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   第九章


 通常シンガーにとって最も欲しいクルマは最短で三十分毎に更新される為、翌日には前日欲しかったクルマが何々だったか全部は思い出せない程であった。BMW M4、レクサスRC、RC―F、マクラーレン570S、86、A90スープラ、TRDフルエアロA90スープラ。一見、何の脈絡も無いように見えるがこれらの変遷は合理的に完全に説明可能である。まず最高かっこいいし、速いし、タイヤ四本詰めるし、3ペダルマニュアルがあるってことで一旦M4が欲しくなったと仮定すると、次にM4の欠点であるところの若干車幅が余計に広過ぎなのが嫌になって車幅のちょっと狭いレクサスRCへ。もっと未来っぽい形が好きなのでRC―F。更にもっと未来っぽい方がいいって事でマクラーレン。でもハチノへでは買えないから一番買いやすい86へ。でも全然未来っぽくないからA90。もっと未来っぽけりゃそっちの方がいいからそれのTRDフルエアロへといった塩梅だ。仮にその日は最終的にTRDエアロA90が最も欲しいところで落ち着いたとすると、それと同じクルマを何かのカーゲームで試乗し買って乗り回した気分を味わい現実と架空を区別出来ないと言われている自律神経を満足させてその日のストレスを飲酒以外の方法で解消出来るというシステムが構築されている。だがその頃のシンガーはA90スープラを運転出来るカーゲームを持ち合わせていなかった為、それに最も近いクルマだとシンガーが考えるところのマクラーレン570Sで間に合わせる。ディテールの未来っぽさ、大まかなシルエット、全体的な曲線基調、部分的な2トーン配色が系統的に同列であるような印象を与えるからだ。多分自律神経も570SとA90は区別出来ないだろう、なぜならシンガーの母親もFD型RX―7とZZTセリカを全く同じクルマだと思っているくらいだからである。人気と性能と中古車購入価格とほぼ全項目においてFDはZZTに圧勝しているが、既にお分かりの通りシンガーは形状の未来っぽさを最も重視しているのでセリカの外観及び内装の未来っぽさは彼の自律神経の好調を保つのに大きく貢献し唯一の欠点であるパワー不足を補って余りあるものがあった。SF的未来像にとてつもなく憧れていたシンガーがロボット関係を大好きであることは言うまでもあるまい。故にその頃カーゲームに匹敵する頻度で遊んでいたのが《ガンダムバーサス》であった。ただ、ハードコア系リアリズム志向のSFアクション、例えばコリン・ファレルトータル・リコールないしは《エリジウム》系統が大好物だったシンガーにとっては《ガンダム》シリーズの作品群はどうしても趣味が合わなかったのでストーリーとかキャラクターにはかなり疎かったが、モビルスーツの形状には好きな系統が結構あった。なるべくリアリスティックな兵器的デザインがいいので、最も好きなMSはお察しの通りジェスタである。後スレイブレイスも結構いい。攻撃力は低いがマシンガンとレーザーを両方撃てるとこが好みだった。それとジムキャノンⅡの無骨な感じもちょっといい。これまでの経験則から言うと、ガンダムゲームに外れは無い。はやりガンダム自体の人気がすごいからたくさん作られて来た中でバンダイナムコにおいても相当の技術的な蓄積が豊富であろうという印象だ。それに引き換えFPS系は生まれつき反射神経が無さ過ぎの為、買って精々二回くらいやってお仕舞いである。SFっぽいFPSも結構多いがどうにもどれもこれも趣味が合わない中奇跡的に世界観がツボにはまったのが《キルゾーン シャドーフォール》だった。《ブレードランナー》っぽいダークな未来世界で未来っぽいコスチューム姿の敵と未来っぽい武器で戦うのを目の当たりにした瞬間、この世界に住んで生活し夥しい冒険の渦へ巻き込まれたいと思った。使用言語で英語を選択するとセリフと字幕だけでなく操作説明から全てが英語になるのもかなり美学的貢献度が高かった。ただ知らない単語が出まくって調べる手間は大変だったが、それはそれで英語の勉強になっていい。どことなくバットマンっぽい感じが随所に感じられるのも良かった。最初に出て来た悪役はベインにそっくりだったし主人公も銃を撃ちまくるバットマンみたいな感じだ。ちなみにバットマンゲームは攻撃が基本パンチ&キックなので銃マニアのシンガーにとっては欲求不満が募る為即飽きる。《キルゾーン》の主武装はプラズマライフルでそれはそれで未来っぽくて好きだし結構使うがそれよりも敵から奪って使用するドラムマガジン方式の架空のサブマシンガンの方がマズルファイヤーが派手で楽しかった。それに副武装のヘッケラー&コッホUSPっぽいハンドガンも《ミッション・インポッシブル》シリーズの主人公イーサン・ハント気分を味わえるのでトム・クルーズファンとしてかなり高い満足感を得られた。ただ難点はシンガーにとっては死ぬほど難しくステージ2で基本的な操作を習得するだけで朝まで七時間ブッ通しでやってしまい、クリアするのは永遠に不可能と諦めた程だったが、ユーチューブで上手いアメリカ人のゲームプレー動画を参考にようやく三日がかりでどうにかなった次第である。とにかくどこに行って何をすればいいのかがそもそも分からない。分からないからウロウロしてるうちに光学迷彩で姿を消したスゴ腕スナイパーに無数に殺される。まるで《オール・ユー・ニード・イズ・キル》のトム・クルーズ状態だった。何で光学迷彩出来るのが敵スナイパーだけで自分は出来ないんだというのも数少ない不満の一つだった。だがそういった不満も現実に対するそれと較べれば微々たるものだ。現実にはそもそも殺されるリスクがあるような冒険など無い。それにあったとしても殺されたらやり直せないのでそもそもそんな冒険があったとしてもやりたくない。それが現実だ。厄介で面倒で不便で退屈なのに油断すれば死ぬか、死ななくても詐欺とアポ電強盗でカネを盗まれ殺される。死にたくなければどこか秘密の場所に武器を隠し隙を見てそれで反撃するしかない。例えば元肉屋のシンガーの父親は一時期居間のソファの下にガムテープでグルグル巻きにした包丁を潜ませ敵の襲撃に備えていた。生き延びるにはそんなスパイ映画の主人公気取りな準備を済ませるか他人は全員敵で掛かってくる電話は全て詐欺だと思うしかあるまい。とにかくよく言うように油断は禁物だ。常に警戒し、いざという時は常に死は覚悟しなくてはならいのが現実であり、ゲームは無限にやり直せるが故にどんな悲惨で過酷な状況でも娯楽になり得るに過ぎない。生きる上では死を覚悟し、死にたくなければそれに備えなくてはならなかったであろうし、今もこの先もそうであろう。そんな風に考えていたシンガーは会長襲撃作戦直前、衝撃的な変更事項を聞かされた時もあの人気絶頂のS15ならそもそもそうなる定めだったに過ぎなかったと達観したのだった。

