第8話 運命の日 1
どこまでも、つきぬけるような青い空。
その鮮やかな色彩の中を、今日も鳥たちが盛大に舞う。
風に吹かれてそよぐ草木。それを静かに食む家畜。
生きる喜びを実感する、朝である。
「ありがとう、また来ますね」声がして、町外れの本屋から一人の少年が出てきた。長く青い髪の毛を後ろでまとめ、眼鏡をかけたあどけない表情。
デュオ・ネーブルファインである。休日にこうして書店をぶらつくのは、彼のささやかな楽しみであった。
太陽の光が、その身に染みてゆくようだ。とても気持ちがいい。
陽気な気分で街を歩いていたデュオだが、今日はいつもよりまして元気な足取りだ。店に注文しておいた本を購入したのである。
この少年は、根っからの活字中毒である。12歳という年齢にもかかわらず、部屋の本棚に保管してある愛読書籍の数は、既に百冊を優に超える。
そんな彼が今日買った本は、
「スタウト・デリーニ著 実践・攻撃魔法で戦う」
「ヘルフォン・ストラウト著 ディースの青い夏」
「アルダー・リックス著 欲望の彼方へ」
「フラメア・レグゼン著 新発想!これで魔法は垂れ流し」
「ウェッジ・スラーヴス著 魔法学」
以上5冊、しめて7000ガロンである。ちなみに、彼がお小遣いを半年間必死に節約して貯め続けてきたお金だから、非難はできない。
店の主も、
「しかし『魔法学』なんて、相変わらずニヒルなの読みますね、旦那」
思わず唸ってしまうほど、デュオの読書の許容領域は広い。
「『ディースの青い夏』なんて、これを買う客は相当な輩ですぜ」
「いやあ、勉強好きなんです」
「『欲望の彼方に』なんて、旦那。これは発禁モノです」
たまに分不相応なところもあった。
この後は家に帰って、お茶でも飲みながらじっくりと読書にふけろうかな、などと考えながらも、その軽快な足取りが急に止まる。店を出てちょっと歩いた辺りだった。
子供の泣き声が聞こえたのだ。
はじめは気のせいかとも思ったが、歩みを進めるにつれて、だんだんと声ははっきり聞こえてきた。ふと目を横に見やると、路地裏で、まだ5歳くらいの女の子がしくしくと嗚咽をもらしていた。
デュオは女の子の元に駆け寄ると、言った。
「どうしたの? 何があったの?」
女の子が伏せていた顔をデュオの方へ向けた。目は涙で、すでにぐちょぐちょだった。
「知らないおじちゃんが……えっ……あたしの、えっ……宝物とったの」
こんな女の子から物を盗むとは、腐った大人もいるものである。
「いつ?」
落ち着いて、デュオは聞いた。もしかしたら、まだ取り返せる距離にいるかもしれない。「……ずっと前」
だめだこりゃ、とデュオは思った。
「何をとられちゃったの?」
「チケット……」
チケットってまさかとデュオはつぶやいて、絶句した。
「武闘会のチケット」
とっさに、自分がチケットを持っていたことを思い出したが、
だめだ! とデュオは内心で叫んでいた。あれはおじいちゃんが僕にくれたものだ。あの1枚しか、おじいちゃんは取れなかったんだ。
絶対譲れない。譲っちゃいけない!
少女が、まだ涙をぼろぼろこぼしながら言う。
「あたし、えっ、のお父さんが……えっ、大会見に来てねって、えっえっ、エレナにくれたのに……えっ……お父さん泣いちゃうよぉ」
デュオは愕然とした。
実は、デュオも両親を亡くしていたからだ。
だがその面影は今も残っている。
優しい母だった。
厳しい父だった。
二人とも、デュオを愛していることに変わりはなかった。
子供が親を愛する気持ちを人一倍理解できるデュオは、この少女に深い同情を抱いてしまった。
――こんな小さな女の子の涙くらい止められないで、何が魔法だろう。魔法使いである以前に、人としてとるべき行動があるはずなんだ。
今が、その時だった。
財布を取り出して、自分のチケットを彼女の小さな手の平に乗せる。
少女は涙を流すのもやめ、信じられないといった様子で、目をぱちくりさせて、チケットとデュオの顔を何度も見比べた。
女の子は、「あ、あう……」お礼を言おうとしているのだろうが、言葉になってない。
その仕草が可笑しくて、デュオは笑った。
そして言う。
「お父さん、勝つといいね」
もう無くしちゃだめだよといって、後ろを振り返ると、デュオは礼も聞かずに歩みを進めた。そのちっちゃい両手で、チケットを大切そうに抱えた少女は、いつまでもその後ろ姿を見守っていた。
こうして彼は、この世で最も尊い魔法を唱えたのであった。
☆ ☆ ☆
「うぎゃああーーーーーー!!」
商店街の一角。ここに店を構える一つの喫茶店の中で、デュオは叫んだ。
僕のチケットがああああああと言って、頭を抱えてカウンターに突っ伏す。
マスターが笑って言う。
「デュオ君。君は立派な男だよ。僕は認める」
そうはいいますけどね、とデュオはふてくされて言った。
なんで自分はあんな行動にでてしまったんだ、とデュオは思った。さっきまでの粋な気持ちはもう立派に消えうせている。チケットは、もうこの手にはない。よって大会を観戦することはできない。すなわち、スリル満点の魔法攻防戦が見られない!!
