第3章 お金を持っていても、手に入らないものがあるみたいです

第15話 引きこもりとVR

 期末テストが終わった木曜日。テストが終わってから返却されるまでのほんのわずかなこの時間だけが、学生が本当に勉強に縛られずにのびのびとできる日だと思う。


「依里のおかげで何とか英語を乗り切れた!!!!! 大感謝の舞!」

「よかったです! どういたしましての舞!」


 吹っ切れてテンションがおかしくなった僕にもしっかりついてきてくれるあたり、依里はもしかしたら変人なのかもしれない。自分のことを棚に上げてそんなことを考えた。


「今だけは全部忘れて遊びましょう!」


 かまってくれる相手ができてうれしいのか、依里は男子小学生並みの勢いで部屋の中を走り回る。


「そういえば、なんか買ってたんだっけ?」

「そう! そうなんですよ! 見てくださいこのセット! VRっていうんですけど!」


 依里は一つの段ボールをザクっと開封した。その中にあったのは、パソコンにつなげて遊ぶタイプのVRキットだった。


「二人分買ったんですけど、どうですか? 一緒にやりません?」

「また千尋に怒られないか? ゴミだとかで……」

「遊べばゴミじゃないんです! 遊ばなくなったらおとなしく捨てましょう!」


 依里は使い切れないほどの資産を持っているからか、モノの価値にあまり興味がない。これだって揃えるのに一万円は軽く超えているだろうに……。


 ほらほら、と言われるがままにヘッドセットを装着する。モニタと画面は連動しているようで、そこには高所経験シミュレーターが立ち上がっていた。まるで自分がビルの屋上くらいの高所に立っているような感覚を味わえるソフトだ。

 タレントが怖い怖いと言っているのをテレビ番組の中で見たことがあるが……。


「えっ、怖くね!?」


 依里の指示通り、立ち上がってコントローラーを握る。真っ暗だった視界が急に明るくなり、青空と武骨な鉄骨、そしてどこまでも広がっているかのような街並みが映し出された。


「見えますか!? 私も目の前にいますよ!」


 依里だと思われるアバターが目の前で手を振る。コントローラーが連動しているのだろう。


「メチャクチャ怖くないですか!? 怖いですよね!?」

「何が嫌でこんなことをしなくちゃいけないんだよ……。僕、怖いとこ無理かもしれない。なんか地面揺れてない? 地震?」

「揺れてませんよ。錯覚です」


 視覚情報は認識に多大な影響を与えるとかなんとか。現実じゃない、と身体ではわかっているものの目から入ってくる情報は眼窩に広がる東京の街並みだ。説得力がない。


「なんか、ちょっとだけ肌寒くない?」

「錯覚ですよ」

「いや絶対風吹いてるって!」

「気のせいじゃないですか?」


 そよ風程度だが、肌に抜ける風の感覚がある。気づけば、目の前にいるはずの依里から身体の微細な振動が消えていた。アバターが適応したのかもしれない。


「ふふーん、そんなに臨場体験が怖いのなら押してあげましょうか?」

「バカっ、絶対に押すなよ!?」

「それ、フリですか?」


 くすくすと笑う声が、ヘッドセットから鳴る風切り音の向こう側で聞こえる。マイク越しの音声なのに、なぜかずいぶんと遠く感じる。


「絶対に違うからな!」


 ――とはいえ、こうなってしまった依里は鬼だ。嫌がることは基本的にする。そういういたずら心が彼女の根幹にある。だから僕は薄目にして彼女の攻撃を待っていたわけだが――。


