第6話 引きこもりとオセロ
次に千尋が僕の部屋を訪れたのは、夕飯時の少し前だった。
母親が夜勤の時は、僕と千尋が交代で夕飯を作ることになっている。とりあえず炊飯器に研いだ米と水を入れてセットした時のことだ。二階の僕の部屋でバタバタと物音がしたので心配になって見てみると――。
「千尋と勝負しなさい! 千尋が勝ったらアンタは家に戻ってもらうわ!」
「ん――面白そーだからいいですよ? じゃ、私が勝ったら千尋ちゃんに何でも命令していい?」
「それはダメ!」
「じゃあヤダ☆ 勝負は受けません。はい帰った帰った」
「帰るのはアンタのほうでしょうが!」
「今日から私もこの家の一員になったんです。ここは私と恭弥の部屋ですよ」
「ここは兄ぃの部屋なの!」
「うわぁ~カワイイねぇ~……こっちおいで、ぎゅってしてあげる!」
依里が近寄ったところで、千尋による鳩尾パンチが炸裂した。
「うっ……痛い、痛いよ千尋ちゃん……。お姉さん泣いちゃうよ……」
「勝手に姉を名乗らないで。アンタなんて、ただの兄ぃの友達でしかないんだから」
「僕の友達に勝手にパンチ入れないでよ……」
いつ二人の間に割って入ればいいのか、おろおろしながら見ていたら依里が一発KOされていた。
「見てたんなら助けてよ……」
蹲ってぴくぴくと痙攣する依里をベッドまで引きずって、千尋を正座させる。
「で、なんであんなことしたの」
「だって、この女がここから出ていかないっていうから……」
千尋が言っていることは、至極まっとうではある。それに、さっきその話を聞いたばかりだ。今に至るまでの間に、母親にも裏を取っていたのだろう。
「だからって人を殴っちゃダメでしょ」
「でも! おかしいじゃん! 人んちに押し入ってここで引きこもるんだって、そんなの新しい強盗だよ! 部屋強盗!」
「居候! しかもちゃんとお金も払ってます!」
ふんぬぬぬぬ、と二人の間に火花が散る。軽く千尋の脳天にチョップをした。
「なんで千尋だけ!」
「依里にも後でしとくから」
「優しくお願いしますね?」
「承知しかねる」
「でも、千尋は納得できない! だって隣に家あるじゃん! でっかいの!」
「代わりに、千尋ちゃんがそっち住みます? 私は別にいいですけど」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「いや、意外とそういう問題かもよ? 誰もいない部屋って、寂しいじゃないですか?」
思えば、僕と依里が一緒に遊んでいたのも、ほとんどそういう理由だった気がする。お互いに両親が忙しかったからこそ、僕と依里が一緒に過ごす時間が長くなっていった。
「ま、ほんとはネットがよく繋がってゴロゴロできる広い場所が欲しかったからかもしれないけど」
「兄ぃ……千尋、この女のこと全然わかんない!」
「もう……しょうがないなぁ……それなら、一回だけだよ? どんな勝負もお姉さんが受けてあげましょう」
やれやれ、と依里はベッドから起き上がり、赤子をあやす保母さんのような優しい瞳で千尋を見つめた。
「そういうところも……嫌いっ」
千尋は、そこに出しっぱなしにされていたオセロを選択した。
「これ、真っ白になってるけど――兄ぃにぼろ負けしたんでしょ。もう一度敗北の苦汁をなめさせてあげる」
僕は、千尋の勘違いに口を挟まない。依里がアイコンタクトを送ってきた。静観してて、ということだろう。
「うん、いーよ。じゃあ私、また黒でいい?」
「色なんてどっちでもいいわ。かかってきなさい! 追い出してやるわ!」
それから5分もしないうちに――千尋の思考時間がやたらと長くなり、依里は自分の手元にある駒で一人コイントスをしていた。
盤面だけを見ると、勝っているように見える。このリードを守ればいいだけ――そう思わせるのに、絶対に勝てない。そういう強さが、依里にはある。
「今日の夕飯、なーに?」
「適当に肉焼いたのと野菜炒め。依里が来るって知らなかったけど、母親がその分たくさん材料買い置きしてくれてたみたい」
「やった! お肉大好きです!」
「ああもう――兄ぃも女もうるさい!」
次の手駒を置く位置が見つからない千尋がイライラしている。
