第55話 社畜、有給休暇がスタートする

 木曜日の夕方。



 しっかりと長期滞在の準備をしつつダンジョンの前にやってくると、扉の横に白いものがチラリと見えた。


 ビル壁面の少しくぼんだ箇所にあるおかげで通行人やビルの利用者には見つけづらいが、俺が扉を開こうとするとちょうど目に入る……そんな場所だ。



「なんだこれ」



 よくよく見てみれば、それは小さく折りたたまれた紙片だった。


 大きさは、ほんの1センチ四方。


 ご丁寧に、テープで壁にとめてある。



 以前からあったものではない。


 おそらく昨日か今日、貼り付けられたもののようだ。



 妙に気になったのでそいつを剥がし、開いてみた。



『ありがとう』



 そこに書かれていたメッセージは、それだけだった。



 鉛筆書きで、宛名も差出人の名もない。


 乱暴な字だし、何度か消しゴムで消して書き直した後もある。



 そういえばこういうのって、俺が中学生くらいのころにも女子の間で流行っていたっけ。


 今でもこんなこと、やるんだな。



「…………」



 内容を確認した後、俺は紙片をくしゃりと握りつぶして……少し迷ったが、結局懐にしまいこんだ。



 もしかしたらただのイタズラかもしれない。


 そもそも本心なのかも疑わしい。


 だから、別に何か感情を抱いたわけでもない。



 ビルの前にゴミを放り投げるのは抵抗感があった。


 それだけだ。



「……なんだよ」



 ふと視線を感じたので足元をみれば、クロがじっとこちらを見上げていた。


 なぜだろうか、今日ばかりは何を伝えようとしているのかいまいち読めない。


 だがまあ、なんとなく呆れた様子なのは伝わってきた。



「……行こうぜ、クロ」


「…………フスッ」



 クロはいつものように鼻を鳴らすと、俺のあとにちょこちょこと付いてきた。



 ダンジョンに入ると、通路のすぐ脇に置いてある袋を回収。


 先日は適当に女の子の安否を確認しただけだったので、念のため中を確認して短剣やらコインなどの戦利品が減っていないか調べたが手つかずのままだった。


 硬貨の類は多少ネコババされるかもしれないと思ったが……ミラクルマキナは存外律儀なヤツだったらしい。



 ……そう。


 俺はあのとき公園で助けた女の子の正体に、薄々気づいていた。



 もっとも結界の中には俺と魔法少女、そして魔物以外の存在を見かけなかったのだから、当然に行きつく推察だ。


 少なくとも魔法少女である可能性は疑っていた。


 まあ、あの子がミラクルマキナ本人であることが確定したのは、先日夕食時に乱入してきたソティとかいう魔法少女のセリフからだったが。


 まあ今後は絡んでくることもないだろうし、さっさと忘れてしまうに限る。



「ま、それはそれとして」



 今日から数日は、しばしの異世界ライフを楽しむことに集中するだけだ。



 俺はダンジョンの通路を進んでゆく。




 ◇




「よう、ヒロイ殿! それにクロちゃんも元気か……やっぱまだツンツンかぁ。だがそこが……いい……」



 顔見せのため砦を訪れると、兵士長のフィーダさんが迎えてくれた。



 相変わらずクロは塩対応だが、フィーダさんいわくそこがいいらしい。


 そうは言うものの、なんか傷ついてませんかね?


 まあ本人が良いのなら俺が気にする話ではないんだが。



「そうえばロルナさんはお仕事中ですか?」



 砦内部の部屋に通されてからも、彼女の姿が見えなかった。


 書類仕事で忙しいのだろうか?



「ああ、騎士殿か。彼女は今、王都に帰還中だ。ちょっと『中央』がゴタゴタしてるみたいでな。もしかすると、三日後までに戻ってこれないかもしれん」


「そうなんですか……」



 そういえばロルナさんはこの砦の兵士さんというわけでなく、王都の騎士団から出向してきているお役人さんみたいな身分だったっけ。


 で、何かあって呼び戻されている最中、と。



 いずれにせよ、それは残念だ。


 別に美人さんな彼女の顔を見たくてここに通っているわけではないのだが……いや、それもちょっと理由の一つといえなくもないが……彼女がいないと武器商の方とのやりとりがスムーズに行かない可能性が出てくる。


 一応、サラリーマンの端くれなので商談の場が初めてというわけではないが、そうはいっても異世界だからな。


 その場に仲介者がいないというのは、不安材料ではある。


 だが、そんな心配を見透かしたように、フィーダさんが得意げに胸を叩いて見せた。



「ああ、短剣の鑑定ならば心配しなくていいぞ。彼女が商談の日までに戻ってこれない場合、代わりに俺が立ち会う段取りになっているからな」


「そうですか! それは心強いですね」



 よかった。


 どうやら彼女はしっかりと俺のことを考えてくれていたようだ。



 フィーダさんは得意げにグッと親指を立てて言った。



「任せとけ。武器商の提示額から倍までは引き上げてやる」


「そ、それは心強いですね……」



 それは大丈夫なのだろうか……武器商の人が。



「と、そうだ。ここにあんたが来たときに言いたいことがあったんだった。まだ商談まで日数もあるしな」



 フィーダさんが思い出したようにポンと手を打つ。



「なんでしょう?」


「ヒロイ殿……あんた、冒険者稼業に興味はないか?」

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