第40話 襲撃 2
薄暗く、貧民街のような雰囲気をかもし出したその広間は、人の気配が全くない。
ディースにもこんなところがあったのか。
広場の真ん中で、老人がデュオを下ろした。
そして、言う。
「止流の壁――サンクチュアリ」
デュオの周りを取り囲むようにして、空間が一瞬だけ歪んだ。だがそれは一瞬の出来事で、それが終わると、目の前にはどこも異常のない広場の光景が映る。
「ここでいいだろう、ダナン・オーウェン」
老人の発した耳慣れぬ言葉に首をかしげていると、デュオの視線の先、広場へとつながる薄暗く細い路地から一人の魔術師風の男がやってきた。
デュオは、その男に見覚えがあった。
『バイオレット・ラージュ』の先鋒。コートを倒した、速唱の使い手。
疲れた風貌を宿したその表情が、薄く微笑む。
「気晴らしのつもりで大会に出場していたが、まさかこんな掘り出し物に出会えるとは思わなかった」
バルムスが答える。
「ラスタバンも焼きが回ったものだ。どうやらこの子が可愛くて仕方がないらしい」
ラスタバンという懐かしい単語に、困惑の表情を浮かべていたデュオが反応する。
「おじいちゃん!?」
その様子を見たダナンと呼ばれる男が驚いた表情を浮かべる。
「……何も知らないのか?」
「そうだ。そして、貴様と無駄話をしている暇もない。この子は殺させない。さっさと来い」
言って、老人がローブを脱ぎ捨てる。そこには、白銀の鎧に漆黒のマントをつけた威厳ある老騎士がいた。マントには、黄色に輝く竜の紋章。
剣を抜き、構えると、デュオに向かって言った。
「事情は後で説明するが、あの男は君を殺そうとしている。だが、君にはさっき、結界を張らせてもらった。巻き添えは食わないと思うから、しばらくじっとしていなさい」
『殺そうとしている』という言葉に現実離れした恐怖を覚えつつも、老騎士の、どこか懐かしさを漂わせるその響きに、デュオは不思議と安堵を感じた。
ダナンが口を開く。
「あなたを殺したくはないのだが」
「……情けのつもりか? 私の目的と、お前の目的は、互いに存在し得ない。戦うつもりがないのなら、去れ」
「……それはまた、別の話だな」
言って、ダナンが詠唱を開始しようとしたその時。
「デュオっ!!」
ダナンの近くに位置する路地から、慣れ親しんだ声が響いた。
コートだ。
目の前に広がる状況を見て、困惑する。
デュオの手前に、老騎士がいる。老騎士と対峙する形で、魔術師がいる。
どうやらデュオをさらったヤツは、デュオを守ろうとしていて、魔術師はそれを阻もうとしていると予測をつける。
ん?
あの男は!
「お前は……」
ダナンと目のあったコートがつぶやく。
その一瞬の隙をついて、バルムスが動いた。
「くっ」
迫り来る殺気に視線を戻し、体勢を整えながらもダナンが攻撃をよける。
その際、この男が何事か口を動かすのをコートは認めた。
レンガが次々に浮き上がっている。
速唱だ。
「じいさん、危ない!」
だが、手を相手の方向に向けて発動の構えを見せるダナンに合わせるようにして、なんと老騎士も手を上げた。
「地龍の咆哮――ダンシングバレット」
「虚空の法――インバリドスペル」
老騎士の言葉に、浮き上がっていたレンガが力なく地に落ちる。
その光景を見て、老騎士が表情一つ変えずに言う。
「随分と洗練された詠唱式だが、詠唱は圧縮すればするほど、干渉によるほつれが起こりやすい。……ねじ伏せるのも簡単だ。奴が教えなかったか?」
「騎士のくせに、お上手だな。……まあ、その通りだ。そろそろ本気でいく」
言って、ダナンが続けざまに詠唱を開始する。
「うごめく闇 恐怖の権現にして永遠の安息たる 汝に請う」
「たゆたう光 瞑途の希望にして迷妄の呼び子たる 汝に請う」
両者が、同時に詠唱を開始した。
だが、バルムスのほうは詠唱しながら剣を構えると、果敢にもダナンに向けて切りかかっていった。
それを苦もなくかわしてゆく魔術師。
「縛る力を手に添えし 汝の黒を我に貸せ」
「清き力を手に添えし 汝の白を我に貸せ」
攻防の最中も詠唱を行なう。