「こういうのってさ、最善手を打ち続ければ勝てるゲームっていうじゃないですか? ぜろわかくてい……なんでしたっけ」
二人零和有限確定完全情報ゲーム、と言われるゲームのことを指しているのだろう。僕はそれほどゲームに詳しくないので、よくわからない。
「ま、いいです。それでも、こういうゲームってちゃんと『勝ち方』を知らないと勝てないじゃないですか。オセロとか将棋にかかわらず、どんなゲームもそう、テストもそうだと思います。で――一度開いた差は、相手がミスしない限り取り返すことができない。いい点を取ってる人に対して勝とうと思っても、その人が100点を取り続けたら差は縮まるけど一向に勝てない。今回なんて一対一のゲームだから特にそうですよね」
「それがどうしたの。長々と講釈垂れるの、ウザいんだけど」
「引き際、の話ですよ。恭弥君はちゃんと理解していましたよ?」
「兄ぃが?」
「僕が……なんかしてたっけ?」
「うん、勝てないってわかったとき、脳のリソースを切り替えてたでしょ? 負けたってわかってたから、無駄だって判断して足掻かなかったじゃないですか」
「待って!? 兄ぃが……負けたの!? オセロとか別に弱くなかったのに!」
「二人で戦えばどっちかが負けるのは当たり前だよ」
「でも、だって――最初見たとき、アンタがぼろ負けしてたじゃん!」
「そうですよね、私が黒い駒を持ってたらそう思いますよね。わかるわかる、わかります。ぼろ負けしてる相手を見ると、『私でも勝てるかも』って思いたくもなるなる、うん、千尋ちゃんの気持ち、痛いほどわかりますよ」
「そ、それがなによ!」
「それを見て、思いついたんじゃないですか? これを使って追い出せるかも――って?」
「…………」
千尋は、何も言わない。妹は図星だったようで、下唇を噛んでいた。
「これが女子高育ちのしたたかさですよ。そういう風に仕向けて、噛みつかれることを常に想定していつでも反撃できるようにする――これが、私のやり方。この盤面からはどう足掻いても勝てない。だから、とっとと降参したほうがいいんじゃないですか?」
まだ戦ってもいいけどね、という依里の言葉が千尋に重く圧し掛かる。これ以上戦っても勝てない戦いに、なおも挑戦するかを問われ――千尋は、牙をしまった。
泣きそうになった千尋を、僕は晩飯前のオレンジジュースをふるまうことでどうにか立て直させ――僕の部屋に引きこもっている、依里の元へと戻る。
「いつからこの部屋、頭脳戦が始まるようになったんだ?」
「やだなぁ、この部屋だけじゃないよ……社会に出るってそういうことじゃないですか」
「それは違う」
もしかして、依里は修羅の世界で生きているのか……?
「他の誰かの顔色伺って、自分は何したらいいのか空気読んで。自分が相手にしてほしいことをさせるために、裏でいろんなことをして――これって、今したこととほとんど一緒じゃない?」
気づいてないだけで、と依里は付け加える。
「そういうのにさ、疲れちゃったんですよね……。高校に毎日通って、他人と一緒に群れて――限界になっちゃったんです」
ベッドに倒れこんで、依里は天井を見つめて話す。
「だからもう私は高校なんて行きたくない! ないないない! 自由にできるお金があるから自由にするし、だれにも指図されずに生きるんだい!」
「急に駄々っ子になったじゃん……」
さっきまでの頭の良さはどこに行ったのか、依里はベッドの上でバタバタと手足を動かす。埃が立つからと暴れるのをやめさせた。
ようやく落ち着いたと思ったら、「ご飯できたら起こして~」とのんきな様子で横たわってしまった。同年代の男子の前でなんて無防備なんだ。
昔は、こんな邪なことは考えず無邪気にたたき起こしたりしていたのだけれど、今の僕にはそんなことはできない。
「わかったよ、すぐに呼ぶからな」
とだけ伝えて、準備だけしてあるフライパンの前に戻る。
スイッチのオンオフが激しい幼馴染だが――これからどうするんだろう、という一抹の不安を胸に潜めながら、コンロの火を入れた。
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