第6話 コート・ホイットニー 1


 無限に広がるような澄みきった青空。

 その下に、突っ切る一筋の大通り。

 両側にはレンガ造りの家屋がひしめき合うように建っていた。

 まだ昼前だというのに、家屋の前ではところどころに路店が開かれていて、通りを行き交う人々に向かって、商人たちが休むことなく口を動かしている。

 世間話をしながら買い物をする中年の女性。

 人だかりの中、情感たっぷりで自分の詩を披露する吟遊詩人。

 王都ディースは今日も、活気に満ち溢れていた。


「待たんかあーッ!!」


 不意に、遠くから聞こえた怒鳴り声に、人々が目を向ける。一人の少年が、全力疾走でこちらに向かっていた。盗賊やってます、と言わんばかりの釣りあがった三白眼。手には、金ぴかに輝く彫像がしっかりと握られている。


 やや遅れて、通り脇の細い通路から太ったおっさんがどかーんと飛び出てきた。その年で、と誰もが思うほど美しく直角にタンをキメると、真っ直ぐ爆進する。


 少年の行く先は「商店街」のアーチと共に、ひしめき合う人ごみが待っている。

 おっさんはもう、顔は赤いし汗はだくだくで、それでも目の前に浮かんだ勝機にニヤリと笑った。近くをすれ違った若者がうわあきもいと言ったことにはこの際目をつぶる。

 おっさんは頑張った。


「おい!」


 少年は止まらない。


「今なら許してやる!」


 しかし少年は止まらない。


「ハアハア、警察にも連絡せん!」


 やはり少年は止まらない。


 無駄な労力だった。


 ちくしょーなめおって! だが馬鹿め、人ごみの中では思うように走れまい! これで貴様もこれまでよ!! とおっさんは粋なセリフを心の中で吐いた。少年の目と鼻の先は、すでに雑踏である。ここを走り抜けるのは至難の業だ。


 だが少年は、短く刈り込んだ金髪をそよがせながら、


 口許を不敵に笑わせた。


 次の瞬間、おっさんは目を疑った。なんと少年は、そのままの速度で、人々の間を縫うようにして駆け抜けていたのである。


 ひゅんっ


 音が聞こえたかと思えばそこには、同じように呆然と向こうを振り返る人の顔があるだけで。商店街の人は皆、お互いに首を傾げあった。

 唖然としながらその光景を見ていたおっさんは、自分も負けまいともう一度足を踏み出す。だが度重なる疲労によってついに、どさっと情けなくもその場に倒れこんでしまった。




☆   ☆   ☆





 ディース神殿は、あらゆる意味で世界各地に存在する神殿とは一線を画している。

 まず、見た目にも分かる大きな特徴が、その建築様式であった。広場いっぱいにそびえる円形の宮殿。一周回ろうとすれば軽く走っても20分はかかるであろうその外壁には、東西南北、八方向に入り口がある。


 神殿に初めて足を踏み入れる者は、まず入ってすぐに、祭壇がないことに驚く。かわりに目の前に広がるのは、壁沿いに伝う、螺旋型の上り階段。困惑しつつも苦労して階段を上がり、扉を開けるとそこにあるのは、何列もの座席がずらっと円状に並んだ、観客席であることに気づく。それに取り囲まれるようにして中央に位置するのは、上質の石畳が敷かれた広大な試合場……。


 そうして巡礼者は初めて気づく。

 この神殿は、それ自体完全なコロシアムなのである。

 しかも「いざ祭壇へ」と意気込むと、「祭壇は国家の厳重管理の下に保管されておりますので……」と丁重ながらもきっぱりと参拝を拒否されてしまうのだから、ありがたみもへったくれも無い。


 偉大なる戦神をひと目、と奮起してここまで来た異国からの巡礼者は、肩を落としつつ、足を引きずって宿へ帰るのであった。


 閑話休題。


 さて先ほどの少年はというと、商店街を抜け、ディース神殿前の広場を通って、さらに南東……セイラムズ・ガーデンとは正反対の方向に向かって走っていた。少年の目的地に近付くにつれ、人の姿は徐々に見受けられなくなってくる。


 ふと、少年は走るのを止め、ハアハアと息を切らせた。呼吸を整えると、辺りを見回し、誰も見ていないか確認してから、一本のわき道へ入った。目に映る風景は一瞬にして、活気に溢れた王都の日常的なそれから、暗く陰鬱な景色に変わった。


