第77話 社畜と新人研修

「よ、よろしくお願いします」



 とりあえずそう返すのが精いっぱいだった。


 確かに桐井課長が元魔法少女と言われてもなぜか違和感がない。


 ゆるふわな雰囲気はさておいて、何か普通の人とは違う空気のようなものを纏っていたからだ。



 もしかしたら『鑑定』で彼女のステータスなどを視ればいろいろ分かったかもしれない。


 しかし、さすがにそれをやるのは危険すぎる。


 いや、なんか人間に『鑑定』を掛けるとかなり最悪な形でバレるっぽいし、そもそも女性のプライベートを覗き見るのはさすがにダメでしょ……


 そんなわけで、人はもちろんのこと、物に対してもなんでもかんでも『鑑定』するのは控えている。


 無用なトラブルを招きかねないからな。


 それはさておき。



「では、さっそく業務の内容を説明していきましょう。あ、これどうぞ」


「は、はい」



 桐井課長は自分のデスクにあった冊子状の書類を手に取ると、こちらに差し出してきた。


 タイトルは『人材育成課マニュアル(課外秘)』と書かれている。


 真新しいので、俺のために刷ってくれたのだろうか。


 昨日の今日だというのに、ありがたい限りである。



 量としては2~30ページくらいだろうか。


 想定される業務内容からすると少なめに感じるが、一番最初に読むマニュアルとしては丁度いいボリューム感ではある。



「ん……?」



 そして手渡されたマニュアルを見て、妙なことに気づく。


 表紙の左上には作成者の押印欄があった。


 そこには『桐井』と押されている。


 ここまでは別におかしなところはない。



 だがさらにその隣に、淡く光る小さな魔法陣が浮かび上がっていたのだ。


 直径は2センチほど。



 思わず桐井課長の顔を見た。



「あの、これって」


「ああ、それは魔法陣ですよ。手に取った人の魔力に反応して書類内部を書き換える優れものです。社長が製作されたそうですが、凄い技術ですよね」


「な、なるほど……」



 説明を聞くに、この業務マニュアルは普通の社員が手に取っても一般的な業務マニュアルとしてしか見えないが、一定量の魔力(マナのことだろう)を持っている人間が触れると別の内容に変わったり、追加事項が浮かび上がって見えるらしい。


 試しにパラパラと中をめくってみると、一般的なマニュアルの余白部分に『別室』で必要と思われる業務がびっしりと書き込まれているのが見て取れた。


 もちろん本文についても、一部の語句が書き換えられていたり(変更箇所がうっすら光って見えるのでとても分かりやすかった)、行の下に注釈のような形で書き加えられていたりとまったく別物になっているのが分かる。


 確かにこれは凄い。



 それにしても、この魔法陣……なんか見覚えがあるんだよな。


 ていうか表紙に押されたスタンプ式魔法陣の術式、半分くらい読めるんだが?


 で、その内容は……『1000マナ以上を有する者が紙面に触れるとマニュアル全体に施された魔法が起動し、魔法で記載された内容を各ページに表示する』というものだ。



 えっと、これってまさか。



「廣井さん、何か気になる事でもありました?」



 考え込んでいたら桐井課長に声をかけられてしまった。



「ああ、すいません。ちょっとびっくりしてしまって」


「ふふ、分かります。私もこの魔法のスタンプを見たときはびっくりしましたから。その効果もですが、こんな小さいのにすっごく緻密な模様ですよね」


「確かにびっくりしますよね……」



 とりあえず、そうとだけ返した。


 どうやら桐井課長には、このスタンプ魔法陣を構成する術式がただの複雑な紋様にしか見えていないようだ。



 だが俺には分かる。


 ソティ謹製のスタンプ魔法陣の術式は『ロイク・ソプ魔導言語』で記述されている。



「お任せできるお仕事も、まだ入ってきていないですし、午前中いっぱいはマニュアルの読み込みにあててください。私はここで仕事をしているので、分からないことがあったら聞いてくださいね」


「承知しました」



 桐井課長が自分のデスクのPCに向かったのを見て、俺は手元のマニュアル表紙に押されたミニ魔法陣を睨みつけた。


 まさか、こう来るとは。



 つーかこれって、いろいろな事実を示唆することになると思うんだが……


 たとえばこっちの世界と異世界のつながり、とか。


 ソティの出自、とか。


 いずれにせよ、状況がある程度分かるまでは俺の力を大っぴらに話すのはマズいってことだけは確かだ。


 特に俺が魔導言語を読めることは、誰にも知られない方がいい気がする。


 いや、もしかすると俺の素性をすべて把握したうえでの配属なのかもしれないが……



 うーむ、分からん。



 少なくとも、今のところはソティに俺を害する意図はないように思える。


 だが、手元に置いておきたい……くらいには考えているかもしれない。


 

 とりあえず職場そのものが懸念していたようなブラックな環境でなかったことは安心材料だが、やはり完全に気を抜くのは危険そうだな。


 まあ桐井課長自体は優しそうだし、様子を見つつ仕事を進めていくとするか。


 お給料自体は目ん玉が飛び出そうなほど好待遇だし。



 その後は配属初日ということで、桐井課長と一緒に周囲の部署にあいさつ回りをしたり指示通りマニュアルを読み込んだり分からないところがあれば彼女に質問をしたりしつつ過ごした。



 ちなみに桐井課長に聞いた話では、この『人材育成課(別室)』は彼女と俺、それと今ここにはいない佐治さじさんという人(どうやら出張中らしい)の計三人体制とのことだった(俺の前任者がいたそうだが、既婚の彼女は子供が生まれたタイミングで退職されたそうだ)。


 それと、この課の業務は基本的に新人の魔法少女の育成とか研修を行ったり彼女らと組むマスコットの管理が中心で、どうやらすべての魔法少女やらマスコットと関わるわけではないらしい。


 それを聞いてかなり安心したのは秘密である。



 そんなこんなで午前中が過ぎてゆき――午後になった。



「――はい、分かりました。今日ですか? 大丈夫ですよ。大丈夫ですよ。あ、それと……1名ほど同席者がいても構いませんか?」



 社員食堂(普通の社員食堂だった)で昼食をとったあとオフィスに戻ると、一足先に戻っていた桐井課長が電話で誰かと話しているのが見えた。


 彼女は俺の姿をチラリと見て、軽く手を振った。


 それからデスクに視線を落とし、メモに聞き取った事項と思しき文字列を書き込んでいく。



「……はい、はい、分かりました。では16時半ごろに33階の会議室を取っておきます。……それでは失礼します」


「どうかされたんですか?」



 電話対応が終わったのを見計らって、桐井課長に声をかける。



「あっ、廣井さんおかえりなさい。実は今日、急遽新人の子が研修を受けに来ることになりまして。本来は佐治さんの仕事なんですが、彼女は今地方に出てますので……私が担当します。16時半ごろに来社するそうですので、仕事の流れを把握するためにも一緒についてきてください」


「わ、分かりました」



 ということで、さっそく俺の実地研修が始まることになった。




 ※前回のザリガニ人気に嫉妬(訂正しときました)

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