第3話 幼馴染と思い出

 これは十年以上前の話だ。記憶の最奥部にある、思い出すのにも一苦労するレベルの古い出来事。偶然、隣に住んでいた女の子が同じ幼稚園に通っていた。


「あしたもあしょぼ?」

「うん!」


 ――たったこれだけのやり取りで、すべてが完結していた。そんな時代の話。


 『相星』。表札に書かれた漢字の意味は理解できなかったが、その家から女の子がいつも出てくることだけはよく分かっていた。


 館山恭弥(たてやま きょうや)、弱冠六歳。僕は時間ギリギリに出てくるその女の子と話すのをいつも心待ちにしていた。そして、それは僕だけではなく――相手もそうだったようで。


 気づけば、お互いの家を行き来していた。目をつむっても間取りがわかるし、どこに何があるかも当然把握していた。家族仲もよく、少なくとも邪険にされることはなかった。


 そんな中、依里の家に行って遊んでいた時のこと。


「みて! このおへや――窓があるんだよ!」


 その日は確か、家中を走り回ってかくれんぼをしていた時だろうか。物置に隠れていた依里を僕が見つけたときに、依里は堆く積まれた段ボールの奥に一つの窓を発見した。


 酒瓶、掃除機、廃棄予定の新聞紙、買いだめされたトイレットペーパーなどなど――無理やり退かして道を作ってなんとか山にたどり着く。窓を塞いでいた段ボールは、押せばバランスを崩して床に落ちた。ほんのちょっとした冒険の先にあったのは――民家の窓。


「なんもないね……」


 落胆する依里を他所目に、僕は窓の奥の光景に目を凝らす。どこかで見たことのある青いカーテンが、揺らめくことなく鎮座していた。


「ねぇ、きょーや……どうしようこれ……」

「…………」

「きょーやってば!」


 少しだけ考え事をしていた僕は、依里の大きな声で意識を引き戻される。


「これ、怒られちゃうよ! もとにもどさないと!」


 振り返ってみれば、僕らの通ってきた道がそのまま悪路と化していた。踏まれて変形したトイレットペーパー、散乱する段ボールの中身、転がった酒瓶などなど……。青ざめながら証拠隠滅に取り掛かろうとしていた依里の隣で、僕は気が付いたことを言った。


「あれ、僕の家かも」


 それからしばらくして――何があったのかは定かではないが。

 気づけば、相星家の物置からは雑多なアイテムがすべて姿を消し、勉強机とベッドが搬入されていた。

 それからだ――こんこん、と四六時中時間を問わず窓が叩かれるようになったのは。



「遊びに来ちゃった☆」

「宿題くらい自分の部屋でやりなよ」

「いいじゃん! 一+一は無限大だってアニメでも言ってたもん!」


 幼稚園を卒業して、小学生になり。



「サッカー始めるの? いいんじゃない?」

「そう! 青木くんが誘ってくれたんだ!」

「ふーん、いいと思いますよ」

「じゃ、僕遊んでくるから!」


 依里が部屋に居る生活が、気づけば当たり前になって。



「サッカーは?」

「もういい……サッカーなんて知らない! ボールなんて友達じゃないもん!」


 僕が部屋に居ない間にも、依里はこの部屋にずっと居るらしい。家に帰れば、いつだって依里がそこにいた。まるで座敷童だとからかってしばらく来なかった日もあったが、いつの間にか仲直りしていた。


「じゃ、一緒に遊びましょう! 新しいゲームが来週出るんですって!」


 僕の部屋は気付けば僕だけのものではなくなって――代わりに、依里の部屋にも遊びに行くようになった。


 二階にある僕の部屋と、同じく二階にある依里の部屋。その間には幼稚園児には広すぎる隙間があった。だけど、小学生になればそのくらいの幅ならすでに一歩で踏み越えられる。


 毎日が楽しかった。24時間一緒にいた。


 だけど――依里は唐突に姿を消した。モノゴコロついた小学6年生の卒業式――その日を境に、彼女の部屋の鍵は締め切られた。


 そうはいってもお隣さんには違いない、家を出るとばったり、なんてこともある。だけど――依里はその日から、僕を見るとただ張り付けたような笑顔を浮かべて、逃げるように距離を置くだけだった。


 僕の部屋の窓の鍵は、いつだって掛かっていなかったのに。



 そして――依里が海外の中学校に引っ越した、ということを両親から聞いたのは、4月に入ってからのことだった。

 そこからは――記憶に新しい。最初こそ寂寥感が勝っていたものの、自分だけの空間に慣れ切ってしまった。普通は塗り替わる。依里がいない非日常は、やがて僕の日常となっていった。


 中学校で新しい出会いに恵まれて、依里以外の友達が沢山できた。お遊び程度の部活動に、小学校の頃は気にしていなかった学校での交流。

 仲良くなった友達は、高校もどうやら同じところに進学するようだった。


 4月8日、入学式の帰り道。これから通う高校生活に胸を高鳴らせ、地元の駅で友達に別れを告げる。

 館山家は一軒家が立ち並ぶ住宅街の中にある。やたらと塀が高い家が多くあり、そのたびに丁字路にはカーブミラーが設置されている。ときたま左ハンドルの車が通り、ゆっくりと鞄の脇を通過していく。


 やっと家に着く――初めての出会いをたくさん経験した日にありがちな、身体的なものではない徒労感を肩に乗せて、僕はその光景を目にした。


 旧相星家――3年以上誰も住んでいなかったその場所には、1トントラックが一台止まっていた。

 そして、赤いワンポイントが入った通学カバンを持った少女が一人。

 今時珍しいセーラー服に、僕は見覚えがあった。赤のツートンカラーを基調としたアウターに、長い丈が似合う灰色と紺色の交じり合うシックなスカート。近くにある名門女子高――生明女子高等学校の制服だった。


 街で見る彼女らと違って、その少女のスカート丈は短い。太ももを露出させているが、この状態で通っているというわけではなさそうだ。通学鞄を道路脇に置いて、今にも段ボールを家の中に搬入しようと考えていたらしい。


 だが――少女は、どういうわけかその動作を中断した。

 長袖を腕元まで捲ったままの手で額の汗を拭って、こちらまで駆け寄ってきた。そうしてようやく、僕はずっと立ち止まって彼女のことを見ていたことに気が付いた。テレビの中の映像を見ているわけでもないのだから、見られているという感覚があってもおかしくないはずだ。


 なんていえばいいのか――しどろもどろとしている僕の前に、少女は手を大きく振る。そのおしとやかな制服からは想像できない、活溌とした素振りだった。

 そして、その姿はかつて見たあの少女と重複する――。




「久しぶりですね、恭弥!」




 高校一年生の春。

 僕は――館山恭弥は、二度目の出会いをした。





 だけど、僕は。

 一通り、他人行儀な対応をして――それから、家に帰った。あの日からずっと、カーテンは閉じたままだ。


 何事もなかったかのように、年月が過ぎ、季節が一周し。

 そしてまた春になって、6月――。


「私、引きこもることにしました! つーーーーーん!!!!!!」


 唐突に訪れてきた幼馴染に、どう対応すればいいのだろうか?


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