第91話 社畜と深淵魔法

「うおおおおおおおぉぉぉぉーーーー!!」


『ヴオォォォォォォォォーーーー!!!!』



 景色が変わった瞬間、大音響に包まれた。


 誰かの雄たけび、魔物の咆哮。


 大勢の武装した兵士や騎兵が魔物たちとぶつかり合い、血と泥があちこちで跳ね上がる。


 上を見上げれば、雲一つない青空に大量の矢と魔法が飛び交っている。


 そこは戦場のど真ん中だった。



 もっとも、あっけに取られていた時間はごくわずかだ。



『ヴォオオオオオオオォォォォォーー!!』


「うおっ!?」


「……!?」



 すぐ真横で強烈な咆哮をビリビリと全身に浴び、はっと我に返る。


 見れば、俺の目の前に巨大な魔物がいた。


 身の丈は5メートルはありそうな、単眼の巨人だ。


 今まさに、そいつが棍棒を俺に向かって振り下ろすところだった。



「マジかよおおぉぉーーッ!?!?」



 とっさに転がって避ける。


 直後、ズズンと地響きとともに、「ぎゃっ」と悲鳴が上がった。


 同時にグシャッ! と金属の肉がひしゃげる音が耳に飛び込んでくる。


 もちろん俺やクロのものではない。


 クロは俺より早く回避して隣にいる。



「……クソ!」



 振り返ってみれば、単眼の巨人が俺の近くにいた兵士をぺしゃんこに叩き潰しているところだった。


 ……どうやらヤツの標的は俺ではなかったらしい。



「クソ! ルッツがやられた! あのクソ野郎を取り囲め! ぶっ殺してやる!!」


「死ねやああああぁぁ!!!」



 安堵したのも束の間。


 今度は背後から誰かの怒声が上がる。


 振り返れば、仲間を殺され怒り狂った兵士たちが槍を構え、こちらへ向かって――単眼の巨人に突撃するところだった。


 もちろんその直線上に俺がいるわけで。



 ……ど、どうしよう?


 魔物はとりあえずぶっ飛ばせばいいけども、人間の兵士は?


 まあ戦場だし、正当防衛だと思うけど……ええい、悪く思うなよ!


 と、覚悟を決めたその時だった。



『あっ、ごめんなさい! 転送場所を間違えた!』



 隣で慌てた声が隣で聞こえ、さらに視界が切り替わった。



 今度は小高い丘の上にいた。


 さきほどの修羅場とは打って変わって静かな場所だ。


 草原の草が風にそよぎ、小鳥たちの鳴き声が聞こえる。


 先ほどまでの光景がウソのようだ。



『はあぁ……びっくりした』



 隣でほう、とため息をついたのはミルさんだ。

 


「こっちの方がびっくりしましたよ……」


『ごめんなさい! でもこれは現実ではないから、あのまま戦場にいても身の危険はなかったわよ? 誰も貴方のこと、認識してなかったでしょ?』


「……そういえば」



 もし現実ならば、少なくとも人間の兵士たちが俺とクロに気づかないわけがない。


 それに、よくよく身体を見てみれば……泥まみれの戦場を思いきり転がったというのに、服には埃ひとつ付いていなかった。



 とはいえ、いきなりあんな修羅場に放り込まないで欲しい。


 こっちにも心の準備ってものがあるからな……


 それはさておき。


 ここからだとさきほどまでいた戦場の全体像を俯瞰することができた。



 眼下に広がるのは、平原だ。


 もうもうと土煙が巻き上がっているので見づらいが、大勢の人間と魔物が大乱戦を繰り広げている。


 その戦場の向こう側には、砦らしき建造物が見えた。


 どうやら人間側は、砦を攻めてきた魔物を迎え撃っているらしい。


 もっとも、戦争素人の俺にはどちらが優勢なのか全く分からない。



 と、その時だった。



『ふむ……やはり魔物のみであれを落とすのは無理か』


『申し訳ございません、閣下。人族の抵抗が想定より激しく……魔物の損耗はすでに五割に達しております。どうやら砦に『勇者』が紛れ込んでおり、隊長級が複数討ち取られたとの報告が上がっております』