「もしもしシンガーか? マジックだ。あのシルビアなんだが……」

「シルビア? ひょっとして盗まれたのか?」

「ああ」

「そうか。人気車種だしな。で、どうすんだ?」

「うん。出来たら、時間も無いんでキミのセリカで何とかならないかなと思って」

「キミのセリカ。つまり、俺のセリカを代わりに使うってことだな」

「ああ、まあ、そうだ」

「……」

「ダメだったら、ダメでどうにかするけど――」

「……いや、ダメじゃない。あのセリカもただこのまま廃車になるよりは……もっと英雄的な最後を飾る活躍を待ち望んでいたことだろう」

「じゃあ、いいのか、セリカで?」

「ああ、何の問題も無い。パワー不足以外はな」

「シンガー、何もレースをしようって訳じゃないんだ。パワーに関しては心配に及ばん」

 それもそうだな。レースではなく襲撃だ。ツインターボじゃなくても問題は無い。まあ、ただセリカはこの先も通勤と買い物でしばらく使うから擦ったりぶつかって凹んだりしたら困る。その辺の事情は考慮して貰い、そういった物騒な分野の担当は33に押し付ける方向で調整を図った。

 作戦決行の日はファイヤーマートの夜勤明けだった。その日は朝来るおっかない先輩女性店員に何かを注意されることもなく無事売り場からの緊急脱出に成功するといつものスーパーでペプシを買いセリカでそれを飲みながらブルーノ・マーズを歌いまくってから帰宅し絶対太りたくなかったので非常に健康的な食事をした。サラダからベーコン入り野菜炒め、最後はホームラン軒みそ味に安いプリンに魚肉ソーセージでフィニッシュだ。安いプリンは寒天で適当に固めてるので食物繊維が豊富だしみそラーメンのみそも胃腸にいい。じゃがりことポテトチップとベビーチーズないしはチーズバーガー五個をつまみに巨大なペットボトル入りの安いウィスキーをラッパ飲みしていた無謀極まり無い二十代とは大きな変容振りでお陰で二十五キロ程痩せた。それに平日の酒をペプシに変換してから更に二キロ痩せてその頃のシンガーはかなりご機嫌だったことであろう。究極的な理想としては《ロッキーⅣ》のスタローンみたくなりたかったが、あれはあれで逆に不健康そうなのでそこまでではなくても《ザ・ガンマン》のショーン・ペンくらいにはなりたかったがカネがないのでジムに行ったりステロイドを打ったりは出来ないので当分は無理だろう。

 だがこの仕事を成功させればスタローンやペンの様にステロイドを打てるようなご身分になれるかもしれん。なったとしても注射とかで変な感染症に感染しそうなので真っ平御免だが。カネが出来たらとにかくクルマに注ぎ込もう。なるべく未来っぽいクルマを買い乗り回すことによって自律神経を満足させ心地良い人生を謳歌したい。ただそれだけが望みだった。筋肉などいくら大きくしたところで所詮はいずれ老化し何らかの恐るべき病気になり衰え死んでしまうに過ぎん。ハリウッドスターとして自らの肉体を売る商売でもない限り大した意味は無い。ジムに行く時間があったら歌の練習と《キルゾーン》に回してしまうことであろう。ステージ2は恐ろしく手こずったがステージ3以降はそれ程の苦労も無くサクサク進んだ。コツを掴んだのだろう。基本的には出てくる敵を片っ端から殺すのが目的なのだがその合い間に何らかのパズルゲーム的要素を挟んでくる。