第3話 デュオ・ネーブルファイン 2
夕刻、一人の少年が大通りを歩いていた。少年は自分の家に着くと、「ただいまー」家のドアを開けながらくたびれた声をあげた。デュオが家路に着いたのだ。
「おお、おかえり、デュオ」
居間に入ると、陽気そうな老人が出迎えた。温和な顔つきと禿げ頭、真っ白いあご髭が特徴のデュオの祖父、ラスタバン・ネーブルファインである。
「おじいちゃん! 今日は早いね。どうしたの?」
普段はかなり遅くに帰ってくる祖父を見て、デュオは驚いて言った。鞄をその辺に置くと、ローブを脱ぎ、服に着替える。
「ふむ。学校の会議が予定よりだいぶ早く終わっての。」
テーブルについて新聞を読んでいた祖父が、顔をこちらに向けて答える。中年の、ふっくらした感じの女性がやってきて、おかえりなさい坊ちゃまと笑顔で言った。デュオがへレンさん、ただいまと返事をする。ヘレンと呼ばれた家政婦は、テーブルの上に夕飯を用意し始めた。
デュオの祖父は、言わずと知れたセイラムズ・ガーデンの創設者である。
セイラムズ・ガーデンは、一見すれば由緒正しい、伝統ある王立学校だと捉えられがちだが、実はラスタバン・ネーブルファインが創設してから、まだ20年しかたっていない新立の学校であった。デュオはこの創設者の孫ということになるが、だからといって、教師たちがデュオに対して、ひいきなどといった態度をとったことは一度もない。そういった点では、よくできた学校である。
「今日、5年生始まって初の、実技の授業があったんだ」
席に着いたデュオが言った。ため息をつきながら、
「やっぱし、だめだった。・・・難しいよ、魔法は」
言った。
祖父は、ほっほっ、と嬉しそうに笑って新聞紙をたたんだ。目の前に運ばれた夕食を見て、今日もおいしそうじゃのうデュオ、とつぶやく。
「魔法ができて損することはないじゃろう。じゃができなくったって、学ぶ姿勢・・・これは魔法なんかよりずっと大切なもんじゃよ? これを崩しさえしなけりゃ、立派に魔法学校での過程は合格なんじゃ」
祖父の、いつもの決まり文句だった。
デュオもデュオで、うーんそうなんだよねえと、これもいつもの相づちをうってからフォークを手に取った。いただきます、と声を上げる。
祖父がそう言ってくれるのはありがたいことだが、実際デュオは、自分が全くの魔法音痴であることに対して、強いコンプレックスを持っていた。魔法学校で魔法を使えないことは、みなの好奇と忌避との視線を集める格好の材料なのである。そのため、デュオはもう5年生になるのに、友達と呼べるものは未だにファルス・ペンドレンくらいしかできていない。理事長の七光りじゃないの、という言葉を偶然耳にした日は、さすがに家に帰ってひとりで泣いた。
自分は魔法ができないことで、おじいちゃんを苦しめてるんじゃないだろうか、と祖父に泣きながら打ち明けたとき、それでも祖父は優しく微笑み、デュオの頭を撫でてやりながら語ったものだった。
――お前は筆記試験でトップの成績だったんじゃ。少し資質に恵まれすぎておるんじゃよ。だから、能力が発現するにも時間がかかる、ということもありうる。良くも悪くも例外なんじゃ。みんな、お前が羨ましいんじゃろう。辛抱してみい。お前はきっと、歴史に名を残すような大魔法使いになるぞい。
以来デュオは、その言葉を支えにして頑張ってきたのである。
その甲斐あってか、みんなの態度には、やはりまだぎこちなさが残っているものの、露骨に忌避されたり、といったことはもう無い。
まあ、しょうがないよね。と、デュオは思う。
自分だってそういう子がいたら、きっとどう対応していいかわかんなくなるだろうし、この年の子供にはありがちなことなのだ(と本に書いてあった)。いつか大人になったとき、そういう人達とも笑って語り合えるようになっていれば、それでいい。
心の優しい少年だった。
「おお、そうじゃそうじゃ。」
「え、なに?」
不意に祖父に呼びかけられて、デュオはフォークを持つ手をとめた。祖父が続ける。
「近々、ディース神殿で王国主催の武闘会があることは知っておろう」
デュオはこくりと頷いた。ディースの武闘会を知らぬ者を探すほうが困難なほど、有名な大会である。フォークに刺さった鶏肉の香草包みを口に入れる。
「そこでじゃ、実はわしが今年の審査委員長を務めることになってのう」
「え? でも別におじいちゃん、剣とか得意じゃなっかったよね?」
ラスタバンは髭を撫でながら笑った。
「いやいや、大会には魔法使いだって、選手として参加できるんじゃ。どの魔法が、相手にどのような効果をもたらせば有効といえるのか。それは経験を積んだ魔道士にしかわからんじゃろう? この大会では、騎士だけが審判をやっても、公正な判定は下せないのじゃよ」
「へー、魔法使いも参加できるのかあ・・・大変だね」
