第11話 引きこもりと外出

「私、穀潰しじゃないんですけど!」


 ごみの運び出しという重労働を終えて、僕はベッドに横たわっているうちに目を瞑っていたらしい。依里が部屋の隅っこで千尋に詰められながら取捨選択しているのを見て、重たい瞼に負けてしまった。


 ――そして、今の時間は午後八時。


「ねぇ! 起きてよ恭弥!」

「なんだよ……」


 誰かがかけてくれたのか、身体はタオルケットにくるまれていて少しだけ温かい。その上から依里が馬乗りになって僕をべしべしと叩いている。さすがに子供の体重、というわけではないので重さを感じるようになった。かつて依里がそうしていたように、きっとコイツは無自覚でこういうことをやっているのだろうな……と少しだけ冷静になった頭で、顔に血が上ったままの依里を見つめる。


「千尋ちゃんが! 私のことを! なんもしないゴミだって言って断捨離しようとしてくるの!」


 話を聞くと、どうやら依里がゴミを捨てるのを嫌がっていることに千尋がキレたようだ。その結果、ごみを捨てるか依里が出ていくかの二択になり――。


「でも、ここにあるのは大切な宝物じゃん!」

「いや、まだ届いて二日の新品だろ」

「捨てるの! もったいなく! ないんですか!?」

「自分の家にもってけばいーじゃん」

「高いものはそうしたよ! でも! この部屋に置いておきたくないですか!? ほらこの地球儀とか」

「うん、やっぱ考えたけど要らないよね」

「そんな!」


 背後から刺されたような顔を見せて、依里は大げさに驚く。

 そのあとなんだかんだあり――地球儀は、僕の部屋の窓から見えるオブジェクトと化した。



「私! 穀潰しじゃないんですけど!」

「まーたおんなじこと言ってる……」

「お金も入れてるし、あとお金も入れてるし!」

「金だけ持ってるニートじゃん」

「そうだけど! お金は命の源だから……。金さえあればどうにかなるとか思ってないから……」

「本音出ちゃってるじゃん」


 金に溺れてしまった幼馴染は――ここで挫けて終わるタマではなかった。


「買い物にも、行けるんですけど」

「ネット通販?」

「いーや! コンビニに!」


 引きこもりとは思えない外出宣言だった。

 ……とはいえ、つい最近まで外に出ていた依里だ。外に出なくなったのは、ここ1週間くらいの話。


「ま、それくらいなら……じゃあ、今日の晩御飯に使う玉ねぎでも買ってきてもらおうかな……コンビニに売ってたっけ」

「え、私一人で外に行かないけど……?」

「え……?」



 6月の夜中は、思っていた気温と気温と少しだけ離れている。


「寒い! やっぱ外出るのやめていい……?」

「僕はいいけど……穀潰しさん」

「ううう……幼馴染がいじめてくる……」

「ってか、夜中に行く必要あったか? 昼間でもいいじゃん」

「昼間は外に人いるじゃん! やだよ相星さんちの一人娘が昼間っからぶらぶらしてますなんて言われるの!」

「世間体だけはちゃんとしてるのなんなんだ……」


 引きこもるって決めたのにそこは妥協できないのか。


「それに、人、やっぱ怖いし……挨拶とか絶対にされたくない! エレベーターに乗りたくないし、並んでるときに見られたくない! でも夜ならそんなことないじゃん?」

「その代わり補導されかねないが?」

「だからこそのこの格好ですよ!」


 依里は上下スーツに、社会人用のパンプスを履いていた。


「誰が疲れ果てた新人OLかい! っつって!」

「やたらテンション高いじゃん……」

「そりゃ夜だからね! 普段外なんてこの時間出れないじゃん! わくわくですよ!」

「気持ちはわからなくないけどさ」


 テンションが高い誰かを目にすると、反比例的にテンションが下がっていく。そういうの、あるよね?