クリエイター側のここはこういうパズルで困らせてやろうという意図を類推しさえすれば、中学生の頃やりまくった《ドラクエ》シリーズ、あるいは大学の時にやりまくった《スーパーマリオ64》を参考にいくらでも対処出来たのである。エミネムはかつてこう言った。Life is not a Nintendo game.確かに人生は任天堂ゲームではないかもしれないが、ソニーの《キルゾーン》には結構現実問題に応用出来る要素があった。その最たる物がリロードしている最中は無防備なので敵に攻撃されまくり直ぐ死んでしまうという問題である。シンガーはそれをリロード・リスクと名付け解決策を検討した。

 《ザ・ガンマン》でショーン・ペンがヘッケラー&コッホ社製短機関銃MP7を撃ちまくるのを見ながら食事を終えるとシンガーは午後の仕事にそなえ一眠りした。ショーンは自分の女を守る為MP7とグロック17で無数の敵を殺しまくって大活躍していたがシンガーはそれほど反射神経が無いのであそこまでは無理そうだなと思った。それに今回はシンガー一人ではなくマジックも一緒だからきっとマジック一人で結構全部やりくりしてシンガーはカネだけ貰ってクルマを買い〈バウンシー〉に飲みに行こうと密かに算段するという体たらくだった。それでも成人した社会人として遅刻とかの最低限のマナー違反は許されまいと考えたシンガーはきちんと時間通りに起床するとセリカでアジトの廃工場へと出発した。私道に入って倉庫に到着するとシンガーはクルマをその中に入れた。倉庫内ではすでにマジックが武器とZ33を準備して待っていた。今回の使用火器はショーン・ペンが撃ちまくってたのと同じグロック17とMP7だ。グロックは軽量コンパクトで扱い易い上最大十八発も装弾出来、使い勝手的には世界最高のハンドガンだ。ただ形は地味なのでシンガーの好みではなかったが。MP7は特殊な弾薬を使用しているので敵が防弾ベストを着用していても無力化可能という今回のような暗殺任務においては最適な短機関銃だ。ただフルオート連射で使用すればリロード・リスクが発生する。こういうのは普通セミオート・モードで使用し弾薬を節約するのがプロっぽいと考えたシンガーはセレクターを動かしセミオート・モードに設定する。密かにマジックを観察していたシンガーは彼がフルオート・モードのままにしているの見たが、そういうのはそれぞれの自由で下手に口出しするといさかいの元になると考え口を閉ざす。フルオート連射なんか見た目が派手で面白いってだけで意外と役には立たないという教訓を《キルゾーン》での経験から得ていたシンガーはその頃既にステージ5まで辿り着いていたのでなるべく少ない弾薬、出来れば一発で相手を仕留めたい意識が強くなっていた。今回も敵の数がそんなに多くないからセミオートが最適であろうとの判断を下した。この作戦決行日を前にしてシンガーは《キルゾーン》のそれぞれのステージの最終局面となる銃撃戦を何度もプレーし、頭の中ではどのような動きで危機に対処するか様々なシミュレーションを繰り返して来てはいた。だが所詮はゲーム――敵も単なるやられ役に過ぎん。それに引き換え以前シェイカーから聞かされたあの元特殊部隊のオカダというボディガードは高度な訓練を受けた戦闘と殺人のスペシャリストだ。奴が一体どれほどのスキルでこちらの攻撃に対抗して来るのかは甚だ予想困難であった。ただ唯一はっきりしていたのは、もし仕留め損えば待っているのは確実な死以外は無いという事だけだ。


