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第十二章
ジェット旅客機のコックピット画像等を見て貰えば一目瞭然だが、通常何らかの物体を飛行させようとすれば無数のスイッチやらレバーやらを操作する複雑なプロセスが伴う。あるいはラジコンヘリやドローン等を見て貰ってもそこまで複雑ではないにしても何らかの操作は伴うはずであるのにアイアンマンとドラえもんから貰ったタケコプターを頭に付けたのび太は何の操作もせずに如何にして飛行を制御しているのであろうか。そこには高度に進化した未来テクノロジーが用いられているはずであり、そのような意志操作技術は現代では依然原初的レベルなのでシェイカーから貰ったバトルプロテクション・スーツに付属するジェット飛行デバイスにも採用されていなかった。当初の研究開発段階においてはPS4のコントローラーを流用し飛行コントロールをする仕様が検討されてはいたが、ヒーローがゲーマーみたいにゲームのコントローラーを両手に持って飛ぶのはあまりにヒーローっぽくないってことで却下された。それに手が滑ってそのコントローラーを落としてしまったら危険だという理由もあった。そこで新たに検討された方式がコントローラーのスティックとR2ボタン部分を頭部と片腕の動きで仮想的に代用するものであった。一般的に人は何の目的もなくとも頭部を動かしてしまうので飛行操作を意図しない頭部と片腕の動きと飛行操作時の動きをどう区別するのかというのが研究当初の課題ではあったが開発者はマクラーレンを参考に〈アクティブ〉ボタンの導入によってその問題の解決を図った。どこか最も適切な部分、例えば前腕部辺りにその〈アクティブ〉ボタンを設置し、そのボタンを押した後だけ頭部と片腕の動きが仮想的に飛行をコントロールするスティックとR2ボタンとなり飛行終了時点でもう一度〈アクティブ〉ボタンを押すとその仮想コントロール・モードを解除し自由に首のストレッチをしまくれるといった仕様だ。当然頭部と片腕の動きだけでコントロールするとなれば何らかの緊急的危機回避事態に対処不可能でありそうな懸念もあったのでそこは電子制御の介入で補うこととなった。死んでもいいんだったらその電子制御も完全解除出来るようにはしてはあったがシンガーは死にたくなかったので常時電子制御オン状態で運用するつもりだった。
氷結路面におけるトラクション・コントロールと同様に飛行デバイスにおける電子制御はボーイング製旅客機の相次ぐ墜落事故報道から鑑みても全く信用ならなかったが、ここはそれに命を預ける以外あるまい。シェイカーから貰ったマニュアルに頭部と片腕をどのように動かせばどのように飛行コントロール出来るのかといった説明は書いてあったが、こういうのを書く連中は基本理数系に強く文学的表現能力には重きを置いてない為、論理明快命題しか理解不可能なシンガーにとっては非常にとっつき難かった。失敗しても電子制御が何とかしてくれるはずなんで、とにかく飛んでみようと思ったシンガーは〈アクティブ〉ボタンを押した。それと同時にジェットエンジンが始動し飛行スタンバイ状態になり続いて左手を上方へ上げるとエンジン出力が上昇し体が浮き上がった。腕の動きが上方への動作が早く下方へ戻す動作がそれよりも遅いとそれは上昇命令と解釈されその速度が逆だと下降命令と解釈される。簡単に言えばタッチパネルの操作と大体同じ感覚と言ってもいいだろう。要するにスマホとあんま変わんないなと理解したシンガーは調子に乗って大幅にスピードを上げ大空に羽ばたいた。続いて前方水平方向移動を指示する動きをするとジェットエンジンは最大出力で目的方向へ全速推進した。
飛行デバイスの最高速度はF1とほぼ同じ時速380キロだった。全速力で即座に目的地上空に到達したシンガーはそこから垂直下降し地上へ降り立った。そこは飲み屋街の真ん中で酔っ払いと客引き、ホステスで溢れていた。彼らは一様にシンガーを不思議そうに眺めたので説明が必要だと感じた彼はその時思いついた適当なセリフを叫んだ。
「It's okay. I'm with CIA. It's US government business.」
