第73話 社畜、昇進する(※)

「おいコラ廣井ィ! お前、一体何をやったんだ!」



 月曜日。


 出社した途端、課長に詰め寄られた。



「な、なんのことですか!?」



 当然だがまったく心当たりがない。


 今月のノルマはすでに達成済みだし、取引先との関係も良好。


 トラブルは先日解決して以来、特に起きていない……はず。


 最近は自身の業務を効率化したおかげで残業だってかなり減っている。



 少なくとも課長が鬼の形相になるようなことは何一つしていないはずだ。


 もしかして有給の手続きが間違っていた? と一瞬ビビったがこれも課長のOKをもらっているので怒られるのはお門違いである。



 課長の口から飛び出たセリフは、まったく予想だにしていないものだった。



「お前宛に本社への移籍の話がきている。詳細はイントラを確認しておけ。……まったく、一体何がどうなってるんだ!」


「はぁ……??」



 寝耳に水とはこのことである。


 俺が本社に移籍……!?


 本社って、この前ウチの親会社を買収した企業のことだよな……?


 課長ではないが、一体どうなってるんだ。



 とにかく自分のデスクに向かうとすぐにPCを立ち上げ、イントラネットを開く。


 すると社内ニュースなどに混じって、本社からの辞令に関する記事があった。


 急いで開く。



「えーと、なになに……辞令、廣井新殿……本社移籍……所属部署を管理本部人事部人材育成課? 役職……係長!? ……マジで!?」



 課長と同じような声が漏れた。


 いやなんだこれ。


 有給で休んだことに対する腹いせとかで担がれてるわけじゃないよな!?


 でも、確かに送り主は弊社の人事部からだし、辞令の発行者は本社の代表者だ。


 ただ有休を取ったからといって、さすがにここまで手の込んだ悪戯……嫌がらせはしないだろう。


 つーか辞令、今日付じゃねーか! 急すぎるだろ!



「えっ、先輩本社に行くんスか!? ていうかこれ、もしかして引き抜きッスか!?」


「いやどうだろ……そうっぽいね……」


「マジすか! 先輩すっげー!」



 隣の同僚が俺のPCを覗き込んで素っ頓狂な声を上げた。


 俺だってそんな素っ頓狂な声上げて喜びたい。


 本社移籍、運営サイドの部署、そして係長とはいえ役職付き。


 ありえないほどの昇進だ。


 今までの社畜としての頑張りが報われた……と思うことができれば楽なのだが、どうしても言い知れない違和感がつきまとう。


 そもそも営業とかマーケティング関連の部署ならばともかく、なんで人事部なんだよ。



「か、課長……これは一体どういう――」


「俺が知るか! とにかくさっさと本社へ出向いてこい!」


「しょ、承知しました……」



 そんなわけで、俺は急いで本社の入っているビルへと向かったのだった。




 ◇




 弊社の親会社を買収したのは、主に人材派遣を生業としてのし上がってきた新興企業だ。


 最近は事業拡大のためか中小の商社やIT関連の企業を買収しその傘下に加えており、その一環として弊社に目を付けたらしい。



 ちなみに所在地は、弊社から三駅ほど先のオフィス街。


 目と鼻の先というわけではないが、ご近所様といって差し支えない距離ではある。



「ここが本社か……」



 遠くからでもよく目立つ、30階以上はありそうな巨大なビルがそれだ。


 あのビル一棟全部が本社なのか……と思い一瞬焦ったが、入り口の案内看板を見るといわゆるオフィスビルのようだった。


 本社が入っているのは30階から35階だな。


 それでもかなりの規模だ。


 もしかしたら、他の階に入っている企業も関連会社なのかもしれない。


 なんか似たような社名がずらりと並んでいるし。


 それはさておき。



「廣井様ですね、お待ちしておりました。そちらのエレベーターから35階の社長室までお越しください」



 ビルのエントランスホールで受付のお姉さんに名前を伝えると、すぐに行き先を告げられた。



「しゃ、社長室……ですか?」


「はい、左様でございます」


「左様ですか……」



 つーか社長室? 俺の配属先は人事部だったような。


 受付の横にあるビル案内を見ると、人事部が入っているのは34階だが……さてはて。



 とはいえ、言われた通りに社長室へ向かうしかない。


 エレベーターに乗り込み、35階のボタンを押した。


 心地よい上昇Gに身を任せることしばし、目的のフロアへ到着。



「……失礼します」 



 洗練された雰囲気の廊下を少し歩き、『社長室』と札が掲げられた扉を緊張しながらノックした。



「どうぞ」



 中から声が聞こえたので扉を開く。



 まず最初に、だだっ広いフロアが目に飛び込んできた。


 この階はほとんど社長室としているらしい。贅沢な使い方だ。



 つるつるの床はよく磨かれているが、ほとんど物が置かれていなかった。


 せいぜいちょっとした本棚とか、観葉植物、それに来客用のソファとテーブルくらいなものだ。



 そのおかげで視界がほとんど妨げられず、一面ガラス張りの向こうにビル群がよく見える。


 そこから差し込む逆光の中、俺の視界の一番奥にポツンと黒い影が見えた。


 執務デスクと……人影だ。



「おお、ようやく来たかの。急な辞令ですまなかったのじゃ」



 ……のじゃ?



 甲高い女性の声がして、人影が立ち上がった。



「久しいの。あの時以来じゃろうか、廣井アラタ殿」



 そう言いながら近づいてきた女性は……俺より少し年上……三十代後半と思しき女性だった。


 背は俺とあまり変わらず、スラッとした体形は社長というよりは秘書とかデキるOLの方がしっくりくる。


 目鼻立ちはごく普通の日本人。まあ、かなりの美人さんではある。



 それはともかく、なんで社長さんは俺のことを知った風な口ぶりなのだろうか?


 というかすごく既視感というか既感のある古風な口調なんだが……



「あの……失礼ですが、以前どこかでお会いしたことが?」


「おお、そうじゃった。この姿では分からぬか」



 社長がハッと気づいたように目を見開き、それから苦笑する。



「これならどうじゃ?」



 次の瞬間。


 彼女の姿が一瞬淡い光に包まれ――



「…………あんたは」



 そこにいたのは、女の子だ。


 日本人離れした風貌。銀色の髪、翠の瞳。


 年のころは十歳くらいにしか見えない。



 先ほどと同じようにニコニコと笑みを浮かべているが……


 この人、いやコイツは。



「ソティ………………さん」


「おお、覚えてくれておったか。嬉しいぞ」



 忘れもしない。


 目の前の彼女は……先日絡んできたソティとかいう魔法少女だった。


 彼女が言った。



「廣井アラタ君。辞令にあったとおり、今日付で君を我が社の人事部人材育成課に配属することにした。業務内容は……『魔法少女・マスコットの育成及び管理業務』じゃ。受けてくれるな?」


「辞退してもよろしいでしょうか?」



 もちろん即答した。





 ※再三ですが、このお話はフィクションです。

  実在の会社・組織・団体などの業務内容・手続きとは異なります。

  というかだいぶデフォルメしてます。ご了承ください……

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