 オカダは在日米軍海兵隊所属の父と日本人の母のもとに生まれた。彼が幼少期のうちに両親は離婚し父親は米国へ帰国した。中学校へ入学した辺りでマイケル・J・フォックスの影響を受けギターとスケボーを始め、ついでにブレイクダンスも踊り始めた。当然高校へはスケボーで登校し文化祭ではボン・ジョビ辺りを披露していたが真っ当な母親のもとでしっかりと躾けられた真面目さからおかしな仲間に誘われドラッグや万引きの様に無益な悪ふざけに走ることもなくしっかりと勉学に励み優秀な成績で奨学金を獲得しアメリカの高校に留学した。そこでも勉学とスケボーとギターとブレイクダンスに励んでから海兵隊に入隊し第一次イラク戦争に従軍し勲章を獲得した後、ネイビーシールズに入隊するという軍事的エリートコースを突き進んだ。今世紀初頭の米国における同時多発テロ発生以降、ジョージ・W・ブッシュ大統領の指揮のもとテロとの戦いの一環としてアルカイダ掃討作戦に関わり数々の幹部メンバー暗殺任務に加担した後、民間軍事企業にヘッドハンティングされアフリカや中東における民間企業関係者の護衛業務に従事するようになった。そこで長年勤務する内に日本企業とのコネも徐々に積み重なって行った結果、生まれ故国に帰国しセキュリティ関連企業において要人警護等の業務を担当するようになる。その後しばらくすると元特殊部隊という肩書きが物を言い、腕利きという評判を聞きつけたコバヤシ会長がボディガードとして高給で雇い入れた次第だ。

 戦地や劣悪な治安地域で油断のならない殺伐とした日々を生き延びたオカダにとってただでさえ治安のいいこの国においても高校生がエアガンでコンビニ強盗しただけで地方新聞の一面を飾り想像を絶する凶悪犯罪として扱われるこの地方都市でただボスの後を付いて歩き回るだけの仕事は全く面白くもクソも無い物でしかなかった。そんなスリルジャンキーにとって唯一の暇つぶしになったのが会長が通う喫茶店で起きた襲撃の一件だけだった。対立組織だか内部抗争か未だに謎だがとにかく誰かに雇われたと思われるピアスとタトゥーまみれの頭の悪そうなチンピラ四人をコルトM1911で残弾を三発残して瞬時に全数を無力化した。四発とも完全な一撃必殺のヘッドショットである。その後しばらくは会長からクリント・イーストウッドというあだ名で呼ばれた。「紹介しよう。俺のボディガードのクリント・イーストウッドだ。ただし持ってるのはコルトで、スミス&ウェッソンではないがな」が会長の口癖になった。そんなセリフも出なくなるほど平穏な日々が続き実戦のスリルの渇望をFPS程度では到底満たせるはずもないミスター・イーストウッドは夜の散歩の途中、中から聞こえた誰かが歌うボン・ジョビの《Wanted Dead or Alive》に誘われ自動ドア抜けそのバーへと足を踏み入れた。コーナーに敵が潜んでいないか確認した後店内を観察すると仕事終りの会社員と思しき騒々しい集団に背を向けカウンターでバイカーズ・ジャケットに白いリーボックの男が黒いジャケットの男の隣で気持ち良さそうに歌いまくりながらジン・トニックを飲みまくってるのを確認した。ボン・ジョビか懐かしいなと思いながらカウボーイはストレート・ジャック・ダニエルスを女性バーテンに注文した。頼んだウィスキーが来て一口飲んだところで隣の二人組みは会計を済まし帰ってしまった。素振りから次の予定が詰まっているといった様子だった。それから彼はバーテンから名刺を受け取った。彼はユミコに尋ねた。