息を呑み、二人のやりとりを見つめるデュオ。
コートは、ただその場に立ち、じっと二人の戦いを見守っている。
下手に手を出すほうが危険だと、そう察知したのだろう。
「そは闇縛る剣となり 神の御影を貫きたり」
その言葉を聞いた直後、バルムスの表情が変わった。
「……クローズ」
バルムスの詠唱が止まる。
「バッチング」
一言つぶやき、転句を言うことなく後退する。その表情には明らかに疑問の色が浮かんでいる。
そして、ダナンの詠唱が結句を迎えた。
「法の雨――シャドウバインド」
「虚空の法――インバリドスペル」
老騎士とダナンの間で、空間が一瞬だけ歪んだ。
そして次の瞬間。
ダナンが片手を向けた先で、バルムスが驚愕の表情を向けていた。
「……これは……」
ダナンが目の前に歩み寄っているというのに、老騎士は手を上げたままの姿勢で動こうとしない。
いや、動けないのだ。
その光景を見たダナンが、神妙な面持ちで言う。
「……やはり、あなたは」
「馬鹿な……」
「……同情か?」
問われたバルムスが、目に光を宿らせる。
「使命だ」
そのやりとりを見て、わけがわからないといった顔をするデュオ。
『法の雨』。聞いたことのない詠唱式だった。
おそらく独創呪文だろう。
その転句が出てきた時に、バルムスは異変を覚え、自らの詠唱を『放棄』し込めていた力を『回収』した。
補助呪文によって回収した力を『虚空の法』の発動に利用したのだが、即席で作った不完全な『虚空の法』では相手の魔法を打ち消すことはできなかった、というところか。
今はもう目前に迫り、鈍く光る剣を手にしたダナンを見て、老騎士は舌打ちした。
その様子を見ていたダナンが言う。
「その少年にかけられた詠唱を、解除しろ」
「断る」
「貴公を殺したくはない。……その気持ちは変わらないのだが」
突如、デュオを取り巻く結界を解除しようと、詠唱を開始したダナンは、前触れもなく横から衝撃を受け吹っ飛んだ。
目を白黒させながら相手を見やると、見覚えのある少年の姿がそこにあった。
「コート!! 駄目だ、逃げて!!」
デュオが悲痛な面持ちで叫ぶ。
その声を聞く間もなく、コートはダナンに追い討ちをかける様にして突撃した。
その速さに一瞬だけ目を見開くが、それでもダナンは左に寝転がって追撃をなんとかかわすと、急いで体を起こした。
「さっきのように行くと思うなよっ!」
コートが吼える。
そのまま勢いよく飛び出して、素早く拳を放つ。
ダナンが速唱を行ない、地に落ちていたレンガがその身を起こす。
それでもコートは攻撃をやめない。
広場の中央から、先ほどコートがでてきた路地のほうへとダナンを追い詰めていく。
と、斜め後方のレンガが待ちかねたようにしてコートに向かって吹き飛んだ。
だが、コートはよけるそぶりも見せずに、ただただダナンを追い詰めてゆくことに固執している。
そして、レンガが一斉にコートの体を強打した。
「ぐっ」
「コート!」
鈍い音と同時に、デュオの叫び声が広場に響く。
コートの顔をちらりと見やったダナンは、しかし倒れた彼の不敵な表情を見て疑念を抱いた。
突如、背後から迫ってくる殺気を感じ、ダナンは本能だけで咄嗟に体を動かした。
空を切る音と共に頬に風圧を感じる。
木刀だ。
「なめないでよっ!」
息をつく間もなく追撃を図る襲撃者を前に、ダナンは舌打ちをした。
バルムスに掛けられた呪文が解けるのも、時間の問題だ。
レンガを受けた少年も、魔法の制御もあって致命傷には程遠いだろう。
襲撃者――意外なことに先ほど闘技場でみかけた女の子だった――の太刀をよけると、素早く速唱を行なう。
「偽翔の双対――フェアリーフェザー」
次の瞬間、魔術師は脅威的な高さを跳躍し、襲撃者の最後の攻撃を逃れた。
夕陽に染まった屋根の上に着地し、視線を落とす。
突然の襲撃を受けたにも関わらず、静かな視線を返してくる『鍵』の少年を見据えると、ダナンは広場を後にした。
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