラだったが、ハーロルトは無言でバルバラを見つめ、それからふわりと微笑む。


(か、顔がイイッ!!!)


「なるほど。そんなことを気にしていたのか。俺は王家の血を引く。後ろ盾など今さら求めていない」

「で、でも……私のような小娘では……」

「あなたは十分に魅力的だと思うが?」

「うぐぐ……」


 何を言っても流され頭を抱えたくなる。


「……もし、あなたが俺との結婚をまだ決断する勇気がないのならそれでもいい。でも、もしよければ今日のように時々我が家に来てシュレンザの相手をしてくれないだろうか」

「え?」

「あの子のあんな寝顔、久しぶりに見たんだ」


 ハーロルトの切なげな顔に胸をきゅんと音を立てた。


(何をときめいとるんじゃ私は!)


「使用人からも話を聞いた。あの子が声をあげて笑っていたと。俺にはそんなことはできない」

「ハーロルト様……」


 ハーロルトの手が伸びてバルバラの手を優しく握る。


「バルバラ、どうかあの子の良い友人になってくれ」

「はいよろこんで!」


 顔の良さに逆らえず、思わず返事をしてしまった。


(し、しまった~~~~~~!!)


 後悔するがもう遅い。

 満面の笑みを浮かべるハーロルトはバルバラの手を握ったまま「そして、できれば私のことも知って欲しい」と囁き、バルバラは自らの迂闊さに頭を抱えるのであった。





 うっかり流されハーロルトの屋敷に頻繁に通うようになったバルバラ。

 シュレンザともすっかりなかよしで、明るくなったシュレンザのためにあれこれと世話を焼くように。

 以前は仕事ばかりで家を空けがちだったハーロルトも何故かよくいるため遭遇してしまう。


「バルバラ様が来てくれるようになったら、お父さまもよく笑うようになったのよ」

「ええ~~」

(きっとおもしろがられているとかそんなのよね)


 ハーロルトは黒髪と黒目という異質な体質から周囲から距離をとられて育った。

 そのため、きっと自分のような変わった女が珍しいのだとバルバラは考える。


「バルバラ様はお父さまが嫌い」

「とんでもない! ハーロルト様はとっても素敵な方ですわ! あの美しい髪、彫像のような横顔! 切れ長の瞳! 完璧ですわよねぇ」


 うっとりと褒めちぎると、シュレンザもまたも嬉しそうに微笑んだ。


「私もそう思うわ。周りの人たちはお父さまを怖がるけど、お父さまはとっても優しいの」

(おや……?)


 てっきりハーロルトになついていないと思われていたシュレンザだったが、その表情に溢れる愛情にまた、シュレンザも不器用ながらハーロルトに親愛を抱いていることに気がつく。


 姉妹のように仲良く過ごすうちに、シュレンザの未来がますます不憫に思えてきた。

 こんなにいい子なのに大人たちの思惑のせいで悪役令嬢になってしまうなんて。

 シュレンザと関われば、おのずとハーロルトとも会話をすることが増え、その真面目で実直な性格を知っていく。

 たしかに黒髪黒目という異質な外見ではあるが、その本質は貴族として誰に恥じることはない立派な人だ。

 周囲からの偏見にも負けず、いつだって真剣に仕事に取り組んでいる。


「周りの皆さまはもっとハーロルト様を知るべきですわ」


 心ない言葉を耳にする度、そんな憤りがこみ上げてくる。


「君はおもしろい人だ」


 微笑むハーロルトにバルバラは「ああ、顔がいい」と見惚れてしまう。


(どうにかしてあげたいけど……荷が重いわ)


 この先、ハーロルトが悪役として悪事に手を染めていくのは、小説を読む限り避けられない展開だ。

 彼は親よりも慕っていた兄である先王が現国王により『暗殺』されたという証拠を得てしまう。

 それにより復讐に取り付かれ、悪党への道を歩んでしまうのだ。


(でもそれはねつ造された証拠なのよね)


 今の国王の政権を転覆させたいと願っていたドーン公爵が、ハーロルトをけしかけるために作った偽の証拠。

 現国王は清廉な人で、悪事に手を染めているドーン公爵にとっては目障りな人物なのだ。

 だから現国王とは折り合いの悪いハーロルトをけしかけるために、いつわりの手紙をねつ造してしまう。


『乙女騎士と秘密の花園』の中では、その手紙がねつ造であることを知った主人公がハーロルトにその真実を告げに旅立つところでお話が終わっていた。


(あの続きはどうなったのかしら。最終巻で真実を知ったハーロルト様は一体……)


 読めないままの最終巻がどんな結末を迎えたのか。

 それを知っていれば、もしかしたら何かわかったかもしれないのに。


(……ん? もしかして、私がその証拠をハーロルトから隠せば、彼らは復讐の道に足を踏み入れないでいいのでは……!?)


 突如閃いた一つの名案。


(そうよ。それがいいわ。そうすればハーロルト様は悪役にならないし、シュレンザもこのまま健やかに育つはず)


 ついでを言えばあの小説の主人公たちも要らぬ争いに巻き込まれず、幸せに過ごせるかもしれない。

 こうしてバルバラは密かに暗躍することを決心するのであった。

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