第7小節目、西園寺新という男
「ただいま、おかえり」
あたしは小さな頃から、帰宅して玄関の扉を開ける時、必ずこう挨拶して家の中に入る。
パパとママは最寄駅に併設した商業施設の一角で、小さなカフェもどきの飲食店を営んでいて、月に2回の定休日以外にはこの時間、まず家にいるなんて事はない。
実はあたし、小学校にあがるまで「ただいま」と「おかえり」の区別がつかなかったんだ。
これは、その時の名残のようなものだ。
この話しをすると、あたしを凄く
そういえば・・・。
過去に一人だけ、このちょっとだけ変わった挨拶について、手放しで賛同してくれた子がいたっけね。
まだまだ記憶も朧げな、小さな頃の話しだけれど。
★★★
電気の消えた、何の音もしない家の中は、明るい時とはまるで違った
まるで初めてその場所に来たような、そんな風情。
ぱちり、ぱちりと、ひとづつ明かりを灯しながら自分の部屋まで向かうのは、時としてちょっとばかり怖いと感じる事もーーー特に悪天候の日なんかはーーーあるっちゃあるけれど、あたしは幽霊とか超自然現象なんかとは無縁だし、その一連の儀式さえすんでしまえば、この後は制服のままお菓子を食べようが、ごろごろしながらテレビにかじり付こうが、二人が帰ってくるまで、しばらくはおもいっきり自由だ。
気楽なものだった。
それに今日みたいな日は特に、そんな自分を取り巻く環境にとっても救われたような気がする。
なんだか、妙にひとりになりたかったから。
あたしは、いつものように、床に横たわったウサギのぬいぐるみを上手に
お腹の上で、眠り姫みたいに手を組み、今日起きた色んな事に思いを巡らせる。
・・・
あいつ。
あたしが「言わない」っていったら、それからは、振り向きもしなかった。
立ち止まる事さえ。
『 殿下 』
そう呼ばれる彼は、高校生とは思えない洗練された所作と、きりりとした風貌が特徴だ。
切れ長の目元、まるで描いた様に完成度の高い鼻筋、薄過ぎず、厚過ぎずの絶妙なボリュームの唇、控え気味に上がる口角。
色白というわけでもなく、それこそアジアンビューティーを体現したような面構え。
185㎝を越えるという痩せ型のモデル体型で、360度、どっから見ても文句のつけようのない立ち姿を誇る。
映画とカメラをこよなく愛す。
あたしからすると天文学的お金持ち4人で構成する乗馬クラブに所属する。
でっかい病院の跡取り息子で、卒業したら国立の医学部へ進むべく、目下猛勉強中・・・
などなど。
いわばうちの高校の、アイドル的存在と言っていいだろう。
実はあたしのクラスでも多くの女子が、殿下推しを公言している。
と言うわけで、たいして興味のないあたしでさえも、とにかく、彼についての情報にはことかく事はなかった。
実を言うと・・・。
殿下推しだという娘たちの所有している隠し撮り画像を、半ば無理やり鑑賞させられる事など、日常茶飯事なんだ。
でも、正直な話し、それらは表情のバリエーションに乏しく、いつも似たり寄ったりに見え、いまいち面白みのないその画像に、あたしの食指はびくともしなかった。
それに、ヘルメスのようなマッチョが好みのあたしには、細すぎるしね。
しかし、そこがクールビューティの極みであり、殿下たる「
彼女たちはそう、力説するのだけれど。
(クールだって? 真実の姿はどうよ)
まばたきする度に、ころころ変わるインプレッション。
よく動く口もと。
そんで、こっちが戸惑う程になれなれしい一面もある。
したたか。時に、甘い香りもしたっけ。
結構優しい。 ううん、とても優しいのかも。
でも怒りんぼでもある。
もしかすると、かなりのロマンチスト…なのかな?
