第42話 デュオ 2

 そこは、祭壇だった。


 ちょうど真上に位置する試合場をそのまま下へ移したかのような、祭壇にしてはとてつもない広さを誇っていた。


 だが、マリーやコートを圧倒したのは、その広大さではない。


 一体の、祭壇の広さの三分の二以上を占めようかともいえるほどの大きな竜の彫像が、大口を開けてこちらに向かって咆哮していたのだ。


 その翼は、祭壇の天井を今にも破らんかとしているように開かれている。


「これが、この国が一万年に渡って隠してきたもの……『魔海』だ。いや、正確に言えば、『火の神ファラ』とでも言うべきかな?」


 圧倒されている三人を前にして、バルムスが言葉を放つ。


「目には見えないが、この像の口からは絶えず、超高濃度の、それも特殊な魔力構造を持つ、魔法エネルギーが発せられている。そのエネルギーは魔法が人間に干渉しないのと同様、人間には全く無害なものだ。これが、『魔海』の正体だ」


 バルムスが、デュオを見る。


「どこから話したらよいかな……とにかく、これを見てもわかる通り、神話は、その大部分が真実だと推測されている。そして、古くからこの『魔海』を巡って、さまざまな研究がなされてきた」


 雰囲気に慣れたのだろうか、コートは話を聞きながら竜の彫像――いや、火の神ファラ――を間近で見ようと、歩みを進めていた。


「だがある時、彫像に異変が起こった。竜の頭の部分がひび割れ、色をつけたというのだ。どこまでも深い、血塗られた赤い色だったそうだ。そして、放出される魔法エネルギーの量は、飛躍的に増大したという」


 バルムスに視線を合わせながら話を聞くデュオの目が、一瞬、細くなる。

 老人は顔を上げ、竜を仰いだ。


「増大し、祭壇から外界にばら撒かれた魔法エネルギーは人間には影響しなかったが、動植物には多大な被害をもたらしたという。

一部の植物は枯れ果て、動物達は凶暴化し、人間を襲うようになった。その根源は未だに世界中では謎として扱われているが、もうわかるだろう?

 原因はこの都市にある。

『モンスター』と呼ばれている種が生まれたのも、この出来事が原因なのだよ。……まあ世界には極秘事項として伏せられているが」


 マリーが大口を開ける竜を見るため、再び視線を上げた。そのあまりの巨躯な体のため、地上からは口だけしか見えないが、ところどころに亀裂のようなものが確認できる。


 これは……もしかしたら……


「時を同じくして、王家に一人の子どもが生まれた。驚くべきことにその子は、生まれながらにして並み居る魔術師達を寄せ付けないほどの膨大な魔力を身につけていた。

……そして、いくつかの年月が過ぎ去ったある日、その子がある種の『神がかり』にあい、宮廷魔術師達の前である一つの呪文の詠唱を行なった」


 バルムスが再び、デュオを見る。

 その目には、どこか哀しみを漂わせる色が見て取れた気がした。


「それが、『スレイプニル』に唯一記された、ディースがファラを封印する時に用いた古代魔法『鍵の呪文』だったのだよ」


 静かに、続ける。


「そこで、宮廷魔術師達はある一つの結論に達した。その子は、ディースの血を受け継ぐ王族の中から選ばれた、ファラを封印するために生まれた定めの子――『鍵』なのだと」


 気がつくと、コートが戻ってきていた。

 どうでもいいが、緊張感のない男だと、マリーは頭の片隅でそう思った。


「そして、世界にばら撒かれる負のエネルギーをわずかでも抑えるために張られた結界も、もはや限界を迎えようとしていた時、封印の儀式が行なわれた。『スレイプニル』に記された通りに儀式は行なわれ、『鍵の呪文』は発動した」


「成功……したんですか?」


 デュオの問いに、バルムスが頷く。


「動きはしないものの、もはや体の半分近くまでその色を取り戻していたファラは、再びその色を灰色に変えた。……ここまでくると、石化したという表現のほうが的を得ているかもしれん。とにかくそれに伴って、放出される魔法エネルギーもその勢いを完全にとどめた。だが」


 デュオの表情が一瞬だけ、硬くなる。

 だが……何だというのだろう。


「神話に伝えられている通り、『鍵の呪文』を唱えた王族の子も、その命を失った。実際に立ち会った魔術師達が研究を行なったところ、『鍵の呪文』が持つ一つの特性が明らかになった。……魔法については、一通りのことは学んでいるはずだが?」


「はい。セイラムズ・ガーデンで教授されました」


「では、魔法が『干渉』以上の能力を持たないことも?」


「はい。魔法は、物質に干渉し、その影響力を持って物質自体を変質、動きを加えたりするものだと言われています」


 バルムスが頷く。

 マリーも、その点に関しては違和感がなかった。魔法の特徴は、この前デュオに教えてもらったことだ。


「そうだ。そして魔法は人間には『干渉』しないことがわかっている。だが、『鍵の呪文』は違った。……その詠唱式は、使用者の『命に干渉』して、膨大な、特殊な魔力構造を持つ力に変換するものだったのだ」


 使用者の命に干渉する。

 命に干渉し、それをエネルギーとする魔法。

 それが、『鍵の呪文』の正体……?


「そして、その後もおよそ五百年ほどの周期で、ディースに張り巡らされた結界が限界を迎え、ファラの像にひびが入り、王家の中から『定めの子』が生まれ、封印が行なわれた……

王都ディースの、人の目には決して触れられない場所で、これが繰り返されてきたのだ」


 衝撃的だった。

 平和に暮らしてきた自分達の世界の裏側で、まさかこのような事実が横たわっていたとは。


「だがある時、『魔海』のもつ膨大なエネルギーに関する一つの研究が注目された。その研究は、『魔海』から放たれるエネルギーが持つ制御しがたい特殊な魔力構造を変化させ、様々なものの動力源とさせる……火や炭とは全く違った、人間の生活を豊かにできるような、全く新しい力を生み出す理論を完成させた」


 老騎士が、わずかに顔を歪める。


「その理論は即座に実践され、国民の知らないところで数々の実験が行なわれた。馬が居なくても勝手に動き出す馬車や、火のかわりに魔力によって永久的に灯るランプ。そして最終的に、火薬を用いた大砲すらもしのぐ、膨大な魔力を内奥した破壊兵器が作られた……」


 三人は息を飲み、老騎士の背中を食い入るように見つめた。


「そうしたなかで、またしても封印が破れる時が近づいていた。だが、魔術師達の興味と好奇心は、もはや封印が解かれることに対する恐怖といったものをやすやすと乗りこえていたのだよ。

 やがて、歴史の歩みの通り、ディースの王族の中で再び、『定めの子』が生まれた。

 そしてそれを発端として、魔法庁が二つの勢力に分かれ始めた。

 形式にのっとり、封印を断行すべきだとする『保守派』と、『魔海』の研究を続行するべきだとする『革新派』だ」


 続ける。


「革新派は魔法庁の大部分の魔術師達の支持を集めていた。結界でファラの封印が解けるのを制御し、その間になんとかしてファラから発せられる特殊な魔力だけを利用できるような技術を見出す……それが彼等の思惑だった。

 当然、彼等にとって、『定めの子』は邪魔な存在でしかない。……そういう歪んだ考えが、魔法庁全体を取り囲んだのだ。そしてとうとう、『鍵の呪文』を継承した王子の暗殺未遂事件が起こった」

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