何となくCIAとか言っとけばどうにかなるかなと思ったが、とりあえず周りを一時的に無理やり納得させたシンガーはそそくさと〈アルテミス〉のあるビルの中に潜り込んだ。とにかくここまで来ればどんな格好だろうと季節外れの仮装パーティー参加客だと思われるだけなので安心だろうと判断し目的地に進んだ。こんな格好でいつも行ってる飲み屋に入るのは正直嫌だったがここは大金が絡んでいる。彼はなけなしの勇気を振り絞り〈アルテミス〉に入店する。そこで彼が目の当たりにしたのは人々が異質な物に対し反射的に行なうあからさまに偽装された無関心による無慈悲な一斉射撃だった。彼のコスチュームは防弾仕様だったがそういった種類の攻撃に対しては何の防護策も施されていなかった。どうにかそのチラ見と嘲笑による絨毯爆撃の中を突撃し命からがらタケザキの待つカウンター席に辿り着いた。
「ようこそ、シンガー」
「あ、ああ」
「大丈夫か? 心配しなくていいぞ、お前の周りにいるのは安心と平穏の換わりに自由な魂を体制に売り渡した豚どもだ。奴らの攻撃などお前のように自由な精神を頑なに守る者にとっては如何なる殺傷効果もないのだからな」
「助かったよ。お前のJ・S・ミルっぽい助言のお陰だ」
「それだけじゃ不足の様だが……」
「そう見えるか?」
「ああ」
「とにかく何でもいいからストレート・ウィスキーを一杯くれ」
「お安い御用だ」
グラスに入った琥珀色の液体を見て思った。このマスクを付けたままだと飲めないな。恥ずかしいけど仕方ないか。薄弱な精神には極めて有毒な周囲からの好奇の視線だったが先ほどのリバタリアン的助言の効果もあって弾みが付いたのか、シンガーはマスクを脱ぎ去り酒を一気に呷った。すると結局歌も歌いたくなってしまったので景気付けに何か戦を前にした勇ましい曲をリモコンで送信し、ついでにジン・トニックも注文してしまった。
In the darkest night
Rising like a spire
In the burning heart
The unmistakable fire
In the burning heart
今宵、車体後方上部から斜め上方に突き出した二連マフラーから豪快な排気音を奏でつつシルバーの600LTで〈アルテミス〉に乗り付けた実力者はマクラーレンから降り立つとその鍵を手下に放り投げ真っ直ぐVIPルームへと向かう。そこではどこかのクラブでナンパした女を侍らせたツキオカとマヤが待っていた。美しい女性と寄り添いレミー・マルタンを片手に寛いでいるとホールから《ロッキー4》で聞いたことがあるメロディが奏でられ何者かが全力歌唱を披露している様子が漏れ聞こえた。あいつか。来てんだったら、ちょっと挨拶でもしとくか。ふとそう思ったクロカワはキクシマに奴をここに呼ぶように指示する。手下は言われた通りの指示を実行すると変な格好のシンガーが部屋に現れた。確かハロウィンはまだ先のはずだが。まあ、そんなことはどうでもいいか。いい服買ったなあ。頑丈そうでカッコいいじゃねえか、シンガー。実力者はふざけたセリフで場を和ますと客人にもブランデーを勧める。キクシマはシンガーの為にグラスに氷を入れ酒を注いでいる最中、その動作が突如停止しテーブルに向かって倒れ込む。キクシマが倒したボトルからこぼれたコニャックに本人の血が混ざる。撃たれた男の連れれは一目散に逃走する。シンガーの持った銃を見て実力者は反射的にそれに手を伸ばした――
エリートⅡの9ミリ・パラベラム弾はクロカワの伸ばした手を貫通し喉に風穴を開ける。双方の銃創から血が噴出する。直後の二発目が額に命中し会長としての栄華は瞬時に地獄に葬られた。シンガーはベレッタをテーブルに置くと隣のマヤを見た。マヤは比較的落ち着いた様子でこう切り出した。
「タケザキの差し金なんでしょ?」
「いい勘だな」
「ねえ」
「うん」
「キスしてもいい?」
彼はその質問に答えようとした。
ただ彼女はそれを待たなかった。
(終)
SINGER @shakes
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