 振り返れば、すぐ後ろで二人の男が何かを話し合っていた。


 一人は立派な身なりをしており、もう一人は鎧を着こんでいる。


 どちらも端正な顔立ちで、金髪碧眼。


 ただ、話の内容からして二人は王国……ロイク・ソプ王朝側の者らしい。


 魔物側の指揮官クラス、だろうか。



 ミルさんの話では『人族』ではないようだが……なるほど。


 二人とも耳が長い。


 これは……エルフ、というやつだろうか。



 二人の話は続く。



『あの砦は人族にとって最終防衛線だ。抵抗が激しいことは想定の範囲内だが……それにしても『勇者』か。我々の中にも造反者がいたということか』


『それにしても我らに楯突く者を『勇者』と呼称するなど、不遜極まりないですな』


『人族にとっては彼らが唯一の希望なのだ。そう呼びたくなる気持ちは分からないでもない。だが、この遠征は王命である。敗退は絶対に許されぬ』


『……御意に』



 閣下と呼ばれた男は苦虫をかみつぶしたような顔で沈黙し……それから目を閉じ、言った。



『……『深淵魔法』の行使まであとどのくらいかかる?』


『はっ。すでに準備は整っております』


『では、巫女を呼べ』


『はっ』



 鎧の男がすぐに数人の女性を連れてきた。


 皆、ゆったりした服を着た、十代後半くらいの女性たちだ。


 彼女たちの耳は人間と変わらなかったが、全員銀色の髪で、同じ顔をしていた。



『術式展開用意』



 鎧の男が命じる。


 彼女たちは特に言葉を発することもなく、粛々と何かの準備を始めた。



 『巫女』の一人が持参した絨毯のようなものを戦場が見渡せる場所に敷き、その上に一人の巫女が座り込む。


 準備が終わると、絨毯の上に座り込んだ巫女以外の者が彼女を取り囲むように立ち、なにか呪文のような言葉を囁き始めた。


 徐々に彼女たちを中心として淡い光の粒子が漂い始める。


 明らかに強力な魔法を放とうとしているのが分かった。



「……ミルさん」


『なによ』


「ここで介入とかすると、歴史が変わったりするんですかね」


『この場面は、あくまで過去を再現したものよ。だから、これから起こる出来事に干渉することはできないわ』


「……ですよね」



 まあ、言ってみただけだ。


 言わずにいられなかったともいうが。



『閣下。いつでも行使できます』


『うむ。……人族の戦士たちよ、そして我らが同胞たる『勇者』たちよ……貴殿らの奮闘は我が瞳にしかと刻み込まれた。……いずれ生まれ変わったその日には、我らの友とならんことを』



 閣下と呼ばれた方が、数秒黙祷らしき仕草をしたあと、顔を上げ、大声を張り上げた。



『放て!』



 次の瞬間。


 フッと『巫女』たちから光が失せた。


 同時に絨毯の上に座り込んでいた巫女の身体が黒く変色し、ドロドロと崩れ落ちていくのが見て取れた。


 その様子を見ても、他の巫女たちは微動だしない。


 まるで自分の意思など存在しないかのように。



 ……そして。



「なっ……」



 思わず声が漏れた。


 眼下の戦場が、消えていたからだ。


 平原や砦もろとも。



 そこにあるのは、『無』だった。


 正確に言えば……半径数キロが何かに削り取られたように、きれいさっぱり消え失せていた。


 今や俺の視界の中で動いているものといえば、すっぱりと切れ落ちた大地の端が崩れ落ち発生した土石流と、そこから立ち昇る土煙くらいしかない。



『……深淵魔法、成功。敵全軍の沈黙を確認』


『見れば分かる』



 鎧の男の報告を受け、閣下と呼ばれている方が腹の底から絞り出したような声で答える。



『撤収するぞ。直ちに成果を王に報告せねばならん』


『はっ』


『……『澱』は丁重に扱え。魂なき魔導生命とはいえ、命を賭して我が軍に勝利を導いた者であることに変わりはない』


『……はっ』



「はい、ここまでよ」



 と、そこで耳元でミルさんの声が聞こえ、また景色が変わった。


 今いるのは、最初にいた人気のない大通りだ。



『どう? ……その顔色、やっぱり見せない方が良かったかしら?』


「いえ、大丈夫です」



 確かに気分の悪くなる光景だったのは確かだ。


 異世界の、ずっと過去の出来事とはいえ大量虐殺の場面を目撃したわけだからな。



 だが、成果はあった。


 『深淵の澱』の正体が、おぼろげながらもつかめたのは大きい。


 ……それに。



 俺の視界に浮かび上がる文字列もまた、今回の成果だ。


 いや、成果と言っていいのかは分からないが。



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