第16話 引きこもりとベッド


「いらないものを買うのはよくないと思うんですけど、いるものを買うのはいいと思うんですよ」

「待て。依里のその前語りはたいていよくない結果になる。冷静になれ。早まるなよ」

「幸いなことに、お金だけはたくさんあるんですよ。私、この家に生活費を入れるだけでそれ以外には何も使ってませんし」


 地球儀、アロマディフューザー、モニタにVRセットを買っているのにか……?


「外に出ないので洋服も要らないですし、アクセサリーも化粧もしませんしね」

「それは……そうかもな」


 一般的な女子高生、という枠からはややかけ離れてしまった引きこもり系ニートの相星依里。そんな彼女が欲しがるものといえば――。


「で、私にも使うものがあるな、と」

「パジャマとか、私服とか靴下とかな。そろそろ僕ので代用するのやめなよ」

「そこはどうでもいいじゃないですか。誰にみられるわけでもないですし。館山家の皆さんだけです」

「こないだ僕のワイシャツでリビング出たとき母親に見つかったろ。それからずっと『ねぇ彼シャツ? ねぇねぇ』って聞かれてウザいんだけど……」

「それはすみません……。誰もいない時間だと思ってたんです……」


 彼シャツでもなんでもなく、依里によって強奪されているだけだ。依里は僕のタンスから自分の好きなものを勝手に奪い取って着る。服に対して根本的に興味がないのだろう。あまり胸もない上に小柄なので、どんな服もすっぽり入る。


「そこじゃないんです! 必要なのは――これです!」


 指さしたのは――椅子とベッド。


「こういう家財道具、ぜんぶぼろっちいんですよ!」

「そりゃそうだろ。だって僕たちが子供のころから使ってたじゃん」

「ええ、そんじょそこらにベーゴマで戦った跡がありますよ! その節は大変申し訳なく思っております!」


 子供向けのベーゴマ玩具をあちらこちらに飛ばしたせいで、椅子やら柱やらに傷跡が残っている。そのほとんどが僕と依里が遊んだ跡だ。


「いや、それはいいんだけど……」

「ですので、買い替えたいと思ったんですね。ええ」


「んん?」

「このベッドもなんだかんだで恭弥がいない間は私も寝転がってますし、椅子もよく使ってます。椅子に関してはもう一台欲しいですけどね!」

「なるほどね」


「なので、買いました」

「はい?」


「寸法も図りましたし、おばさんからの許可も取ってあります! というかこの間見つかったタイミングで言いました!『いいんじゃない~?』って言われました!」

「僕には聞かなかったの?」

「今聞いてるじゃないですか」

「事後承諾っていうんだよ!」


「嫌でした? ふかふかのマットレス二段構えのベッドに、首が痛くなりにくい椅子ですよ。いーやつです。庶民が手に入れることのできないような!」

「笑顔でたま~にそういうこと言うよね」

「タダでいいベッド手に入れられるんですから~。そのくらい許容してくださいよ~」


 最近依里のお願いを何でも聞くようになっているせいか、荷をされても許容する癖がついている気がする。

 とはいえ、この提案は正直悪くない。


「ま、いいけどね」

「恭弥ならそう言ってくれると思ってました! よっ、根無し草!」

「褒めてないなそれ」

「でも私、そういう姿勢好きですよ? 恭弥のそういうところに憧れて私こうなったんです!」

「ダメな影響の受け方してない?」


 株取引にはまって、そのまま一山築いてビットコインに手を出してさらに大儲け……その挙句行き先を見失って高校中退――確かに依里は根無し草だった。これ、僕のせいか?


「あ、工事は今日、一時間後です」

「もっと早くに言えよ!」

「言うタイミング逃しちゃったんですよね……。でも私しかいない状態で取り付けに来る工事の人たちと話すことなんてできないので……極秘に進めることはできませんでした……」

「そんな独白は求めてないんだけど」


 なんやかんやと言いながら、ベッド周りの大掃除を始める。そこに受験勉強に飽きた千尋も加わり。


「千尋ちゃん、夏は受験の天王山って言うんですよ? 掃除が好きだからってすぐにやってきちゃダメじゃないですか。埃は食べられませんよ?」

「なんでこんなに喧嘩腰なの!? 掃除手伝いに来てあげたのに!」

「いえ、千尋ちゃんに迷惑かけるわけにもいかないな、と思いまして」

「そう思ってるならもっと優しい言い方あるじゃん! 脳の言語のとこバグってるよ!」


 最近は依里に慣れてきたのか、あるいは呆れてきたのか千尋も突っかかることが少なくなった。多分勉強で疲れているんだろう。掃除という妹の唯一の休息くらいまともにさせてあげたい。


