第4話

「縹さん、決めました。わたしは四季王の無念を晴らします」

 縹は生気と理性を失った酔った目を向ける。部屋は相変わらず酒の匂いが充満している。縹は短く結構と答えた。ふらふらしながら灰白の顎を掬い上げる。

「今日はあの護衛はいないみたいだね」

「そういう風に試すのは…!」

「別に試したわけではないよ…仲違いかな」

 縹は新しく缶を開けて呷る。興味の無さそうな態度ではあったが気まずそうに視線が彷徨う。

「そう、かも知れません。でももともと彼のあるじは…」

 まだ決定的なことは知らない。目にしていない。けれど。

「そうかい」

 嫌味な笑みを向けられる。冷蔵庫と呼ばれる棚型や抽斗のような形の装置から縹は緑の缶を出す。冷気が灰白のところまで届いた。目の前に缶を置かれ、飲みなさいと言われたが開け方が分からなかった。頂点の中心部に小さな弁がある。縹が溜息を吐いて一度渡したくせ奪い取られた。弁に折れそうなほど節くれだった白い指が引っ掛けられる。

「こっちの文化にも慣れてほしいものだね」

「ごめんなさい…」

「城に入れば俗物にはあまり触れないから構わないけれどもね」

 量の少なくなくなった缶を掴んだ手の手首を回して弄ぶ。 そしてまた一気に飲む。また新しい缶を家具の下から引き摺り出す。

「昼から飲み過ぎでありませんか」

「そうだよ。ボクは酒に呑まれるまで飲む。君もどうだい」

 口を付けていない缶をそのまま灰白の前に出した。灰白はぶんぶんと頭を振る。

「そちらの国では問題なかったけれど、こちらの国はお子様にお酒飲ませてはいけないんだ。飲んでも勧めても」

「子どもじゃありません!」

「ボクにとっては君は子どもだよ」

 ぴしゃりと言い捨てられ灰白は黙る。縹の喉の音を聞いていた。

「丁度良い。明日城に用があるからその時にまた来なさい。上手く行くといいけれど」

 不味そうに酒を飲んでいる。毒液を飲むかのようだった。

「分かりました」

 帰ろうとした灰白を呼び止め、縹は近寄って、腕を取る。

「君には蝶から蛇に…違うな、狸から狼になってもらわなければならない」

 縹の顔がずいと近付いた。灰白は驚いて突き飛ばしてしまった。

「君の人生だの境遇だの環境だのは知らないけれど、城に入るなら色々我慢しなければいけないよ。分かっているね。心を鬼にするんだ。悪魔に魂を売っても死神と契約したっていい」

「はい。きっとわたしの想像を絶する苦悩や葛藤があるかとは思います。でも…四季王様の無念を晴らせないことに比べれば…紅に誓いましたから」

 紅の名を出すと縹は、へぇ?と意外げに片眉を上げる。

「彼にはここで幸せに暮らしてほしいんです。国があんな目に遭って、それでもあるじめいに従ってわたしに付き合わせるのは…」

「それなら人に情けをかけるのはそれで最後にすることだ。君の甘さが危なくて仕方ない。でも…ボクはもう、君を頼るしかない」

 切ない眼差しで縋るような眼差し。鼈甲色に近い薄い虹彩に灰白は意識を奪われた。そのせいか縹は突然目を見開いて身を引く。

「ボクのことはどうだっていいんだよ。いいかい、朽葉様の仇を頼んだよ」

 縹は灰白に背を向けてしまった。半壊した窓から差し込む光に輪郭が溶ける。見ていてはいけない気がして俯くと、洒落た形の瓶や缶が転がっている。

「それだけだ。ボクは君を利用する。だから君はボクを恨みなさい。不条理で理不尽で遣る瀬無くて悲しいことも上手く隠すんだ。全てボクにぶつけていい」

 だから激情に任せるなと縹は言った。

「上手くやります。1人でも孤独ではありませんから」

 それなら話はそれだけだよ、と縹は灰白を玄関まで送ったと思われたがそのまま縹も外へ出た。

「縹さん?」

「送っていくよ。明るくても治安が悪い。あのボディガードもいないようだから」

 205号室の前の通路の壁は崩れ、窓ごと落ちているため縹の部屋の扉は外から丸見えで、ここからは洗朱通りが望める。退廃的な光景だ。視線を横にずらせばすぐに雰囲気は変わる。不言いわぬ通りは建物がほぼ均一な高さに揃えられているせいか見栄えがよかった。

「縹さん」

「何だい」

 大した興味は無さそうだった。やはり何でもないと言っても気にする様子もない。

「身体、大切にしてください。余計なお世話ですけど、お酒のこととか…」

 言うべきか迷ったが心配になってしまい言うことにした。縹は背丈は高いとも低いともいえないくらいにはあったが線が細い。ある程度筋肉はついているようだが華奢という印象が灰白には強かった。まともな食事をしている形跡もなかった。来店時にも酒しか頼まなかった。生活感の無い空間に日常を思わせる空間が合わさっていて縹の部屋は歪だ。そして建物そのもの、部屋そのものも物理的に歪だ。縹は顔を顰めている。

「恨みませんから。縹さんのこと。だから少し身体のこと考えてください」

「随分と人が好いようだ。ボクは君が心配だね。自分のこれからの立場をよく考えてほしいものだよ。人に情けをかけるのはこれっきりになさいな。ボクにも他人にも」

 灰白の借りている長屋に着く。少し離れたところから焼き魚の匂いがした。長屋の周辺は木造一戸建ての小さな住宅地だ。

「わたしの部屋ここです。ありがとうございました。明日もよろしくお願いします」

「…いつまで続くか見ものだね」

 長屋の前で縹は空を見上げていた。穏やかな笑みを浮かべ帰って行く。

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