第175話 社畜、壁ドンされる

「……ていう感じかな」


「ありがとうございます……なるほど、よく分かりました」



 リンデさんの教えてくれた住居斡旋制度は、なかなかありがたい話だった。


 これまでは宿に滞在するのがメインだったので知らなかったのだが、異国人がノースレーン王国内は住居を借りるのはかなりハードルが高い。


 もちろんその土地を治める領主さんによってそのへんの塩梅が異なるみたいだが……ジェントの街で部屋を借りるためには、最低二名以上の王国人かつジェントの住人の保証人を立てる必要があった。


 まあ、当然といえば当然だ。


 素性の知れない異国の流れ者にホイホイ部屋を貸すお人よしがどこにいるのか、という話だからな。


 とにかく、そのへんの面倒ごとをギルドが代行してくれるのだ。


 もっとも現代日本でも、やはり外国人が部屋を借りるのはなんやかんやでハードルが高いと聞くから、その辺の事情はどこも変わらないのだろう。



「で、アラタさんは登録するつもりなの?」


「そうですね……かなりグラッときてます」

 


 リンデさんの話しぶりからすると、冒険者側にそれほどキツい縛りはなさそうだ。


 指名依頼自体も、あくまでギルドが有能な冒険者を把握する目的がメインであり、冒険者に依頼を強制できるような契約条項もないらしかった。


 まあ、『貴方だからこそお願いするのです』みたいな大事な仕事を本人の意思に反して無理やり振っても、きちんと望んだとおりの結果を出してくれる可能性は限りなく低いだろうからな。


 それはさておき。


 この世界では、俺は拠点となる場所を持っていない。


 もちろん帰るべき家は日本にあるのでそれ自体は特に構わないのだが、最近はダンジョンの行き来のついでにミミックを狩っていたらかなりアイテムが増えてしまったおり、その処分に困ってきているのだ。


 先日はどうにか『イーダンの短剣』を売却することができたが、あれ以来、戦利品を売却する機会がなく増える一方なのである。


 一応まだ遺跡ダンジョンの通路を埋めるほどではないが、いずれそうなることは間違いなかった。


 そうなれば通行の邪魔だし、今のところは大丈夫ではあるが……一年とか二年のスパンで通路が『元通り』になる可能性は十分にあった。


 しかしながら、異世界の品物を現実世界になるべく持ち込みたくはなかった。


 当然だが剣などの武器は銃刀法的に論外だし、金貨や硬貨、宝飾品等も俺が知らない法律で所持が禁止されていたりすると怖い。


 まあアンリ様を日本に連れて行った時点で、あまり意味のない縛りのような気もするが……


 それはさておき。


 そんなわけで、ダンジョンで得たモノを異世界側で保管する場所を確保する必要に迫られていたのだ。


 だから住居斡旋の話は渡りに船だった。



 ちなみに、斡旋してくれる住居はジェントの街だけでなく周辺の農村の空き家や森の中の木こり小屋などもあるらしい。


 個人的には、ダンジョンに近い森の中の小屋とかがあれば嬉しいのだが。



 ……そういえば、ずっと前にマスコットのルーチェから結界系の魔法も模倣していたっけ。


 残存マナは最近余り気味だし、防犯用に使えるかどうかわからないが念のため覚えておくとしよう。



 いずれにせよ、後日アルマさんにもう少し詳しく確認する必要があるだろう。




 ◇




「うぇーい! アラタさん、もう一軒いきましょー!!」


「ちょっとリンデさん、酔いすぎですよ!?」



 人通りの少なくなった飲食店街に、リンデさんの陽気な大声が響き渡った。


 食事を終え『黒鉄くろがね亭』を出たころには、すでに深夜近い時間帯になっていた。


 もう宿に戻るべき時間だった。


 しかし彼女はガッシリと俺の腕を掴み、上機嫌な様子で次の店へと引っ張っていこうとする。


 ……が、その握力に反して足元はおぼつかなかった。


 どう考えても、泥酔状態だ。


 なにせ彼女はエールや地酒の類を浴びるように飲んでいる。


 途中で数えるのをやめてしまったが、少なくとも20数杯は飲んでいた。


 ジョッキで。


 酒豪というかうわばみの類だ。



「あの、そろそろ戻った方が……リンデさん、明日も早朝から仕事でしたよね?」


「らいじょーぶらいじょおーぶ! 帰ったらちゃぁんと解毒まほー掛けるからー!」


「その呂律で魔法ちゃんと唱えられるんですかね……」



 俺の脳裏に、彼女が絶望的な二日酔いでゾンビのような目をしながらフロントで仕事をしている姿がありありと浮かんでくる。


 ……というか、目の前で解毒魔法を使ってくれたら『模倣』できるんだが……と邪な考えがよぎったが、首を振って打ち消す。


 とにかく、彼女を宿まで送り届けなければ……!