デュオはこのセリフばかり繰り返していた。
ちょっと虫のいい話かもしれないが、デュオが、大会ですごい魔法をしこたま見納めれば自分の魔法にも何かしらの変化があるかもしれない、と期待をしていたのである。だがその可能性すら消え去ってしまった。
まあ、ここまで悔しがるのも無理はないなと、マスターは思った。うーと唸ると、顎をカウンターに乗せたまま、デュオが目を細めて言う。
「どーせ僕なんて、どーせ僕なんて……万年羽根飛ばしてりゃいいんだ」
くだをまくデュオだったが、マスターが出したのはオレンジジュースである。
「ま、そういいなさんなって、デュオ君。それに、まだ大会を観戦する方法はある」
聞いた瞬間、デュオはガタッと背筋を伸ばして返した。
「ど、ど、どうするんですか!? 教えてください!」
マスターは、コップを磨きながらのん気に答えた。
「いや、簡単なことさ。大会に、選手として参加すりゃあいいのさ」
次の瞬間、やっぱり今年はあきらめるしかないな、とデュオは思った。顎を再びカウンターへ乗せる。
マスターは笑いながら言う。
「おいおい、あきらめるのが早すぎるよ! ……いいかい? 確かに、本戦へ出場する奴らは、ツワモノばっかだよ。でもさ、予選はそうでもないんだ。俺の経験上」
えー? という風に眉をひそめ、デュオは顔だけ上げた。顎は相変わらずカウンターの上に安置されたままだ。
「12歳から参加できるからな。選手の数はかなり多い。3年前は……そうだなあ3000人は登録してたかな。まずはその段階で予選を行うんだよ。そうして、最終的には300人程度に絞り込むんだ。一般人が大会を観戦できるようになるのは、ここからだよね」
「へえ、知らなかった」
「うん。で、その予選が一週間後に開かれるんだ。街全体がお祭り騒ぎになる本戦は、そのまた一週間後なんだけど」
デュオの表情は、もういつも通りにもどっていた。背筋も真っ直ぐだ。
「つまり、その予戦でもう既に魔術師の戦いぶりが観戦できるわけですね? ちょっとイタイ思いするかもしれないけど」
マスターは、さすがデュオ君察しがいいね、と言って微笑んだ。
「そうなんだ。実際、一部の魔術師はこれに気づいていて、バンバン登録してるよ。魔法を打ち合うといったって、あまりに危ない場合は審判が障壁を張って、完全に威力を抑えてくれるし、いざとなったら降参すればいい」
デュオはおお、と唸った。それでいこう。おじいちゃんには、あとで事情を話して謝ればいいやとつぶやく。だが、破綻は隣のカウンターからもたらされた。
「でもよおマスター、今年から個人戦じゃなくなっちまったらしいぜ?」
デュオとマスターが同時に顔を彼の方へと向けた。
発言した中年のおじさんは、ちょっとひるんだ。
「じゃあ……どうなっちゃったんですか?」
マスターが聞く。横でデュオがそうだそうだと言わんばかりに頷いた。
「いや、3対3の団体戦になったんだ。だから、登録をするにも、とりあえず3人でチームをつくらなきゃいけない」
「えっ、そうだったんですか」
言って、マスターはデュオを一瞥した。
青い髪の少年は、神妙な面持ちで考えていた。
僕の友達は……
ファルス・ペンドレン。以上。
ガクっと少年の顔が、突然カウンターに落ちたのを見て、マスターはあわてた。
「デュ、デュオ君」少年は、動かない。
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