第14話 引きこもりと勉強(2)

「そんなに勉強ばかりしてどうしたんですか? 珍しいですね」

「学生の本分は勉強だから」

「面白いものがあるんですけど、一緒に遊びません?」

「学生の本分は勉強だから」

「あ! 外にUFOが!」

「学生の本分は勉強だから」

「恭弥は『学生の本分は勉強だからBOT』ですか!? わかってますよそのくらい! 私に対する当てつけですか!? これでも私は人生ゲーム上がってるんですよ! 一般的な社会通念をあてはめないでください!」


 数学の問題を解いていたはずなのに、気が付けば僕の座っている椅子が引っ張られていた。意識の外で依里と会話していたが……どうしたんだろう。依里はなぜか怒っている。


 とはいえ、頭の中は問三の応用問題でいっぱいだ。こうしている間にも次解くべき計算工程を忘れてしまう。書き留めなければ――


「無視しないでくださいっ!」

「わかったわかった……どーしたよ(目もくれず)」

「こっち向いて話してください!」

「面倒くさい彼女みたいだ……」

「失礼なこと考えてますね!」

「……なんでバレた」

「思いッきし口に出してるからですよ!!!!」


 依里がベッドの上でダムダムと飛び跳ねる。コイルがだめになるからやめてほしい。


「来週期末テストがあるんだよ。だから勉強しなきゃダメなの」

「ほぉー、もうそんな季節でしたか」

「お前がこの部屋に閉じこもって二か月。早いな」


 気が付けば、衣替えを一度挟んで長袖から半袖に。この部屋の空調も二十四時間体制で駆動している。


「あっとゆうまでしたよ」

「そう……あっという間だったんだよなぁ。なんでこんなに短いスパンで学生を試すんだ……」

「勉強していない人を炙り出すためじゃないですか? 矯正は早めにしておかないと後々大変なことになりますよ?」

「ああ、本当にそうだよな」


 依里の人間嫌いを見てしまうと、本当にその通りだと思う。箱入り娘の弊害がこんなことになるだなんて依里の両親も思わなかっただろう。


「勉強なら、私が教えてあげましょうか?」

「そのくだり、この間やっただろ」

「ええ、それから私も勉強しました――恭弥に失望されない程度にはできるつもりです!」

「じゃあ、この問題なんだけど」

「一問目の答えは4<X≦9,二問目の答えは解なしですね」

「はやっ……」

「計算は商売道具ですので――って、そこじゃないんですよ! 数学だったらずいぶん前から教えられます! そうじゃなくて! 私、恭弥のために頑張って英語学んだんですよ! 高校二年生レベルの受験英語を!」


 前回勉強を教えてもらおうとしたときは、依里ともども英語が壊滅的にできておらず立ち尽くすことになった。


「っていうか、何苦手な英語から逃げて数学やってるんですか。もともと恭弥は数学得意だったじゃないですか。お姉さん逃げるのはあまり感心しませんね」

「学校から逃げておいてよく言うよ」

「あー、いま確実に千尋ちゃんとの血のつながりを感じました! そういうことは言っちゃいけないと思います! 立ち入りNGの領域です!」

「ごめんて……」

「これから私が恭弥に勉強を教えてあげます! 逃げないでくださいね!」


 依里はそう言って、ポケットから眼鏡を取り出した。いつも集中したいときに使っている真面目用の眼鏡ではなく、度が入っていない伊達メガネだった。


「これどーですか!? なんか教師らしくありませんか!?」



「ねぇ、兄ぃ」

「どした?」

「リビングで勉強なんて珍しいね。テレビ消そっか?」

「いや、大丈夫。ずいぶん静かだから」


 それくらいで集中を乱されるような僕ではない。それでも気を使って千尋はテレビの音量をいくつか下げてくれた。いつもは口応えばかりして煩い妹だと思うこともあるが、まじめにしているときは少しだけ優しい。


 気が付けば、消しゴムの少し向こう側にホットミルクが注がれていた。


「これ、千尋からの差し入れ」

「ん、ありがと」

「なんで逃げてるんですかぁ!」

「出たようるさいの。兄ぃが勉強してるから静かにしてて」

「人の善意を踏みにじるような人に育てた覚えはありません!」


「兄ぃは善意で毎日部屋までご飯届けに行ってあげてるんだよ? ちょっとくらい一人の時間を作ってあげたら?」

「うぐぅ……ここは完全アウェーみたいですね」

「依里さんがリビングに出てきて兄ぃが勉強をしている……今日は雨かな」

「違うんです! そこのお兄さんに勉強を教えてあげようとしているだけなんです!」


「どさくさに紛れて妹の座を奪わないで欲しいんだけど。兄ぃは千尋だけの兄ぃなんだけど」

「そういう揚げ足取りは今はいいんです! このお兄さんは勉強から逃げてるんですよ!」

「いや、今めちゃめちゃ数学の勉強してるし」

「(カリカリ)」


 普段以上に筆圧を強くし、シャープペンシルで机を叩く。勉強をしているフリはお手の物だ。学生の一番の得意技だろう。


「数学の勉強もいいですけど、英語の勉強もしましょうよ! 今回いい点とらないと留年リーチなんですよ!」

「ちょっ、おい依里!」


 何を考えたのか、依里は僕の現状を口走る。


 今それはマズいっ……。


「え、兄ぃ、なにその話。千尋聞いてないんだけど」

「え、言ってないんですか?」

「(コクコク)」

「もしかして、この話オフレコでした?」

「(コクコク)」


 黙って僕は首を振る。千尋はずっと僕を見たまま目を離さない。そのまま千尋は口がつけられることのなかった僕のホットミルクをずぞぞぞぞと飲み干した。


「ごめんね、クソ女。ちょっと兄ぃ貰ってくから」

「タスケテ……」


 か細い僕の声はどこにも届かず――そのまま千尋の部屋に連れていかれ、両親と電話を通じての三者面談が始まりましたとさ。なんにもめでたくない。


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