「そうじゃ。じゃがこの大会は、魔法使いにとっても有益なモンなんじゃぞ? なんせ、攻撃魔法が解禁になるからのう」
聞いて、デュオははっとして、それは見てみたいと思った。
街中での危険度の高い魔法の詠唱および発動は、法律で禁じられている。攻撃魔法や呪詛などといったものは、魔法学校内ですらもそう滅多に見ることができない。それでも見たいのなら、戦場にでも行くしかない。
だが、魔道士が大会で戦うとなると、そうも言っていられないのは明らかであろう。普段は使用が禁止されている魔法の数々が、この日に限ってはここぞとばかりに飛びまくるのだ。魔法使いとして、これは無視できるような話ではない。
よってこの大会は、世界中の魔法使いにとって、最高の研究会でもあった。そういえば、ファルスも武闘会のことを話題にしてたな……とデュオは記憶を弄った。チケットを取るだけでも、ものすごく苦労するらしい。
「それでな、明日からわしも大会の準備に取り掛からなきゃならなくなる。これが結構な重労働でのう。泊り込みで行わなけりゃならん」
「どうして?」
「魔術師が集まって、結界を張るのじゃ。あれだけ大きい試合場に、じゃ。観客が被害を被ったりすると困るからのう」
ああ、なるほどとデュオは納得した。デュオは、一度だけディース神殿の内部構造を見たことがあったが、あの大規模な試合場に結界を張るのは、間違いなく骨の折れる仕事だ。
「そんなことじゃから、家を離れることになる。そうじゃな、大会直前までじゃから、1週間といったところかのお」
「うん、わかった。がんばってね」
うむ、しかしあれは何度やっても辛いもんじゃよ、といいながらラスタバンはヘレンの出した食後のお茶を一口飲んだ。ヘレンが、家のことはおまかせくださいと静かに言った。
ふとデュオが尋ねた。
「おじいちゃん、その大会は僕でも観戦できるの?」
するとラスタバンが嬉しそうに言った。
「ほっほっほっ! そう来ると思ってのう、ほれ!」
老人の手には、1枚の上等そうな紙きれが握られていた。チケットです、と言わんばかりの存在感だ。
「運営者特権ってヤツじゃよ。しかも、審判員と同じくらい近くから観戦できる、特等席じゃ!!」
ポカンとしていたデュオだったが、次の瞬間
「きゃっほう!! すごいや!!」
両手を挙げて叫んだ。
一緒にいたへレンがどさくさに紛れて、ネーブルファイン家万歳ッと一唱したこともこの際しょうがない。チケットを渡され、わーっと声を上げながら手の中のそれを眺める。まるで金の卵のようだ。
「ありがとう、おじいちゃん!!」
「なーに、但し無くすでないぞ。それ一枚しか用意はできんかったからのう」
うんわかったと威勢良く答えると、デュオは鞄から本と羽根を取り出した。今日は珍しく課題が出されてなかったので、ご飯を食べ終わったらすぐに魔法の練習をするつもりだったのだ。
「今日は早いのう。もう出るのか」
「ん。少しでも頑張んなきゃ。それに、今日こそできるような気がするんだ」
「ほっほっほ! その意気じゃ! 頑張るんじゃぞ!」
うん、それじゃいってきまーすと元気よく叫んだデュオは、ドタバタはしゃぎながら出て行った。
その後ろ姿を見て、そっと微笑んだラスタバンは、自分の部屋に戻るために食卓を立つ。
その目に少し、
本当に少し、
悲しみの色が浮かんでいたことを、少年は知る由もない。
☆ ☆ ☆
夕刻。一人の男が、薄暗い城の一室で、窓の外に広がる町並みを見下ろしていた。
燃える様な夕陽に照らされて、黄金にその姿を染めたディースの街並みは、まるで神々の祝福を受けたかのように美しい。その中でもディース神殿が、ひときわ目立って輝いていた。
「それで、奴はなんといっていた」
その男……白銀の鎧を身に纏い、腰に一振りの大剣を携えた老人が、窓の外に眼を向けたままそう言った。すっかり白くなった髪をオールバックにまとめ、片眼鏡をつけたその顔は、ところどころ深いしわが刻まれており、重苦しいほどの威厳を醸し出している。
背中の赤いマントには、黄色い竜の紋章が施されていた。
「は、お伝えします。今のところ、あれはまだ動いてはいません。ただ、あの方によれば……結界に微妙なほつれを発見したとのことです」
後ろで、膝をついて控えていた若い騎士がそう応えた。
老騎士は、ご苦労だったと一言つぶやく。
若い騎士は頭を上げ、口を開いた。
「畏れながら……伺ってもよろしいでしょうか」
「……どうした」
予期しなかったのか、老騎士が顔を少しこちらへ向けた。夕陽に当てられ輝くその姿に、若い騎士は息を呑む。
そして告げる。
「何が・・・起きようとしているのでしょう・・・」
老騎士は、黙ったまま、ゆっくりと顔を窓の外へ向けた。
若い騎士は、時が止まったかのように、ただ床に伏していた。
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