「コンビニまでおよそ500メートル! レッツゴー!」


 やたらと盛り上がっている依里を尻目に、僕はため息をついて彼女についていった。



「ワンワンワン!」

「ひゃいっ!?」


 遠くから聞こえた犬の叫びに、依里は金切り声交じりの悲鳴を上げる。


「犬だって。人じゃないから」

「どっちもヤダ……もうおうち帰る……」


 歩き始めて100メートル。依里はどうやらノックアウト寸前だ。

 家を出てすぐ、ジョギングをしている人とすれ違う。その時点で「ひぃっ」とお化けでも見たかのような反応をして僕の後ろに隠れてしまった。


 そのあと、国道沿いに出て、車のヘッドライトを浴びては――

「何もしてませんから!」


 すれ違う自転車に対して――

「許して! お願いします!」


 など、謎の許しを願い――そして、今に至る。


「私、赦された……?」

「なんでそんな状態で学校行けてたの?」


 むしろ今までの学校生活に順応できていたことが不思議だ。態度だけは完全に引きこもりエキスパートだった。


「行きと帰りはパパが送ってくれて……、学校ではずっと一人だったから……話してくる人もいたけど、おびえてたらいつの間にかいなくなっちゃってたし……」

「ふふーん、なるほど」


 どうやら、僕の知らない依里がいるようだ。『箱入り娘』という言葉がふさわしい。


「じゃ、外に散歩しに行ったりとかは?」

「全然ない! 昔恭弥が外に連れ出してくれたのが最後かな……」


 根っからの引きこもり体質であるのは、どうやら間違いないらしい。これは僕が思っているよりよっぽど重症だぞ。


「ぷふぁ~、コーヒーうまいね~。うまうま。寒さとか全部忘れられる」

「ここは家、人は怖くない」


 コンビニの前にあるポールに僕は腰を掛けて、目の前でコーヒーを飲みながら虚ろな目をして虚無コメントしかできない依里に言葉をかけた。


「ごめん全然現実にいるわ。その暗示意味ないよ」

「めちゃめちゃ冷静じゃん」


 依里の目から急にハイライトが消えた。逆効果だったみたいだ。


「こんなことなら私穀潰しでいいです……ごめんなさい……」

「最初のテンションはどうしたんだよ……こんなOLコスプレまでして」

「そうですよね……はい……反省してます……」


 ダウナーになってしまった依里の手を引っ張って、どうにか近くにあった公園まで連れていく。コンビニはもうすぐ近くだけど、依里はここでリタイアかもしれない。


「ヒト、コワイ……」

「コワクナイ、ヒト、ヤサシイ」


 新種のモンスターのようになってしまった。家にいるときはこんな様子は全く見せなかったのに……。こんなに人が嫌いなら、外に出なくてもよかったのに。


「ごめんね……私のわがままでここまで着いてきてもらっちゃって」

「僕も一回寝たし、いい運動になったからいいよ」

「ふふっ……優しいね、恭弥は。文句の一つも言わずにさ」

「文句、言われたかった?」

「それでもよかったけど! 幼馴染的にはその対応でいいと思います! これ以上私の体力を削らないで……」


 メンタルブレイク寸前な依里を追い詰めることもできず、僕は黙って依里が腰かけているベンチの隣に座った。


「玉ねぎ買ってくるだけなのに……なんでこんなに震えが止まらないんだろうね」

「ほんとにな。出不精にもほどがある」

「デブって言った! 私毎日外出て歩きますけど!?」

「その心意気でいてくれると僕も助かるんだけど」


 無理やり依里のテンションを引き戻す。ふんっ、と公園中に響き渡るような踏ん張り声でベンチから立ち上がる。


「私、頑張るよ――絶対に玉ねぎ買って帰る!」


 玉ねぎ勇者とは思えない依里の行動に、僕は少しだけ驚いた。


「そうだな……ゴールはすぐそこだ」

「家に帰るまでがクエストなので……」


 現実と夢の世界で彷徨っているのか、ふらふらとしながら歩く依里を見て――それでも、不思議といやな気持にはならなかった。



「どうですかこれ!」

「え、いや……それアイスじゃん。高いやつ」

「買ってきたんですよ!?」


 深夜1時、帰ってきた僕たちを千尋が出迎えてくれた。どうやら僕と依里が夜遅くに家を出るのを見ていたようだ。


「どこ行ってるのかと思ったら……深夜に買い食いって! 心配しちゃうじゃん!」

「高校生にもなって心配なんてされませんよ」

「友達の妹に心配かけられてるやつが何言ってるの!」

「あ、私のこと恭弥の友達って認めてくれたんですね!? 嬉しいです!」

「そう言うわけじゃないっての! ねぇ兄ぃこの女何とかして! 不死身なんだけど!」

「メンタルだけは強いってよく言われます!」


 誰にだよ。


 思ったが、口には出さない。千尋に抱き着こうとする依里を温かく見守る。千尋は僕に向かってアイコンタクトらしき何かを送っているが、見なかったふりをした。


「ほほえましく見てないで助けてよ! バカ兄ぃ!」

「いや、仲良くなれてよかったなって」

「こんな女と仲良くなんてならないんだからッ!」


 いやそうにしていた妹だが、結局依里の買ってきたアイス二つで懐柔された。

 おいしそうにアイスを食べる千尋を見て、依里はぼそりとつぶやいた。



「結局、金の力ですよね」

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