「あのボン・ジョビを歌っていた人はよく来るんですか?」

「ああ、今日始めて来たお客さんですよ。さっきまではニーヨとかアリアナ・グランデも歌ってましたね」

「へえ……実は私も昔バンドやってましてね。ボン・ジョビなんかはよくコピーしてたんですよ」

「じゃあ、歌えるんですか?」

「はい」

「じゃあ、歌ってよ」

「もちろん」

 オカダがボン・ジョビを歌うとユミコもお返しにケイティ・ペリーの《ティーンエイジ・ドリーム》を歌った。オカダが学生時代に熱中したスケボーやブレイクダンスの話で盛り上がると、テーブル席のサラリーマンの歌うDA PUMPの《if...》の本人映像に合わせてミスター・イーストウッドは完璧な振りを披露した。

 初めて来た客が楽しそうに踊るのを見ていたユミコは彼がターンを決めた際、めくれ上ったスーツの裾の下から腰の後ろのホルスターに拳銃が収められていたのを見た。あの大口径自動拳銃はこの国の法執行機関関係者が所持するような物ではないわね。彼女はそう思うと同時にオカダへの興味が強まった。するとひょっとしたら殺し屋とかかしら。

「オカダさん、お仕事は何をされてるんですか?」

「ボディガードです」

 なるほどね。ボディガードだったらピストルくらいは持ち歩くものなのかしら。きっとそんなものよ。いつしかテーブルのサラリーマンの集団も帰り、店にはオカダと二人きりになり、ユミコも彼と一緒に生ビールを飲み始めた。ユミコは尋ねた。

「これから予定とかあるんですか?」

「ありません」

「だったら一緒にどっか行かない?」

 ミスター・イーストウッドはその誘いを承諾した。


 シンガーが当初提案した案では襲撃者がビリー・シェイカーの自宅付近に張り込みターゲットを乗せたポルシェ・パナメーラ・ターボの動向を監視するといった前時代的な方式を想定していたが、マジックが持ち込んだ次世代テクノロジーによって多少のアップデートが施された。ターゲットがクライアントのボスであるという関係性からターゲットが持ち歩く携帯電話の番号は明白であった。それさえ分かればグローバル通信システムにアクセスしハッキングすればその携帯電話の位置情報を逐一把握する事が出来る。であればターゲットがシェイカーの自宅から出てくる所を狙わなくともいつでもどこでも都合のいい時に襲撃しようと思えば出来たのではあるが、既に判明している習慣的行動を軸に計画を立てた方が事前準備が遙かに容易である点から、シェイカーの自宅を出るタイミングに関してはシンガーのオリジナル案を踏襲する運びとなった。シンガーとマジックは異なる別地点で待ち伏せし、それぞれの端末でターゲットの位置を監視し、付近を通過する際にそれぞれのポイントから時間差で追跡を開始する手筈になっていた。それは一見スマートで完璧な作戦ではあったが、土壇場になって思わぬ障害が発生する。予定通りZ33のマジックが先にパナメーラの追跡を開始し、その先の地点で路上駐車していたシンガーがセリカで追跡を開始した時、そのクルマは思わぬメカニカル・トラブルに見舞われてしまったのだ。

