第24話(上) 引きこもりと、おやすみ(1)


 夏休みも佳境に入ってきた。宿題は鬼のように出ているが、知らないふりをして毎日を無為に過ごしている。相変わらず依里は家の中にいるし、何かが変わったというわけでもない。


 いつも通り僕は勉強用具を机の隅に積んだまま、漫画を読んでいた。依里はベッドに横たわってスマートフォンをいじっている。夏休みに入って、毎日がこんな感じだ。


 たまに妙なボードゲームをネットで購入し依里とプレイしたり、受験勉強につかれた妹の世話を焼いたり、買い出しに行ったりすることはあるが、なんてことのない日は依里と二人雑談をしたり自由な時間を過ごしている。


 この間はシリコンバレーに行く飛行機のチケットが無事取れたという話を嬉々としてしていたが、僕はその報告を若干上の空で聞いていた。


「明日から、私は実家で過ごそうと思います」

「はぁ……え?」

「ついに引きこもり脱却です!」

「なるほど……?」


 そんな最中、依里からの帰省宣言が出された。


「実家って言っても、お前の家隣じゃん」

「はい、この間パパが『いい加減人様の家に迷惑かけ続けるな』……と」

「一分の隙も無い意見」

「それに私はパスポートのために車を出してもらっていたこともあり、『いやだいやだいやだいやだ!』と抵抗したのですが」

「接続詞間違えた?」

「私が家に戻るか、それとも恭弥が私の家に一緒に住むかじゃないと許さないという話になりまして……」

「なんで?」

「結果、説き伏せられ私は家に帰ることになりました……今までお世話になりました」


 なぜか一回僕が依里の家に住む話が挟まっていた気がするが、気のせいだろうか。


「……寂しくなるな」

「ええ、私も寂しいです。ですが! 逆に言うと明日まではここに居ていいということなので! 今日は恭弥の部屋で寝ます!」

「それはダメじゃない!?」

「なんでですか! ホームステイ先の家に泊まれないほうがおかしいじゃないですか! よーく考えたら私毎日窓から家に帰ってるんですよ!? おかしいですよね!?」

「おかしいけど!」

「なので、そのおかしさを是正しようと思います! 今日の夜、私はついに決行しようと思います!!!!!」



 そんな意気込みを聞いた僕は――風呂から出た後、なかなか部屋に戻れずにいた。


「どしたの兄ぃ、牛乳ぬるくなっちゃうよ?」

「ホットミルクも好きだから大丈夫」

「ぬるい牛乳をホットミルクとは言わないよ、兄ぃ」


 洗い物をしている千尋が、僕の異変に気付いて声をかけてくる。ただいまは構わないでほしい。精神統一に忙しいので。


「そいえば、千尋もあの女も風呂入った後だったから、水抜いといてね」

「風呂入った後……」

「兄ぃ、聞いてる?」

「え? ああ……聞いてる。依里が風呂入ったんだって?」

「間違ってはないけど……」

「もう入ったのか……」

「兄ぃ? なんかキモいオーラ出てるよ? ……千尋、部屋に戻るね」

「おやすみ」

「うん……おやすみ……」


 千尋が後ずさりしながら部屋に戻っていった。今の僕は何か変だったりするだろうか。もう一度シャワーを浴びてきたほうがいいか?


