第22話 引きこもりと市役所


 夏休みの初日。

 幼馴染は炎天下の中、麦わら帽子を被っていた。


「これは、目元が隠せるいいグッズですね!」


 その分目立つというデメリットがあったが、依里はその辺は気にならないらしい。

 まずは、パスポートを更新しに行きます! という依里の言葉が発端だった。その瞬間、僕の明日(今日)のスケジュールが埋まったと言い換えてもいい。


「外に出るのに抵抗は?」

「メチャクチャありますよ! そりゃもう……」


 家の前に人がいないかどうかチェック。曲がり角で人間を見ないかどうかをチェック。まだ二十メートルも歩いていないのに、僕はすっかりへとへとだった。夏の暑さもスリップダメージを加えてくる。


「あそこに人がいるので、迂回をしましょう」

「また人ですね、迂回」

「こっちも通れませんで、戻りましょう」


 相星依里司令官の厳重なチェックと度重なる方向転換により、グレーのTシャツの色がどんどん濃くなっていく。着ているだけで不快になるくらいの湿り気だ。


「なぁ依里、人を避けたまま市役所にはたどり着かないと思うんだ」

「……やはり、そうですか」

「市役所にはたくさん人がいるし、窓口では話さなきゃいけない」

「AIがすべて応対してくれる世界線にワープしましょう。人間が一人も残っていない世紀末でも可です」

「人間のこと嫌いすぎない?」


 冗談交じりに話すが、依里の眼はいたく真剣だ。本当にあればいいと真面目に考えている。


「私、別に人間が嫌いなんじゃないんですよ?」

「そうなの?」

「私を見て、不思議な生き物を観察するような目で見てくる人が嫌いなだけです。それが統計上ほぼすべての人に当てはまるというだけで」

「全員じゃん」


 なんなら僕もちょっと含まれるよ。ごめんな。


「誰が何を考えているかなんて、私にはわかりません。だから私は――人が、怖いんです」

「襲ってきたりしないから問題ないって」

「物理的に殴られる話をしているわけじゃないんです。私を見て、ただそれだけで私のことを決めつけて――私のいないところで、私が大きくなっていく。そういうのが、苦手なんです」


 麦わら帽子を深くかぶりなおす。大きな鍔が日光とともに人の視線を遮ると信じて。


「実害がないからどうでもいい――そういう人は、心の痛みを実害だと思っていないだけなんです」


 依里に何があったのか、僕は知らない。彼女が人を怖がるようになった理由も、原因も。

 僕の知らない四年間か――あるいはその前からか。

 僕が知っているのは、僕と一緒に話している瞬間の相星依里だけだ。


「それでも――私は、このままじゃダメだって思ったんです」


 ここを道なりにまっすぐ行くと、市役所のある大通りにたどり着く。そこには、歩行者と自転車が通ることのできる大きな歩道がある。それくらいには、交通量の多い道だ。依里だって、この辺の地理に弱いわけではない。それくらい知っているだろう。


 それでも、依里はその道に向かって一歩を踏み出した。


「心を痛めながらでも、傷つきながらでも、立ち向かわなきゃいけないんです――」


 まるで主人公みたいだ、と。

 なんの嫌味でもなく、心の底からそう思った。

 


「くっ、今日はこの辺にしておいてあげますね!」

「かませ犬じゃん」


 もじもじとしながら歩道を歩くこと二分。でっかい麦わら帽子を被り、思いっきり内股で下を向きながら歩く女の子を見れば、そりゃ注目も集まる。

 人目を感じたその瞬間、依里は悲鳴を上げてわき道に逃げ込んだ。


「無理ですよこんなの!」

「そしたら海外もいけないけど……」

「って言うかなんでこんなに人の多い日中に行く必要があるんですか!? 早朝でいいじゃないですか! 市役所だって開いてますし!」

「ごもっともな意見だけど、『善は急げ』って言って出てきたの依里だから」

「勢い任せに行動すると痛い目に合うってことですね! わかってますよそんなことは!」


 もう家を出る時の勢いは依里にはない。スイッチが切れてダメになってしまったようだ。


「今ダメ人間だなー、って思いましたよね!? ね!?」

「思ってないって……」

「ぜーったい、思ってます! 一人で市役所にもいけないんだって思ってます!」

「めんどくさっ……」

「今めんどくさいって思いましたよね! ええそうですよ引きこもりはめんどくさいですよ! 逆に開き直ってあげます! ふんぬ!!!」



 何らかの扉が開いてしまった依里を無理やり家まで連れ帰って、冷えたカルピスを一杯手渡した。途端に電池が切れたかのようにおとなしくなって、ベッドに倒れこむ。


「あー、もう今日はダメです。全部失敗します。おやすみなさい」

「おやすみ……」


 死んだ目をしている依里は、そのまま睡眠に入っていった。相当体力を使ったのか、まだ僕が部屋から出ないうちに寝息を立てていた。


 ちなみに、パスポートの更新は後日依里の父親とともに車で向かったそうだ。

 最初からそうしてくれ。



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