第12話 引きこもりと料理

「聞いてください恭弥! 私も料理当番に加わります!」

「嘘……だろ?」

「本当ですよ! 私の料理の腕前をなめてますね?」

「なめてるっていうか、まったく知らないから」


 日曜日の昼下がり。自室(僕の部屋)で運ばれてきたトレーに乗せられた牛丼をむしゃむしゃと食べながら依里はそんなことを言い出した。


 ちなみに、依里はそれ以降家から全く出ていない。家はおろか、僕の部屋からも出ていないだろう。


「私、こう見えてもかぎっ子なので! 自給自足の経験はあるんですよ!」

「もしかして僕たちに自給自足を強いてくる感じ? 雑草とか食えないよ?」

「あら、千尋ちゃんからは『兄ぃは雑草もむしゃむしゃ食べる草食系男子だよ。ま、雑草しか食べないからこんなことになってるんだけどね……』って聞いていたんですけど」

「ちょっと千尋探してくる」

「待ってください!」


 部屋を出ようとした僕を依里が呼び止める。依里は部屋から一歩たりとも出ることはない。なので僕を部屋を呼び止めるときは大声を出すようになった。大声を出せば反応してくれる、という思考回路は赤ちゃんと全く同じ考えらしい。


「買ってきてほしいものがあるんです!」


 依里に頼まれたのは――お使いだった。



「外に出るのはやはりまだ無理だったので、ここは恭弥を頼ってみようかと」

「僕は執事でも何でもないぞ」

「頼りになる幼馴染にしてホームステイ先の優しい人です」

「今日調子いいな」

「私はいつでも絶好調ですが?」


 皮肉が伝わらなかったらしい。調子のいいことばかり言う幼馴染だ。


「必要なのは、卵と鶏肉……それから玉ねぎと大葉……もしかして親子丼でも作ろうとしてる?」

「はい! 卵がちょうど冷蔵庫から切れていましたからね。それに、今日は近所で鶏肉のセールがあるらしいですよ?」

「詳しいな……」

「愛読している経済新聞に挟まれてきます」


 そうか、こいつは賢いんだった……。一昨日昨日のポンコツっぷりを見ているからか、今更4台のモニタを駆使して何をしようがもうイメージダウンは避けられない。

 ――なんて、一瞬信じそうになったがたぶん経済新聞にはそういうチラシは挟まれていない。リビングにあったものを見つけてきたのだろう。


「べつに、ネットスーパーで買ってもいいんですけど……」

「なるべく安いほうがいいしな」

「と、恭弥が言うことを想定したので、注文していません。この家の人が全員死んだら解禁しようと思います。生きていくために」

「嫌な想像をするなよ……」


「それくらい固く封印したということですから。どうですか? 私が作る絶品親子丼、食べてみたくなりませんか?」

「べつに……?」

「何でですか!? 食べましょうよ!」

「いや、だって今依里何食べてるよ……」

「牛丼ですが」

「それでいいならいいんだけど……」


 依里がキョトンとした顔を浮かべる。まともな食生活を送っている人の発想ではなかった。


「ま、いいや……いいよ、買ってくるわ」

「ありがとうございます! 大感謝!」


 依里が喜ぶのならいいか――それに、夕飯を作ってもらうというのはなんだかんだ嬉しいものだ。料理しなくていい、というのもあるし、依里の手料理を食べてみたいという気持ちももちろんある。


「ねぇ、兄ぃ……今日の夜ご飯なーに?」


 階段を降りると、テレビの前の3人掛けのソファに千尋が寝そべっていた。


「え、なんだお前も……」

「“も”って何……。いや、何作るのか献立迷ってるのなら、妹から天啓を授けてやらんと……ね」

「ね、じゃないんだよ。お前はなんだ、レシピを司どるおまかせ昨日でも搭載してるのか」

「いや、そうじゃないけど……ほら、見てよテレビ」


 見るとそこには――美味しそうに親子丼を食べるサラリーマンのドラマが。


「こういうの見ると、食べたくなっちゃうんだよね~? 兄ぃもそう思うでしょ?」

「あー……ね。今日は親子丼にしようね」


 依里は意外と、流されやすいタイプみたいだ。



「さて、始まりました依里ちゃんの料理教室!」

「ぱちぱちぱち(拍手)」

「なんと恭弥は私が指定していなかった紅ショウガまで買ってきてくれました! 拍手!」

「ぱちぱちぱち(拍手)」


 なぜか、買い物から帰ってきた僕は依里の料理教室に巻き込まれてしまった。キッチンには僕と依里の二人だけ。千尋は自分の部屋にこもって受験勉強中だ。


 もちろん、依里はその合間を見計らって行動している。そうでなければ依里が部屋から出てくるわけはない。家主の目を盗んでこそこそと移動する――それが引きこもりの流儀らしい。