 陽の光も遮られた、暗暗とした細い通路を隔てて,ぽつぽつと木製のドアが並んでいる。風雨に晒され,それでもなお修復の痕跡すら見出せない家がほとんど、といった感じだ。

 そして少年は,その中の一つのドアの前まで行くと、言った。

「コートだ。開けてくれ」


 それに答えて、中から女の子の悪戯っぽい声がした。

「我々をおびやかす者でないという証拠を示せ。合言葉を言うのだ」

 コートと名乗った少年は、あれを言うのか、と少し苦笑すると、わかったと返事をする。


「粉雪のように白い肌。満月のように輝く瞳。世の男を魅了する、銀河で最も美しい薔薇。その名は、イリア・ホイットニー」

 途端にドアが勢いよく開き、中から一人の女の子が飛び出して、ひしっと少年にしがみついた。

「おかえりお兄ちゃん!!」


 少年は顔を引きつらせながら、はいはいとだけ言い、少女と一緒に家に入っていった。



☆   ☆   ☆




 貿易都市の雄と称される王都にも、失業者や浮浪者の巣窟である貧民街たるものが存在していた。鬱蒼とした雰囲気とその治安の悪さから、王都の人々すらこの辺りには近付かない。


 だがそうした地域にも、明日に希望を持つことを忘れずに、日々を生きている人々が暮らしている。コート・ホイットニーもそうした人間の一人であった。


 今朝方彼は、街でも評判の富豪の館に忍び込み、高価そうな金の彫像をまんまと盗み出した。ところが、脱出する途中で館の主人に見つかってしまい、追いかけられる羽目に陥ってしまったのだ。

 うまく撒いて逃げたはいいが、あの家にはしばらくは入れそうもないな、と、コートは心の中で舌打ちした。


 先日17歳になったコートは、3歳年下の妹イリアと、3年前から二人暮しを営んでいる。彼らの父親は、北方の国に出稼ぎに行ったきり、かれこれ5年間戻ってきていない。母親は3年前に、薬と栄養さえあれば簡単に治るような病気が原因で、世を去った。


 コートは今でも鮮烈に覚えている。

 あの時味わった、母を失ったというあまりに大きな喪失感。

 3年たっても帰って来る事なく、母親の死に目に、随伴すらしなかった父親に対する怒り。

 それでも、母の遺体の傍らで泣きじゃくる妹の頭を撫でてやる事しかできなかった、自分に対しての無力感。

 彼が今の盗賊家業に手を染めたのは、もちろん生きるために必要なことでもあったが、そういった過去の忌まわしい記憶を払拭するためでもあったのかもしれない。


「すごい! その彫像、久しぶりに大物じゃない?」

 コートが机の上に置いた彫像を見たイリアが、さも嬉しそうにぴょんぴょん跳ながら言った。ブロンドの、長く美しい髪の毛が踊る。

「すげーだろ! これは久しぶりに親方に褒められそうだぜ」

「親方っていうと、ギルドのジェフおじ様ね?」


 貧民街で生活するのは、当然ながら、過酷を極める。

 よってコートのように、仕方なく盗みを働く者がたくさん現れることになる。しかし標的に関する事前の情報収集や、必要装備品の準備などを全て単独で行うことは、ほぼ不可能なことであった。そこで、この貧民街では盗賊ギルドなる物が存在することとなる。


 ギルド、というと大そうに聞こえるかもしれないが、要は盗賊を働く者同士が情報交換や集団行動を取りやすくするために組んだ、徒党のことでしかない。その中でも、一応皆をまとめる頭目が存在していて、それが今イリアが口に出した、ジェフ・シェザードである。


 こんこん、とドアをノックする音が聞こえた。


「あ、噂をすれば、じゃない? このくらいの時間にお兄ちゃんが帰ってくるって私が言っといたのよ」

 椅子に座ってくつろいでいた兄に向かって、妹は言った。そしてドアの前に立つと、

「この頃は事情も考えずに貧民街を摘発しようとする輩も多い。合言葉を言うべし。さすれば道は開かれん」

と言った。

 扉越しに、老人が合言葉かまいったのおと嘆く声が聞こえる。

 イリアは、悪戯っぽい笑みを浮かべながらこっちを向いた。コートはしょうがねえなあといった風に苦笑いする。

 声の主は明らかにジェフだった。


「ヒント。この世で最も美しいものなーんだ」

 しばらく考えたような沈黙の後、ジェフは答えた。

「おお、そりゃあ決まっとる!銀河にも劣らぬ美しさを称え、世の男を魅了する、貧民街の令嬢・・・」

イリアはうんうんと頷き、ドアのキーを開けたその瞬間。


「うちのばーさんじゃ!!」


 兄妹は激しくずっこけた。

 その拍子に開いたドアから、体格の良い、白い髭を顎いっぱいに蓄え穏やかな顔つきをした老人が、家を覗いて一言、


「どうしたんじゃ二人とも、何かあったかの?」

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