第6話

 


 執務室でハーロルトは険しい形相で書類仕事をこなしていた。

 明らかに不機嫌なオーラをまとっているハーロルトを部下たちがこわごわとした表情で見ているのがわかったが、取り繕う余裕などない。


(サンドロめ)


 頭に浮かぶのは、バルバラに迫るサンドロの姿だ。

 青ざめ怯えていたバルバラの顔を思い出すと、はらわたが煮えくり返りそうなほどの怒りがこみ上げてくる。

 持っていたペンがミシリと嫌な音をたてた。


「か、閣下」


 怯えた顔で部下が近寄ってくる。

 その手には書類の束が握られていた。


「……なんだ」

「た、頼まれていたドーン公爵家の調査資料です」

「ああ」


 再びサンドロの顔が思い浮かび、思わず低い声が出てしまった。


「ひぃ!」


 部下が奇妙な声をあげながら後退っていった。

 渡された書類には、ドーン公爵家の資産状況が記されていた。


(やはり不明瞭な金の流れが多いな。バルバラが言うように詐欺か、公金に手をつけているとしか思えん。王妃の父親であることを笠に着てやりたい三昧といったところか)


 資料を読み終えると、どっと倦怠感がこみ上げてくる。

 バルバラの言っていたことは正しかったのだ。


(もっとちゃんと話を聞いてやればよかったのか?)


 サンドロと一緒にいたバルバラはいつもとは様子が違っていた。

 ハーロルトに任せておけないと考え、サンドロに近づいたのかもしれないというのはすぐに察せられた。

 だが、二人が寄り添っているのを見た瞬間にこみ上げたのは純然な嫉妬と失望で。

 もっとうまく立ち回れたはずなのに、冷たい視線と口調でバルバラを突き放してしまった。


(兄上。私はどうしたらいいのですか)


 ハーロルトの母親は異国から政略結婚で嫁いできた貴族令嬢だった。

 美しかったが、この国では忌避される色である黒に近い灰色の瞳をした母はずいぶんと肩身の狭い思いをしたそうだ。

 先に生まれた兄は、父である国王うり二つ。優しく才能もあったが、産まれながらに身体が弱かった。

 そのため、もうひとりと望まれ生まれたのがハーロルトだった。

 しかし、なんの因果かハーロルトは黒髪と黒目を持って生まれてしまった。

 母の父方に同じ色目の人間がいたことで不貞の疑いはもたれなかったが、母はハーロルトを不憫がって心を病み、そのまま儚くなってしまった。


 母親の命を奪った不吉な黒い子どもとしてハーロルトは父親からも見捨てられてしまった。

 そんなハーロルトを慈しんでくれたのは、兄であった先王ただひとりだった。

 兄を支える立派な人間になる、それだけがハーロルトの目標だった。


 父親である国王が亡くなり、兄が国王になって数年。

 ドーン公爵家からの強引な推薦ではあったが美しい王妃をとの婚約が決まった。

 盤石な基板を得てこれからというタイミングで、兄は病床についてしまった。慌てた公爵は書類だけで早々に結婚を済ませた。

 今になって思えば、それがすべての悪夢のはじまりだったのだろう。


 病床の兄に代わり、国政を支えたのは叔父である現国王だ。

 聡明な彼は間違いなく有能だった。ハーロルトが手助けする隙がないほどに。

 兄の病状はあっという間に悪化し、王妃と初夜を迎えることもないままに命を落とした。

 その時の絶望は今思い出しても胸を締め付ける。


 兄が埋葬されて数日後、帰宅したハーロルトの家の前にひとりの女性が立っていた。


「お前は、兄上の看病をしていた……?」


 女性は病床の兄を献身的に世話していたメイドだった。腕には小さな赤子が抱かれていた。

 やつれきった彼女はハーロルトの顔を見ると安心したように倒れてしまう。

 医者を呼んで診察されるが「産後の肥立ちが悪いのに、無理をしたのでしょう。もうもたない」と告げられた。


「君は一体……この子はどうしたんだ」

「……陛下の子です。どうかこの子を守ってください。それが陛下の願いです」

「なんだと!?」


 メイドが差し出したのは兄の筆跡の手紙だった


『大切な我が子だ。だが、争いは望んでいない。どうか守ってやってくれ』


 赤ん坊は女の子だったが、顔立ちは兄によく似ていた。

 だがそれ以上、メイドは語らないまま息を引き取ってしまったのだ。


(兄上の子どもがいると知られれば、争いの種になる。だから兄上は俺にあの子を託した)


 メイドとの間に子どもを儲けていたとなれば大騒動だ。

 隠したがった兄の気持ちはわかる。

 赤ん坊を自分の庶子として育てる準備をしている間に、叔父が国王となることが決まった。

 まだ若い上に、黒髪黒目のハーロルトよりもずっと適任だった。

 そして叔父は国王の位と共に、王妃も引き継いだ。

 国が安定するならは仕方がないと割り切っていたが、複雑な思いから王妃との関係はぎこちないままだ。

 信頼していた叔父への感情も同様で、どこか心を開き切れていない。

 また、兄の不貞の証であるシュレンザを隠している後ろめたさもあった。


 王妃と叔父の間にはすでに王子がひとり。

 このままシュレンザの存在は隠し通さなければならない。


(あの子には幸せになって欲しい)


 兄が自分にしてくれたように、愛情を込めて。

 だがハーロルトにはうまくできなかった。

 だからこそ母親になってくれる女性を探そうとおもった。

 だが、どんな女性もハーロルトの外見に眉をひそめ、一線を引く。

 うまく取り繕っても、愛人の子と思われているシュレンザに冷たく当たる女性もいた。


(彼女だけだったな、違ったのは)


 はじめてあった時から、ずっと明るいままのバルバラの表情を思い出す。

 一度も自分の姿に怯えず、シュレンザに愛情を注いでくれたバルバラ。

 見ていて飽きることがないほど明るく、一挙一動から目が離せないほどにいつだって予想外のことばかりで。

 気がつけば彼女のことを考える時間が増えた。

 シュレンザの母親役としてだけではなく、純粋に自分の傍にいて欲しいと考えていたことに気がつく。


(バルバラとなら、俺が憧れてやまなかった家族を作れるかかもしれない)


 そう、思っていた。

 だがドーン公爵を探るために危険を冒す姿に危機感を覚えたのも事実だ。

 バルバラの立ち回りで、シュレンザの正体が明るみに出てしまうかもしれない。

 いくら悪事の証拠を掴むためとはいえ、サンドロに近づいたことも納得できない。そんな危険を冒すなんて。

 サンドロと一緒にいることが許せなかった。

 あの女たらしのサンドロが本気で手を出そうと考えたらどうなっていたか。


(……ちがうな。これは言い訳だ。俺はみっともなく嫉妬してしまっただけだ)


 サンドロがバルバラに触れていることが許せなかった。

 言い訳で自分を誤魔化し、情けない姿をさらしてしまった。


(時が来たのかもしれない)


 本当はわかっている。

 シュレンザのことをこのままずっと隠し通せるわけがないことも。


(まずはドーン公爵の悪事を暴こう)

「……相談するしかないだろうな」


 ハーロルトひとりで解決するのは不可能だろう。

 兄が残したこの国のためにやならければいけないことがあると、ハーロルトは拳を握りしめたのだった。

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