「まず包丁を洗え。それからまな板も――手も洗えよ」

「洗い物ばっかり! なんで最初から洗っててくれないの!」

「さては料理初心者だな?」

「何を根拠に!」

「行動、手つき、震え?」

「大正解です……」


 見ていられなくなった僕は、依里の隣に立って指導をする。猫の手だったりとか、玉ねぎを切るときのコツだとか――そういった初歩的なことがほとんどだ。それでも、依里にとってはすべてが初めての経験だったらしく。


「すごい……すごいですよ恭弥!」

「そりゃどーも。美味しい親子丼が作れるといいな」

「はい!」


 正直、どんな風にねぎを切ろうがどんな感じに卵を溶こうが、だしの量と中身だけで親子丼の完成度が左右される。

 依里は完成間近なフライパンに乗せられている卵を掬って、一口食べる。


「ん――まだまだ?」


 そういって、めんつゆを加えていく。


「ちょっ……?」


 今日まで、依里は僕と千尋と同じものを食べてきた。まずいとも言われなかったし、味覚が同じものだとばかり思ってきたが――相星家の食卓は少しだけ館山家と違ったらしい。


「あ、辛みが足りないよね」

「ストップ!」


 強引に奪い取って依里ちゃんの料理教室を中断させる。


「わかりやすくメシマズ系にはさせないぞ……」

「何の話!? 私、みんなに美味しく料理を食べてほしいだけなんですけど!」

「初心者が変な手心を加えちゃダメって話。依里の思い通りに絶対にさせない……!」


 料理に関しては、僕のほうが歴が長い。何なら依里は初心者だ。だからこそわかる――このままにさせてはいけない!


「そういうテンプレートはもういいから……美味しいものを食べてハッピーエンドでいいだろ!」

「まだまだ料理途中だよ!? この後七味とか入れるんだから!」

「各自で調節すればいいだろそんなの!」

「隠し味もあるんだもん!」

「どうせチョコレート! あるいはナツメグか? それともレモンか!?」

「ウェイパー」

「ん……まぁ……普通だな」


 完成した親子丼は、ふっくらしていてまぁまぁな完成度だった。



「自分で作った料理って、美味しいですね」

「あんたが食卓にいる、っていうことが珍しくて……それどころじゃなかったわよ。いつもは自分の部屋にいるはずなのに、どういう心変わり?」

「ホームステイ先の皆さんと一緒に食卓を囲みたいな、と思いまして」

「千尋たちのことをどう見てるの……?」


 妹の怪訝な視線は置いておくとして。

 それでも、依里がリビングで食事をするというのは珍しい。今まではずっとトレーを二階まで運んで、僕の部屋で食べていたのだから。引きこもり脱却への一歩になるといいが。


「どうですか? 美味しいでしょう?」

「ん……まぁ、美味しいわよ」

「そうですか。千尋さんのお眼鏡にかなって何よりです」

「ねぇ兄ぃなんか今日コイツ変なんだけど! ちょっと怖い……」

「今日の親子丼、私が作ったんですよ? へへー」

「知ってる。さっき聞いたけど!」

「もうこれで、穀潰しとは呼ばせませんよ!」

「あ――……なるほどね」


 ようやく千尋は依里が何を思って料理を作っていたのかに気づいたようだ。


「千尋の適当な一言なんて、気にしなきゃいいのに……」

「そんな、無視なんてできませんよ! 同じ屋根の下に住んでいるんですから!」

「ならいつも喧嘩腰で突っかかってくるのをやめてくれないかなぁ?」

「それは千尋ちゃんの態度次第です☆」


 ちょっとだけ……湿気た花火くらいの火花が舞った。だけど、今日はそれくらいで。

 千尋の視線は、いつもよりほんの少しだけ温かい。


「なんか、千尋も悪かったからさ。穀潰しなんて言って。本気にさせちゃったらごめん」

「いえいえ、嘘じゃないですしね。私も、気にしてませんから!」


 千尋は、謝れる妹だ。気が強く敵も多いが――それでも、反省ができるいい子だと兄ながらに思っている。

 それを受けて依里がどう思っているのか、僕の胸中では推し量れないが――少なくとも、関係が悪化したわけではなさそうだ。


 ホカホカの親子丼は、ほんの少しだけ甘く感じた。

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