第18話 引きこもりとリベンジ^2

 今日の依里は勝負服だ。一度自分の家に戻ってから、今度はきちんと自分の――相星依里の持っている服を着て、相星依里のかつて履いていた靴を身に着けて、相星家の玄関に立っていた。


「私、頑張ります!」

「……そうだな」


 自立をしようと決心した幼馴染に、僕はなんて言葉をかければいいのかわからなくなって、短い同意をした。


「今日は、山のほうへ行きませんか?」

「人に慣れるんじゃないの?」

「いえ。もちろんそれも必要だとは思うんですけど……見てみたいんです」


 依里は上に向けて指をさす。そこにはシーリングライトがあるだけだった。


「夏の夜空。どうやら、外ではきれいな星が見えるらしいですよ」


 誰にとっても既知の事実だが、依里にとってはそうでもないらしい。


「屋根やビル影がない、自然に囲まれた場所に行ってみたいんです」

「そんなの、近場じゃ……」


 ないだろ、と否定しようとして僕は思い出した。

 かつて、僕と依里が遊び場にしていた場所がある。


「久しぶりにいきませんか、秘密基地」



 秘密基地、なんて大層な名前だが、実際はそんなに大したものではない。何があるわけでもなく、ただその“場所”を『秘密基地』と呼んでいるだけだ。


 館山家から少し離れた場所に、小高い丘がある。霊園が広がっているだけで、地元の人は用がない限り寄り付かない。その周辺にはいくつかの空き地があり、タイヤや電子レンジが無断で廃棄されている――そんな謎のスペースを、僕らは秘密基地と呼んだ。


「ちょっとした山登りですね……引きこもってから感じることありませんでしたけど、確実に体力が落ちてます……」


 週に五回の登下校だったり、嫌でもある体育の授業のおかげで帰宅部の僕ですら体力に問題はない。だが、その時間を家でゴロゴロしたりネットに使っている依里は、以前にもまして身体が弱くなってるらしい。


「自転車のマシンだけは部屋に置いておくべきでした……」

「依里の家に置いたんだろ?」

「身近にあるもの以外は使わないじゃないですか。押し入れの奥のほうにある腹筋マシン、使います?」


 母親がずっと前に買った電気の力で筋肉を振動させるマシンが家に眠っている。依里が転校する前――小学生の頃に買ったものだが、あれ以来一度も開封された姿を見ていない。


「この辺も、4年やちょっとじゃ全然変わらないですね」

「ずっと前から畑だしな。駅前から離れるとすぐこう……郊外って感じだ」

「郊外は都心より星がきれいらしいですよ?」

「秘密基地に行っても今より星がきれいに見えるわけじゃないからな?」


 右側一面に畑が広がるこの道は、街灯の感覚が広くなる。車はそばの国道を通っていくため、まったくと言っていいほど交通量がない。依里にとっては絶好のシチュエーションだ。


「いいんです。夜のお散歩ですから」

「今日は怖がらないんだな」

「暗いだけですから。暗闇には意思がありませんしね」


 千尋はこんな暗闇に入ろうともしないだろう。そしてそれが普通の女の子だと思う。


「私だって、人がいなければこのくらい普通に歩けるんですよ?」

「でもこれ、人が怖いっていう根本的治療になってないよな?」

「今日の目的はそれじゃないからいいんです!」

「変わるんじゃなかったのか?」

「そうですね――変わるんです」


 いえ、変えるんです。と。依里は自身の言葉を訂正した。



 草木の中に潜むカエルにおっかなびっくりしながらも、僕らは秘密基地へとたどり着いた。空き地が植林されるわけでもなく、昔と違うところがあればごみの数が増えたことくらいだろうか。


「これが、満天の夜空ですか」

「そ。土の臭いもする。自然の香りだ」

「いいにおい、ってわけじゃないですね。泥臭い」

「でも、フレグランスな花の香りよりよっぽどムードがある」

「間違いありません」


 ここには、高校生が楽しめるような娯楽は一つもない。僕の部屋にあるようなものもなく、明りは星空と月夜だけ。幸いなことに、雲間は一つもなかった。


「昼間はあんなに暑いのに、ここは半袖だと寒いですね」

「そうだな、ずっとこれくらいだと過ごしやすいんだけどな」

「ええ。本当にそう思います。それに、このくらいの天気だと恭弥も窓は閉めないので、部屋に一体感があります」

「ここから先は分断されるもんな」

「熱帯夜には困りものですよ」


 依里は、なんでもない話を続ける。


「昔は、虫だって触れたんですけどね。知るようになってからは怖くなってしまいました」


 とめどない話を、ずっと。


「最近猫背になっちゃってですね……」


 煮えたぎらない会話。


「夏休みに入ったら、心おきなく遊べますね! なにします?」


 歯と歯の間に何かが引っ掛かったかのような、ぎこちなさが。


「どう? 満足した?」

「全然。」


 上機嫌で話していた依里は、僕から顔を背けただ一言つぶやいた。急に発せられた低い声音に、僕は少しだけ心臓がきゅっとなる。


「変わるつもりでした。変えるつもりでした。でも……難しいんです」

「なんか、悩んでるのなら……話くらい聞くよ? これでも、一応僕は幼馴染だし」

「悩んでる、ように見えた?」


「ずっと」


 昼間っから――いや、僕の部屋に引きこもるようになってから、ずっと。

 依里は、なにかを隠して過ごしている。


「……そっか」


 依里の口元が、そっと開く。言うか、言わないか。喉元を過ぎた言葉が、あと一歩のところで詰まっていた。


 夜は魔物が棲むという。それは、修学旅行で行われる秘密の話のような――普段なら言えないことを聞くことのできるチャンス。


 聞くのなら今しかない。僕はそう思って、依里の言葉を待つ。

 意を決した依里が、胸元で手を握りしめて言葉を発した。


「私――」


 プルルルル――。


 電話の着信音がした。発信源は、妹。見計らったようなタイミングに、依里は笑ってしまった。


 その笑いは、いつもの依里の笑い。


 ――タイム、リミットだった。


「千尋ちゃんからですね。心配かけちゃいました」

「依里は、何を言おうとしてたの?」

「夜空がきれいだなって話ですよ」


 ダメ押しの追撃は、あえなく空振り。


 依里はいつも通りのテンションで、家までの帰り道を歩く。


 するのは、他愛のない会話。


 それでも、依里の握りこぶしは家に帰るまでずっと握られたままだった。


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