第20話 引きこもりとスカウト
「兄ぃ、いつまで寝てるの?」
気づけば、時計の針は三時を指していた。深夜三時――そんな微妙な時間に起こしてくるなんて、我が妹ながら何事だ?
「朝ごはん持って行ってあげないと、あの女餓死しちゃうよ?」
「ふぇ……?」
寝ぼけ眼をこすると、外はすでに明るい。当たり前だが、深夜三時ではなかった。深夜三時に元気いっぱいなのは依里だけだ。僕の幼馴染は生活リズムが狂っている。
「千尋は持って行ってあげないの?」
「なんで千尋が持って行かなきゃいけないのさ。そもそも兄ぃだって持っていく義理なんてないのに。甘やかすからつけあがるんだよ!」
妹が言うことは、往々にして正しい。それでも、僕は依里を見放せない。
「あの女があの部屋から出てきてここでご飯食べれば問題ないのに……最近はよく部屋から出てくるし、もう閉じこもることにこだわらなくてもいいんじゃない? あれはただの怠惰だよ」
「確かに……昨日の夜も降りてきてたよな」
「兄ぃ、起きてたの?」
「寝てたけど」
「……そういうことにしといてあげる。でもそういうんなら貫き通してよね」
我が妹は、物分かりがいい。
凹んでいる依里を、見なかったことにするという僕の逃げ腰戦略を見抜いたうえで返事をしてくれた。
いつも通り依里の分を取り分けて、トレーに乗せる。今日は、僕の分も一緒だ。たまには依里と一緒に朝ごはんを食べよう。
階段を上る前に、ぼそっと千尋は――僕に向かって吐き捨てた。
「兄ぃの意気地なし」
「依里、開けるよ」
「どうぞ!!!」
昨日のおしとやかさはどこへやら――依里はいつも通りのテンションで僕を歓迎してくれる。お腹がすきすぎておかしくなっている可能性もゼロではない。
「おはよう、依里」
「おはようございます、恭弥」
朝の挨拶をするのは、久しぶりだ。
起きたら目の前に依里がいる――そんな生活を続けていたせいで、挨拶するタイミングを逃していた。いつも以上に新鮮な朝だった。
「昨日は、リビングで寝ていたんですね。お騒がせしました」
「いやまぁ……驚いたけどね」
お互いに、相手の間合いにどう踏み込めばいいのかわからず、遠回りな会話から始める。この瞬間に、依里と僕は兄弟でも親子でもなく、あくまでただの幼馴染――他人だということを強く実感する。
「驚かせてしまってすみませんでした」
「謝らないでよ。それより、なんでそんなことしてたの?」
「ええと――その……それは」
依里は、もごもごと口どもる。伝えたいことがあった、ということだけしか僕にはわからない。外に出た時もそうだ――何かを言おうとして、伝えられずに戸惑って。
ずっと、おなじことを繰り返している。
「そうです! 私は――伝えたいことがあるんです」
一つの決心を、ようやく決めたようで。
依里は、口を開いた。
「私、シリコンバレーに行きます」
「……は?」
どんな報告かと思えば――引きこもり脱却どころの話ではなく、まさかの国内脱出だった。
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