 ……なんて。

 何かあるわけでもない。平常心――そう、平常心だ。



 『恭弥&依里の部屋』――看板を確認し、扉を開ける。電気はもうついていない。

「依里は帰ったか」


 さすがに、冗談だよな。

 電気をつけるかどうか迷って――この部屋の構造をすべて知っている自分を信じた。今更転んだりぶつけたりはしない。それに今日はもう寝るだけだ。


 夜空の明りが差し込まないこの部屋は、完全な暗闇に支配される。目が見えない分、ほかの器官が活発になる。たとえば――耳とか。

 がさっ、というタオルケットが擦れる音の正体は、虫ではない。


「私……います、けど」

「どこにいるんだ……」

「どこでしょう?」


 暗闇で、依里と二人きり。

 いくら記憶をさかのぼっても、そんな思い出はない。


「立ったままじゃ眠れませんよ? ベッドはこっちです」


 依里が購入した、新しいベッド。従来のベッドと比べて、1.5倍ほどのサイズがある。依里は小柄だ、僕と二人で詰めればちょうど寝れるくらいの大きさはある。


「お邪魔します」

「いいんですよ、いつも通りで。私のことなんて気にせず寝てください」


 なぜだろう。今日の依里はいつもより艶っぽい。

 依里に触れないように、そっとベッドに膝を乗せる。辺のギリギリ、端っこのほうに慎重に寝転がって――。


「もっと、こっち来てください。遠慮せずに」


 来ていたTシャツの袖をつかもうとしたのだろう。だが、依里も見えていないようで、思いっきり腕に手が触れる。


「ひゃっ――」


 と、依里は小さな声を上げる。それでも、その手を離さない。そのまま自分のほうに引っ張って、僕はベッドの上で寝返りをさせられた。


「どうです? このベッド、意外と広いんですよ?」


 暗闇の中だ。依里の姿は見えない。

 だけど、確実に僕の隣に依里がいる。

 コイルは軋まない。だけど、マットレスは確実に凹んでいる。

 手の届くところに、幼馴染の女の子が寝ている。いささか、男子高校生には衝撃的だ。


「確かに、広いな」

「ですよね。いつかこうなると思って頼んでおいてよかったです」

「そんなこと考えてたのか……」

「違いますよ!? ただ、二人ともこの部屋にいるのに、ベッドに一人しか寝っ転がれないって不便じゃないですか!」


 依里がベッドを使っている間は僕は椅子に座って、その逆もしかり。寝転がりたいなと思う瞬間は何度かあったし、そういう時は床に寝転んでいた。依里の買い物ついでの段ボールが活躍していたのは周知の事実だ。


「狭くないか?」

「そんなことないですよ。それに、壁が冷たくてきもちーです」

「嫌じゃないか? 寝返りとかするよ?」

「むしろそれは私が心配です……寝相悪いので。恭弥の寝る癖なら知ってるので、問題ないですよ。歯軋りとかしませんし、寝言も聞いたことないです」

「なんでそんなこと知ってるの……」

「私のほうが寝るの遅いですし。知ってました? 私の部屋と恭弥の部屋、繋がってるんですよ?」

「窓の向こう側なんだよなぁ……」

「いいじゃないですか。自由に行き来できますし」


 そうは言いながらも、僕は依里の部屋を訪れたことはあまりない。依里が引きこもるようになってからは、部屋にある依里の私物を戻しに行くとき以来だ。千尋に怒られた片づけイベント以来足を踏み入れていない。


 勝手に入ってはいけないところ――他人の部屋(依里の聖域)だと強く感じる。

 繋がっている、と考えるのは依里だけで。

 僕にとってあの窓は、依里がやってくるための入り口でしかない。


「当たり前だけど、ただの窓だよ」

「はい、窓です。わかってます、わかってますってば」


 わかっている。

 当たり前のことだ。


「部屋は繋がっていません。ただ窓が面しているだけ。でも、知ってました? この家、もともとは一軒の大きなお家だったらしいんですよ?」

「それは、知らなかった」

「なんでも、長屋を改装したらしいです。多くの人に売るために、一つの区画を二つに分割して、そこに家を建てたらしいんです。パパに聞きました」

「へぇ」

「だから、昔は本当に繋がってた可能性もあるかもしれません」

「繋がってた、って思うほうがいいのか?」

「気が楽です。毎日――あの部屋で、一人で寝ることを考えるよりは。“帰る”って単語がチラつくんです」


 もぞもぞ、と隣で依里が動く。ベッドの沈み方が少しだけ変わった。


「私が求めていたのは、これだったのかもしれません」

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