それに…。
まるでお腹がすいた子犬みたいだった。
息づかいまで聞こえてきそうだった。
男の子って、あんなふうになっちゃうんだ。
あたしの脳裏に一瞬、視聴覚室で先生が出した思わせぶりなクイズの解答がフッと浮かぶ。
(…そういえば、おもいっきりひっぱたかれてたよなあ)
凄い音がした。
片方の頬が真っ赤になってたのが、言っちゃあ悪いけど、少しばかり可笑しかったな。
(しかし、ミス芸高ってば、見かけによらずやるよなあ)
あたしだったら多分、すぐに陥落しちゃって、そのうちに自分から、背中に手をまわしちゃうと思う。
あんな風に、自分を欲しがる姿を、目の前で見せつけられたなら。
(げ。また思い出しちゃった、かなりリアルに)
お腹の下に、ヘンな違和感を覚える。
(あたしって、結構エロいんだな。 ああ、去れ去れ、残像よ!)
そう思い目をつむった事で、今度はさっき目薬を差してもらった直前の自分を思い出し、火照った顔の温度がさらに急上昇する。
(あたし、あの時、くちびる突き出してたよね、多分。
いいや、絶対してた。
何考えてんだろ! アホ丸出しだよ~!!!!)
今まで味わった事のない、あたし自身の、制御不能な心の揺れ。
考えれば考えようとするほど、確信からどんどん遠ざかっていく気がするのは、思い過ごしなんだろうか。
まるでどこかから湧いてくるように…。
今日起きた、色んなシーンが鮮明に、次から次へと切り替わり、どうにもこうにも整理がつかない頭を両手で無茶苦茶に掻きむしっていると、枕の横に置いていたあたしのスマートフォンが、ピコピコと、間抜けな音をたて始めた。
[眼鏡美人]
--------ねえ、ちゃんと家、帰れた?
絵麻だった。
[眼鏡美人]はあの子のチャットのハンネだ。
(… 薄情な女め)
あたしは一度、大きく舌打ちをした。
女の子ってのは、彼氏ができた途端、人間関係の優先順位を簡単に入れ替えてしまう。
(あたしが保健室に運び込まれたってのに、顔も見せないだなんてさ)
そう、返したい気持ちはやまやまだったけれど、今は指一本動かすのでさえもなんだかとてつもなく億劫だ。
こういう時には、感情を持たず、手短かに返すに限る。
--------うん 今いえについたとこ 心配かけてごめん 何ともない
[眼鏡美人]
--------いきなり倒れたからびっくりした。平気なのね
--------たんなる寝不足 たぶん
[眼鏡美人]
--------安心した!!!!
--------でもあのさ、いっこ聞いていい?
--------ん?
[眼鏡美人]
--------あんた、殿下とはどういう関係???
--------知り合い???
(きた!)
そうだよね。
当然、そう思うよね。
『真っ先におまえを抱き上げに行ったよ』
あれが冗談でなく、もしも真実だったとしたら。
何かいい訳しなくちゃと、文字を入力したり、削除したりを何べんも繰り返す。
あたしには、固く結んだ約束があった。
だから、下手な事は言えないし。
そうやってもたもたしていると、先に絵麻からのメッセージが入った。
[眼鏡美人]
--------結構な大騒ぎになったの あのあと
-----------------騒ぎって?
[眼鏡美人]
--------うわさの秘密の恋人発覚、とか
--------校内に恋人がいるかもって噂があるらしくて
----------------恋人って、だれが?
[眼鏡美人]
--------だから あんた
--------あんたがその恋人かもってちょっとした騒ぎになってるの
(うっそ…)
[眼鏡美人]
--------違うよね?
----------------ありえないよ!
[眼鏡美人]
--------だよね! うーん、でもへん
----------------何が?
[眼鏡美人]
--------あたし授業が終ったあと、保健室に寄ったんだけど
----------------え?そうなの?
[眼鏡美人]
--------うん
--------だけど、内側から鍵がかかってて、入れなかったの
--------だからホントにあんたが恋人なのかもって
--------そのときつい疑っちゃったんだ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます