第19話 引きこもりは幼馴染
「ううっ……」
「ねぇ、引きこもり」
「ううっ……ううっ……」
「メンタルが強いっていうの、どこに行ったのよ」
深夜徘徊を終えて風呂から出ると、依里が千尋に詰められていた。
「私なんて……どうせダメ人間ですよ。家から出ずにゴロゴロゴロゴロ、気が付けばどこにも居場所がなくてみじめに朽ちていくんです……」
「将来の想像図を描くのが上手じゃない」
「そこは妄想だってバッサリ斬ってくださいよ千尋ちゃん!」
「別に、千尋が優しくする義理なんてないし」
「それならなんで優しそうに近づいてきたんですか!」
「兄ぃと散歩から帰ってきたら泣いてたから……そりゃなんかされたと思うでしょ……同じ部屋にいるから手を出してこないっていうのは千尋の監視ありきなんだからね?」
「監視してるんですか!?」
「してない! バカ兄ぃの何が気になって監視しなきゃいけないの!?」
あれ、これってもしかして本当に見られてる?
後で部屋のものを片っ端からチェックしておく必要があるな……盗聴器が出てこなければいいが。
「兄ぃが何かしたなら、千尋は話聞くから。それ以外なら知らない。自分で考えて」
「千尋ちゃ~ん……(涙目)」
「ちょっと! あんた高二でしょ!? なんで中学三年生の千尋に泣きつくのよ!」
「高校二年生ともなるとプライドを捨てられるんです! バブ味を探知したらオギャりに行きます!」
「……ほんっとにキモい!」
マジの軽蔑だった。
いつものあしらう様な表情すら消えうせて、依里の手をはたく。ちゃんとした拒絶を受けて、依里はさらに深く凹む。当然の帰結なのでフォローはしない。
「千尋はもう寝るから。兄ぃ達が心配なんてさせるからこんなに遅くまで起きてるだけなんだからねっ」
「悪いな、勝手に外出たりして」
「別にいいんだけど。勝手にいなくなったら、心配するじゃん……」
「本当に、ごめんなさい……。したいことがあったんです」
「ふぅん、できたの?」
千尋は、核心には触れず表面をなぞる。
「いえ……できませんでした」
「じゃ、次がんばりゃいいんじゃない? 受験と違って、チャンスは一回きりじゃないんだから」
「あの……最近ドタバタしてすみませんでした」
「別に。怒ってないから」
この間のやり返しだろう。千尋はふん、と依里から顔を逸らす。してやったり、という表情のままその後ろにいる僕と目があった。
「兄ぃ……いつまでそこに突っ立ってんの」
見られたくない顔を見られた時の理不尽な怒りが僕に突き刺さる。恥ずかしさも相まってか、風呂から出たばかりの僕よりも顔が赤い。
「ほら、早く戻った戻った。こっからはガールズトークだから」
リビングから僕は追い出され――自分の部屋のドアを開ける。
中からは、依里の残り香がした。だけど、その部屋は真っ暗で。
深夜三時。真っ暗なのは当たり前。
でも、そうじゃなくて。
依里がいない部屋に入るのは、いつぶりだろう。トイレに行っていていない――くらいなら、あったのかもしれない。だけど、電気のついていないこの部屋は――どこか、他人の部屋に足を踏み入れてしまったような感触があった。
ドアには、『恭弥の部屋』というプレートがかかっている。プレートにはおまけのようにガムテープが張られており、上から『&依里』という言葉が付け加えられていた。
「喧嘩にならなきゃいいけどな……」
依里と千尋を一緒に置いてきたことに若干の後悔はある。基本的には水と油だ。中和剤がなければマヨネーズは完成しない。
二人とも子供ではないから、そこまで大きな喧嘩にならないとは思うけど……。
そんなことを考えながら、電気もつけずそのままベッドにダイブする。新調したベッドのはずなのに、身体はこのマットレスの柔らかさに順応している。寝転ぶとすぐに眠気に包まれ――意識は深い闇の中へと落ちていった。
近くで、何かが動く気配がした。
音がしたわけではない。
浅い微睡みに意識が切り替わっていたのだろう。ぼんやりとだがそこに熱を感じる。
「……あわわわわわわわ」
世闇の中で、小さく震える声。
ぬっ、とタオルケットもかけずに寝ている僕の上に、白い手が伸びてきた。
その手は、僕の身体の数センチ上に位置したまま動かない、触れられるわけでもなく、ただそこに上下していた。
なんの夢だろう――と考えている間に、手は暗闇の中に戻っていった。
「恭弥に自分から触るなんて――できません」
それからすぐに聞こえたのは、依里の声。
「用もないのに触るなんて――そんな……」
いつも依里が触ってくる、なんてことはないが、それでも同じ部屋に住んでいる以上ボディタッチがないとは言わない。
今更何を言っているんだろうか。依里に対してそうであってほしいと思っているから、夢で彼女が出てきたのかもしれない。
「ぐっすり眠っているみたいですし、明日にしましょう――」
そうして、その影は消えていった。
明日何が起こるのかは僕にはわからない。
そして翌日。
何もなかった。
ただ――また、同じ夢を見た。
依里が僕の枕元に現れて、ずっと考え事をしている――そんな夢。
次の日も、その次の日も、さらにその次の日も。
明日にしましょう。また明日。次の日に。明日に。明日明日明日――――。
ずっと、同じ夢だった。
そんな夢を見ていたある日、僕は初めて依里の手をつかんだ。いつも通り微睡んでいて、身体を動かす気力もない。それでも、伸びた手を掴んでみた。
夢だとは思えないくらいの、現実味のある冷たさがそこにはあった。
「恭弥!?」
「……なんだよ」
ぶっきらぼうな返事になってしまった。
「起こしてしまってごめんなさい! そんな、私は別にやましいことがあったわけでは――」
少しずつ声が小さくなり、聞き取りにくくなる。
「でも、私――今日こそ、伝えます」
明日が、今日になった。
依里の時間が、初めて時を刻む。
「私……私……恭弥のことが……――……――」
今にも消え入りそうな声だった。
というか、消えてしまっていた。
つかんだままの依里の手は、気が付けば人並み以上の熱を放っていて。
「……ごめん、なんて?」
聞こえなかった言葉をもう一度聞こうと、僕は依里に聞き返す。
「その――なんでもありません! 放してくださいっ!」
依里は、僕に握られていた手を力いっぱい振りほどく。
そのまま、窓の外に逃げて――勢いよく窓を閉めていった。
「なんだったんだ……」
わけのわからぬまま、依里はどこかに行ってしまった。
たった一つだけわかったことがあるとしたら、今あったことは少なくとも夢じゃないということくらいだろう。
気が付けばからからになっていた喉を潤すためにリビングに降りると、千尋がそこにいた。
「こんな時間まで勉強か……偉いな」
「うん。上でやるといっつもあの女が兄ぃの部屋で呪詛唱えてるから」
「全部、夢じゃなかったのか……。依里、最近嫌なことでもあったのか……?」
「マジで言ってるの兄ぃ……?」
「何が……?」
「なんでもない。あの女、意気地なしだからしゃーないか……」
はぁ、と千尋は勉強からくる悩みではないところでため息をついた。
「そういや、なんかぶつぶつ言ってたと思ったら急に逃げ出したしな。どうしたんだろ」
「……鈍感兄ぃ、そんなんだからモテないんだよ?」
「そしたらお前が養ってくれるだろ」
「中学生に集らないでよ、バカ兄ぃ」
どいつもこいつも、と謎の悪態をつきながら千尋はシャープペンシルを動かす。
「ま、いいや。千尋はなんも知りません。本人たちでよろしくどーぞ」
ふざけた答えをしてしまったからか、千尋の機嫌が悪くなる。
「よろしくも何も……僕と依里はただの幼馴染だよ」
「はいはいそーですね。勉強の邪魔だから、部屋に戻るかあっちでテレビでも見てて?」
千尋は僕のことなんかどうでもいいとばかりに、邪険にあしらう。当たり前といえば当たり前だ。
何があったのか全く分からなかった僕は――もやもやとした気持ちを払拭できずにテレビをつける。深夜帯のバラエティが放送されていた。ソファに横になって、タレントの面白おかしい会話を聞いていると――パタパタと、足音が聞こえる。
この家に今いるのは、僕と千尋と――依里だけだ。
「千尋ちゃん」
「今度はアンタか……どうせ今日もダメだったんでしょ?」
「……はい、大失敗をしました」
「それに懲りたら止めたら? 兄ぃの前でぶつぶつ言うの……」
「ぶつぶつなんて言ってません! 寝る前に少し寄り道しているだけですから!」
ソファに横になっていると、千尋たちがいる食卓からは死角になる。どうやら依里は僕がいることに気づいていないらしい。
「私、もしかして……恭弥に迷惑をかけてるんでしょうか……」
「安眠妨害して、部屋の家具一式別のものに変えて、わけわからんインテリア勝手に飾って、その上部屋を勝手に散らかして、モニタ4台勝手に搬入して、深夜に呼び出して外に出て……っていうか兄ぃの部屋勝手に占領して、それで迷惑かけてないっていうほうが無茶じゃない?」
うわ――正論の槍がすごいですっ! ――といういつもの依里のノリが返ってくるものだと思っていた。
だけど、今日の依里は。
「そう……ですよね」
と。自分のしてきたことを粛々と受け入れて、千尋の攻撃をすべて受け入れてしまった。
「ああ、いや、少し言い過ぎたかも。兄ぃだって別に嫌がってるわけじゃ――」
「いえ、いいんです、千尋ちゃんの言う通りだと思います」
「…………」
「…………」
千尋も依里も、黙りこくってしまった。聞いてはいけないものを聞いてしまったような罪悪感が、胸の中に残る。
「……ごめん、別に、責めるつもりはなかったよ」
「いえ……私は、もう寝ますね」
「うん、おやすみ」
千尋らしくない、優しい声音だった。
依里に対してはおろか、僕にだってこんなに優しい声にはならないだろう。それは、この空気を作ってしまったせめてもの贖罪なのか。
ついぞ出ていくタイミングを失った僕にできることは……。
「兄ぃ? 今の聞いて――って、寝てるのか」
千尋は、ソファで目を閉じている僕を確認してから、テレビの電源を消した。
リビングの明りは、太陽が空に昇るまで消えなかった。
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