第4話 マリー・ソルブレイド 1
「ふーんふんふんふふーん♪」
一人の少女が、絨毯の上にあぐらをかいて、剣を磨いていた。
艶やかで背中まで伸ばした亜麻色の髪が、うしろで三つ編みにされている。おさげというやつだ。
意志の強さを湛えているかのような、きりっとした大きな目。端整な顔だちをしているのに、ジーンズを穿き、黒いTシャツを身に付けただけのラフな格好からすると、残念ながら身を着飾るとかいったものにはあまり興味はないようだった。
慣れた手つきで剣を磨き終えると、彼女は組み立てにかかった。
磨いた刀身を柄へ差し込む。
カチャリと音がして刃と柄が一応固定された。しかしこのままでは、振っても柄と刀身が分離してしまう。それはそれで痛いかもしれないな、という考えが少女の頭をよぎったが、作業を続けることにした。
刀身と柄を完全に固定するには、専用の大型ねじが必要だ。床に置いてあったそのねじを、柄にあいた2つの穴のうちの片方にあてつつ、横に置いてあった工具箱からねじ巻きを取り出し、固定に取りかかった。
やがてねじがこれ以上進まなくなると、同様にしてもう片方の穴にもねじを埋め込む。
「できた!」
心の底から嬉しそうにそう言うと、少女は完成した剣を手に取り、素振りをした。その容姿には似合つかわしくない片手剣を、まるで木の枝のように振るう。
空気を切る音が頼もしい。手にもよくなじむようだ。メンテナンスは完了した。
少女はよしと小さくうなずくと、それを鞘に収め、工具を片付けた。
マリー・ソルブレイド。
女の子なのに、三度の飯より剣が好き。花が恥らう16歳である。
☆ ☆ ☆
ソルブレイド家は、代々騎士の家系を継ぐ名門の家柄である。
今は引退して呑気に日々を送るマリーの祖父は、かつては多くの戦争で指揮官を勤めた有名な軍師であった。父親にしても、ディース王国屈指といわれる黄竜騎士団の一師団長を務めている。二人の兄も、既に騎士として活躍していた。
そんな中で育ったものだから、マリーが次第に騎士に憧れ、剣術にのめりこむようになったのは必然だったと言えよう。元々、性格も男勝りだったから鬼に金棒で、マリーは順調に女の子の歩むべき道を踏み外していった。そんな彼女を見てきた家族も、ただ苦笑するしかなかった。
「楽しそうですね、お嬢様」
メイド姿をした若い女性がにこりと微笑みながらマリーに言った。
やわらかな甘いにおいに誘われて見れば、淹れたての紅茶と焼いたばっかりの大きなワッフルが、お盆に乗っていた。
「わお!! マアナがつくったワッフルは、久しぶりだわ!」
マリーはそう言って、すばやくテーブルについた。
「ご苦労様です。お召し上がりくださいませ。」
マアナと呼ばれた家政婦は、優しく微笑むとワッフルと紅茶をテーブルの上に差し出した。
マリーはいつも、マアナの作った茶菓子を「いっただっきまーす!」1分で平らげる。
「お嬢様にお召し上がりいただくと、本当に作り甲斐が実感できますわ」
角砂糖を入れ、至福の顔で紅茶をすするマリーを見て、マアナは満足げに言った。
「とってもおいしかったわ」マリーが応える。
若い家政婦は、マリーの向かいに座った。
「剣の調子はいかがでしょう?」
「文句はないわ。武闘会が待ち遠しいわね」
二週間後、ディース神殿で3年に一度の武闘会が開かれる。マリーが最近いつになく真剣な表情で稽古をしていた理由が、それだった。
3年前、初めて武闘会に出場したマリーは、3回戦まで勝ち進んだものの、準決勝戦で、セインと名乗る同い年の少年と戦い、負けた。その少年も得物はマリーと同じく剣であったから、彼女のプライドは深く傷ついたに違いない。それからというもの、少女は前にも増して毎日欠かさずに必死で訓練をしてきた。3年後、もう一度彼と戦い、勝利を収めるために。
それも今では昔のことよ、と妙に遠くを見るような目をしてつぶやいたマリーは、紅茶に角砂糖をもうひとつ加え、スプーンでざくざくとつぶし始めた。どうでもいいことだが、これで、この紅茶には砂糖が6個分溶け込んでいることになる。
「武闘会が終わったら、本当に冒険家になってしまわれるのですか?」
マアナが尋ねた。
うん、今のところはそうするつもり、とマリーは言った。
マリーが武闘大会に出場するのは、自分の腕を試すという意味もあったが、どちらかといえば冒険者になるための資金集め、というなんとも安直な理由のほうが先に立つ。
冒険者とは何か。
神の支配から解かれて千年がたったとされているこの時代でも、やはりまだ見ぬ未開の地は山ほど存在する。それゆえに冒険者の果たす役割は大きい。お尋ね者を捕まえて治安の維持に貢献することもあるし、騎士のかわりに彼らを雇って戦争が行われたりするのもそう珍しくはない。
これほど重宝されるのだから、やがて冒険者には様々な特権が付くようになっていった。その一例として、国と国の間の移動がしやすくなるということが挙げられよう……マリーが、騎士に憧れつつ、それでも冒険者を目指す一番の理由は、ここにあった。
冒険者は、先に述べた通りの多様な活躍ぶりから、各国で非常に重宝されている。各々の意図はどうあれ、未開発の地を発見して人類の歴史に大きな一歩を残す彼らを、ひとつの国に閉じ込めておくのは効率が悪い。
なにより他の地へ冒険するのが難しいことであったら、冒険者自体の士気を削ぐのは明らかである……というわけで、ただ冒険者というだけで、彼等は面倒な手続きを一切なくして国境をこえ、他国へ入国することが可能なのである。
祖父と父と二人の兄の英雄譚を聞いて育ったマリーは、彼らの武勇伝よりも、彼らが遠征などで立ち寄った国での生活の方により大きな興味を示した。小さな頃から世界の広さを知っていた。騎士もいいけど、いつかは世界中を旅してみたいなと、子供心にそう思ったものである。
「財宝なんか見つけちゃったりして。えへへ」
夢と期待で今から胸がいっぱいのマリーであった。
「そうですか……でも、たまにはこの家にも、戻って来てくださいね」
「大丈夫よ。はじめのうちは、ここを拠点にして攻めてくつもりだから。・・・でもまあ、そういうことは、優勝してから考えるわ」
「そうですね。……ところで、明日から闘技場の受付が始まりますね?」
「うん。当然明日、登録しに行ってくるわ」
「頑張ってくださいね。御武運をお祈りしています」
マアナはこぶしを胸の前でぎゅっと固めて言った。
別に明日戦うわけじゃないんだけどね、とマリーは心の中で苦笑した。
そろそろいい時間ですから、片付けましょうかと言い、マアナは皿とカップをお盆に乗せ、キッチンへと歩いていった。
その姿を見送ってから、マリーも、剣を持って席を離れ、就寝することにした。
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