「あと、別に千尋は掃除好きじゃないんですけど!」

「「え?」」

「兄ぃまで!?」

「掃除好きだからめちゃめちゃさせてくるのかと思ってた……」

「清潔な部屋が好きなだけ! だから兄ぃのベッドが変わるのはいいことだと思うし、反対もしないわよ」

「千尋ちゃんは理解がありますねぇ」

「でもでも! 私の兄ぃなんだからね! そのベッドで――……とか、してたら許さないんだから!」


 威圧しようとしたのだろうが、言っている途中で顔を赤らめてしゅんとなってしまった。そういう下ネタに抵抗があるうちの妹はとてもカワイイ。


「うひゃ~、本当にかわいいですね千尋ちゃん!」

「殺すぞ!」

「ついに殺害予告まで! そんな暴言吐くことなんてなかったのに! お兄さんの教育がいけないんです!」

「千尋の本性だよきっと……」

「二人して私を悪者にする! もう手伝わないよ!?」

「「ごめんなさい……」」


 千尋が一人いるだけで部屋の片づけは僕ら二人の効率を大きく上回る。途中でダラダラ昔話に花を咲かすこともないし、出てきたボードゲームに熱中しない。残り一時間で業者が来るというタイムリミットを考えると、必要不可欠な存在だ。



「搬入完了しました」


 今までのベッドの解体から、新しいベッドの搬入まで、一つのベッドを持ってくるためだけに3人の人間が館山家に出入りして――1時間足らずの間に僕の部屋に見違えるほど豪華なベッドがやってきた。


「ヒト、コワクナイ……」


 依里は相変わらず対人恐怖症を発症しており、ベッドとは対極の隅っこのほうにずっと蹲っていた。それでも部屋から出なかった当たりプロの引きこもりゃーといえるだろう。


 業者の人には「これはうちの座敷童なんで」と適当なことを言って説明しておいた。虐待とかで通報されなければいいのだが。


「第一バウンド、行きます!」

「埃が舞うから跳ねない!」


 千尋からの的確な指摘が入り、依里選手は大幅な減点。審査員も皆渋い顔をしています。


「じゃあ先、恭弥に譲るよ……」

「そういう問題じゃないから!」


 結局、ベッドが運ばれている間も、ずっと千尋は自分の部屋に戻らなかった。なんだかんだ言って新しいベッドが気になるんだろう。従来のベッドの1.5倍ほどの大きさがあり、布団部分には見ただけで柔らかそう打ということがわかるシーツが張られていた。


「じゃ、普通に横になろうか」


 依里が真っ先に端っこに座る。ぽんぽん、とベッドを叩いて「ここに座って」とジェスチャーを送ってきたので、僕はそれに従った。


「なんかエロいんですけど……」

「えろっ!?」


 依里が敏感に反応する。意外と奥手な幼馴染だ。顔を赤くして、そのまま後ろに倒れこんでしまった。誰よりも早いベッドインだ。


「そんなつもりはないんです! ないんですってば!」

「わかってるわよ……むしろ2か月もここに住み込んで何も起こってない時点でめちゃウブなのは千尋も知ってるから」

「なんでちょっと優しいんですか! 優しくないですからそれ!」

「一行で矛盾するのやめてくれない!?」


 わーわーと仲良さげに騒ぎ立てる二人を差し置いて、僕は依里の隣に横たわる。


「あびゃ~~~」


 テンパっている依里には、刺激が強いのかもしれないが――関係ない。

 ベッドには僕の身体を包み込んでくれるような優しさがあった。いいベッドっていうのはこういうことだ。


「ダメです……それは、幼馴染の枠超えちゃいますから……!」

「いや、めちゃめちゃな起こし方してくる奴が何言ってんだよ」

「それはそれ! これはこれです!」


 馬乗りになって起こしに来るほうがエロいだろうが、と思いつつ――依里は否定する。


「私たちは幼馴染なんです! 昔やってたことだからそれはセーフじゃないですか!」

「そういう塩梅なのね……」


 依里の行動に少しだけ納得した僕は――そのままベッドで眠りにつこうとして、依里とは反対側を向く。そこには、千尋の顔が近くにあった。


「兄ぃ、今日の夕食登板だからね?」

「ああ……」


 ベッドに力を吸われながら、空返事を返す。急に現実に襲われた気分は、最悪だった。

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