「ほらリンデさん、帰り道はこっちですよ!」


「あーれー! アラタさん、意外と積極的ー!」



 仕方なく彼女を腕を掴み返し、引っ張ってゆく。


 リンデさんは楽しそうな様子で笑い声を上げつつ、よろよろと俺と同じ方向を歩き出した。


 石畳に躓いたりしないように、しっかりエスコートしなければ……!!



「うふふ……アラタさぁん」



 ……繁華街を抜けしばらく歩き、人通りが無くなったところで。


 ふいにリンデさんが甘い笑みを漏らし、俺にしなだれかかってきた。



「……へっ?」



 彼女の体重が俺の身体にのしかかり、思わず道の端までよろけてしまう。


 しかしリンデさんは止まらない。


 予期しない出来事と存外に強い彼女の力のせいで、そのまま俺は建物の壁まで追い詰められてしまう。


 ドン!


 リンデさんは勢いを殺しきれなかったのか、俺の顔のすぐ横の石壁に力強く手をついた。


 壁ドンというやつである。


 彼女の顔が、俺の正面にあった。


 視線は俺をしっかり見据え、口元には挑発的な笑みをたたえていた。


 まるで獲物を狩る直前の、猛獣のような笑みだった。



「アラタさん……いま油断してたでしょ」



 酒臭い熱い吐息が、顔にかかる。


 囁くような彼女の声が、やけに大きく聞こえる。


 彼女の吸いつくような柔らかい肢体が、ぴったりと俺の身体に密着している。


 おいおい……


 もしかしてこれ……俺、ピンチな状態では?


 確かに、油断していたのは事実だ。


 それは認める。


 だが、この状況はさすがに予想していなかったぞ……!?



「あの……リンデさん?」


「シッ。静かに」


「アッハイ」



 濡れた唇に、一本指を当てる仕草をする。


 それからリンデさんはしっかり俺の目を見つめながら、言った。



「冒険者は常在戦場の心得が肝心。そうでないと……狩られちゃうのはアラタさんだよ?」


「き、肝に銘じます……なので、そろそろ……ちょっ、リンデさん!?」



 彼女の顔が近づいてくる。


 彼女の濡れた唇がどんどんと近づいてきて――



 俺の顔を通り過ぎ、耳元にやってきた。


 彼女が静かに囁く。



「左方向、約百歩先。路地裏に隠れつつ、誰かが尾行してる。アラタさん、心当たりない?」


「……あるかもです」



 ……うん、知ってた。


 『黒鉄亭』を出たところから、誰かに付けられている気配があったのだ。


 もちろんクロも気づいており、何食わぬ顔をして俺たちの横をちょこちょこと歩いているがしっかりと気を張り襲撃に備えている。



 だから俺たちは、寄り道せずに宿までリンデさんを送り届けてから尾行者に対処しようと思っていたのだが……


 どうやら彼女も、かなり早い段階で気づいていたようだ。



「敵は多分強いです。俺が引きつけるので、リンデさんはどうにか逃げてください」


「ふふ……アラタさんのそういう男気、好きだなー。でも、見くびってもらっちゃ困るかも」



 気づけば、リンデさんの顔色は普段通りに戻っていた。


 ……獲物を狩る直前の、猛獣のような笑みはそのままだったが。



 もしかして彼女、『解毒魔法』を飲む前に使っていて酔っぱらったふりをしていたのか……?


 だとしたら、なかなかに油断できない人だ。



「二対一。ちょっとこっちに有利すぎるかもだけど、ラブラブカップルを尾行するような不届き者にはキツーいお仕置きが必要だよねー?」


「そ、そうですね……?」



 なんか不穏な笑みと共にデンジャラスな既成事実的ワードが聞こえた気がするけど、ジョークの類だよな……?

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