第2章 うちの引きこもりは、けっこうポンコツみたいです
第7話 引きこもりとドライヤー
「お風呂、先いただきました!」
「……いつの間に?」
夕食後、皿を洗い終わって一息つこうと、そこにはパジャマ姿の依里が地べたに座っていた。待っていましたとばかりにドライヤーを差し出す依里。コンセントに繋がれて準備万端のようだった。
しぶしぶ僕は受け取って、ドライヤーのスイッチをつける。シャンプーの香りが部屋に広がる。その辺で売っている芳香剤よりよっぽどいい匂いがする。世の中のドラッグストアでこれを売るのが正解なんじゃないか?
「恭弥がご飯食べてる間に! 私がこの部屋でご飯食べてるとき、恭弥は私の話し相手になってくれてたじゃないですか。そのあと!」
自ら『引きこもり』を名乗ろうとするだけあって、依里は必要以上にこの部屋から出ようとはしない。トイレは別で、見られていない間にこっそり行くようだ。
食事も、「ここまで運んできて!」とお嬢様さながらのわがままを言われ、依里の分だけをよそってトレーに乗せてここまで運んできた。その流れで、依里が食べ終わるまで話していたというわけだ。
「ま、それはいいけど……そのパジャマはどこから?」
「そこのタンス」
「だよねぇ!?」
依里が着ているのは、僕のパジャマ(上下)。春秋用のパジャマは二着あり、今僕が使っていないほうを引っ張り出してきたようだ。っていうかどれだけこの部屋を知り尽くしているんだ。
「いや、さすがに下着くらいは持ってきましたよ!? それを借りるわけにもいかないですし」
「その良識があるのに、なんでパジャマは借りていいと思ったんだ……?」
「さすがに下着姿で窓を飛び移ろうという気にはなれなかった」
「そりゃそうだけど!」
「もしかして、パジャマの所有権を盾に私から剥ぎ取ろうとしてる!? ……そこまで脅されたら仕方ないですね……」
「そういうこというのやめろ! また千尋が殴り込んでくるから」
「いま千尋ちゃんはお風呂に入っているはずです。このドライヤーを貸してくれたのも千尋ちゃんですし」
それに、この音で聞こえないでしょ――と、髪を梳かされながら依里は言う。
「へぇ、嫌われてたんじゃなかったの?」
「それはそれ、これはこれらしいですよ。一応私のこと、女の子だって認識してくれてるらしいですし」
「そりゃよかったな」
「本当にその通りです。そのおかげでこうしてドライヤーしてもらってますし」
ぶぉぉぉ、という音とともに、熱風が噴き出してくる。依里の長い髪の毛はをすべて乾かすのには相当時間がかかりそうだ。手櫛で引っ張ると相当な量があることがわかる。
「ほんと、めんどくさいんだよ? こんなに長いと」
「そうなんだろうな。わかんないけど」
「でも、こういうの好きでしょ~?」
後ろに座って髪を梳かす僕を気遣って、微動だにしなかった依里だったが、ここでようやく僕のほうをちらと振り返って見てくる。風呂上がりで化粧をしていないのにもかかわらず、さっきまでの貌と全く変わっていなかった。ずっとすっぴんでいたらしい。
何も変わっていないにも関わらず、火照ったことにより肌が艶ばんで見える。その上気が僕にも移ったのか、目と目が合うことに少しだけ気恥ずかしさを覚えてしまった。
「べつに……嫌いじゃないけど」
目を逸らしてしまう。
どうしてだか、今は彼女と目を合わせられない。
「強がらなくてもいいんですよ~? 千尋ちゃんみたいなツインテもいいんだけどね。さすがに今になってはあの髪型にする勇気がないかなぁ~……。ま、当分ここから出る予定もないし、ちょっとくらいなら恭弥のわがまま、聞いてあげましょう! 部屋貸してくれてるっていうのもありますし」
「いつの間に僕がこの部屋を貸すことを認めたんだ?」
「あちゃ、既成事実にはならなかったか」
「寝るときくらいは帰れよ、さすがにな」
「もちろん。同じ屋根の下に男女が一緒っていうのはさすがに……ふけんぜん、ですしね」
なんでそこはちょっと恥じらうんだよ、と思ったが、僕もまたその言葉をぐっと飲みこんだ。
言葉に出すと、なんだか意識してしまう。依里とは『幼馴染』という関係性のままでいたい。そういう感情はなるべく忘れて、極めて紳士的に振舞おう。
手の中にある、熱のこもった髪の毛を撫でるように梳かしながら、僕は無心を意識する。
長い長い、ドライヤーの時間だった。
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