「依里?」

「ひゃっ……ひゃいっ!?」

「ん……どーした?」

「い、いえ……別に何でもありませんけど!?」


 唐突にたじろぐ依里に、なにがあったのかわからずヘッドセットに手を掛ける。


「す、すとっぷ! 今それ、勝手に外しちゃダメです!」

「え……なんでさ」

「いえ……その……電子レンジ並みの高周波が恭弥の頭の中に向かって発射されるので! とても危険なんです! ええ!」

「そう……」

「私も外してないですから! もう少しだけここにいましょう?」


 依里がそういったとたんに、目の前にいるアバターが動き始める。まるで人の息遣いすらも転写しているのかと思えるくらいの、細かい動きだった。


「ほかにも、いろいろありますよ。洞窟探検VRとか、城内探検VRとか、横浜の夜景VRとか」

「それはもう現地に行けよ」

「人、とてもたくさんいるじゃないですか!」

「ここに需要があったか……」


 パン、パンと場所が切り替わるたびに少しづつ臨場感が薄れていく。

 いくつか切り替わる場所の一つに、『きれいな星空』と表示されるものがあった。依里はそこで移動を辞めた。


「ほら見てください。まるで簡易プラネタリウムですね」

「まるで山の頂上で見るような満天の星空だな」

「あぅ……そうですね。すみません、ムードも何もなくて」

「VRで見てる時点でそういうの何もないから大丈夫。ん、もしかしてなんか焚いてる?」

「はい、この間買ったアロマディフューザーで、自然の香りを。嫌でしたか?」

「嫌じゃないけど……」


 満天の星空とは、少しだけ違う花のいい香りがした。これで遊ぶためにそれを用意していたのなら、若干空回っている気がする。


「それなら、よかったです。私、山とか行ったことないので。こんなにきれいな星空とか見たことないんですよね……」

「海外にいたんじゃなかったの?」

「ここと同じようなものですよ。こんなに星空がくっきり見えることはありません」


 好んで夜空を見上げることはほとんどない。この部屋はそもそも窓の位置に問題がある。どれだけ大きく窓を開けても、依里の部屋が見えるだけだ。


「それでも、この間――久しぶりにちゃんと外に出て、夜の街を見ました。雲で隠れた空を見ました。生で見るといいものですね!」


 それは、紛れもない依里の感想なのだろう。それをVR中に言う空気の読めなさがなんとも依里らしいが。


「じゃ、また今度外行ってみるか?」

「私の一存では決めかねますので、一度弊社に持ち帰らせていただきまして、一週間を目安に連絡させていただきますね」

「めちゃめちゃ嫌がるじゃん」

「冗談です。私一人なら絶対に行きませんが、もし……もしもですよ? 恭弥が迷惑だと思わなければ……そういうことをしても、いいと思います」


 そういうこと、と少し濁されたから、少しだけよからぬことが脳裏に浮かんでしまった。それは僕も依里も本意ではない。僕と依里は幼馴染であり、ルームシェアをする仲なだけだ。


「嫌じゃないから、付き合うよ。それくらいでよければね。いい散歩になるし」

「それは……嬉しいです」


 ずっと上を見続けていると、首が痛くなる。少しストレッチをしようと左右を見渡すと――依里のアバターが至近距離にいた。


「依里っ!?」

「どうしました?」


 ただ、長らくVRの世界にいたせいか、現実で依里がこんなに接近しているのかと思ってしまった。もちろん、アバターと現実の位置関係は関係ない。それに、今更近づかれたり触られたりする程度でたじろぐこともない。この間だって馬乗りになって起こされたし。一般的なスキンシップ程度くらいなんのその。


「ああ、座標間違えてましたね。直します」


 依里のアバターはずいぶん遠くまで瞬間移動して、それからじりじりと近寄ってきて適切な位置に置かれる。


「それ、画面酔わない? そんなに動いて」

「へ? ……ああ! 確かに! そうですね! 直で見てたら酔っちゃいますね! はは」


 どこか他人事な依里に、僕は少し怪訝な目をするが――当然ヘッドセットの中なので伝わらない。


「もしかして、僕だけこれ(VRゴーグル)つけてる間になんかイタズラしようとか……考えてる?」

「私の信用そんなにないですか……?」

「やりかねないじゃん」

「やりかねませんが」


 日頃の行いがもろに結果に出ている例だ。


「変なことをしようとか、そんなことは考えてませんよ」

「それならいいんだけど……」

「普通のことです。普通のことがしたかっただけなので」


 耳元から聞こえるマイク越しの依里の声は、少しだけおとなしい。一番最初にテンションを上げすぎたか。


「でも……できませんでした。だから、安心していいですよ」

「普通のことって……何しようとしたんだよ」

「それは……内緒です」


 依里と巡るVRツアー。ずっと同じ景色を見ていたと思ったが――依里は一体、何を見ていたのだろう。僕と依里が見ている景色は、いつだって違って見えているのかもしれない。



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