 それは三日前のことだった。朝から《キルゾーン》と《NFSペイバック》やりまくったシンガーは午前十時頃近所のスーパーへ買い物に出掛けようと月極駐車場へ向かった。異変には瞬時に気づいた。通常運転席の鍵穴にキーを差し込んで開錠すると助手席側も自動的に開錠される仕組みになっているのだが、その時は助手席側がロックされたままだったのだ。バッテリーか。そう思うと同時にヘッドライトのスイッチを見るとオンのままになっていた。すぐさまオフに回し、ダメだろうと思いながらキーをエンジンスターターに差し回してみると反応が無かった。本来であればヘッドライトを点けっ放しでエンジンを切りキーを抜くと警告音が鳴る仕組みなのでそれで気づくはずなのだが、恐らくその時点で重度の音楽中毒の彼はMP3プレイヤーのヘッドフォンを着用しバックストリートボーイズを聞いていた為その警告音に気づかずそのまま帰宅してしまったのだろう。神経質な心配性なので死ぬまでそんなミスはしないであろうと愚かにも自身を信じきっていたシンガーはその死ぬまでしないはずだったミスを犯してしまった。それによって人生初のJAF出動要請を実行する破目となる。当然神経質で心配性だったシンガーだったので毎年会員更新費の四千円は律儀にかれこれ十年近くに渡って払い続けていた。ちょっと計算すれば明白だが十年に一回呼ぶ程度の頻度だと年四千円の会費の元は取れない。大概の食べ放題、飲み放題で元が取れないのと同じ仕組みだ。計算してみると意外と損なことがこの世には溢れ返っておりそれによって消費拡大が促されマクロ経済が活性化及び成長する仕組みに庶民は何の説明も無く組み込まれていたことであろう。そんな感慨に耽りつつJAFに電話するとシンガーと同様にマクロ経済の成長を促すエサとなった会員の出動要請が日頃相次いでいる所為であろうことから全く繋がらなかった。仕方なくダメだった時用の番号でも結局ダメだったので辛抱強くそのダメだった時用番号に掛け続けると先方が電話に出た。

「ハイ、こちらJAFの緊急救出特殊部隊の者ですが、どのようなトラブルでお困りでしょうか?」

 実際の文言がどうだったかはパニクッてたんですっかり忘れたが、大筋としては同様のことを言われるとシンガーは大筋としてこう応えた。

「シビア・インシデントが発生した。至急救援を求むこちらの座標は北緯――」

 大筋としてそんな感じのやりとりをすると先方は緊急救出特殊部隊の隊員一名がそこへ十五分後に到着予定であることを告げ通信を遮断したのだった。その十五分間何もせずただじっとセリカの運転席で待っているとどんな大雪でも確実に目的地に到着出来そうなSUVでJAFの熟練隊員が颯爽と到着した。彼は優雅にSUVから地上へ降り立つとシンガーへ状況説明を要求し彼は彼にそれを行った。ヘッドライトを点けっ放しにした所為でバッテリーが上ってしまいました。どうにかして下さい。彼はどうにかしてくれた。セリカのバッテリーの充電作業を終えると彼はこうシンガーに言った。

「ではこれから三時間エンジンを掛け続けてください」

 シンガーはそうした。

 ただそうしただけではセリカは前日までのセリカと同じ状態には戻らなかった。弱体化したバッテリーによる電力不足によってセリカは慢性的なパワー不足に陥ることとなってしまったのだ。そんなシビア・インシデントから三日後、端末で監視しながら待機していたシンガーはパナメーラが接近するのを確認しセリカのエンジンを始動させた。始動は全く問題なかったのだが、いざ二台を追跡しようとしたら完全な電力不足によって全く加速しなかったのだ。セリカは一瞬で先行する二台に引き離されてしまった。三日間程度の充電では完全回復には程遠かったということか。しばらく四苦八苦していると徐々に電力が充電されちょっとはマシになったがそれでもあのハイパワー・マシンには到底追いつけそうにもなかった。

 全く、シンガーの野郎は一体何やってんだ? 全然付いて来ねぇじゃねえか。待ってる時間も無いことだし、ここは単独決行する他はあるまい。前のパナメーラが赤信号の交差点で停止すると追い越し車線の先行車に対し走行車線から回り込みZ33の左フロントをパナメーラの右フロントにぶつけて中央分離帯に押し込んでからMP7でドライバーを射殺した。銃を後部座席左側のコバヤシ会長に向けようとした時だった。会長の隣の男は既に引き抜いたコルト45口径でマジックが銃を持った右上腕と右肩にそれぞれ一発ずづ命中させた。直後の頭部を狙った一発だけはかろうじて身を伏せて回避したマジックだったが、もはや戦意喪失状態で頭の中はとにかく生き延びる為に逃走することだけだった。マジックの足はアクセルをフルスロットルするとZ33はホイールスピンで白煙を上げつつ急発進した。

 後部ドアを開けパナメーラから降り立ったオカダは蛇行しながら逃走するダークグレーのクーペに狙いを定めた。もはや有効射程圏外で無駄な弾は撃ちたくなかったので銃口を下げると撃鉄を静かに下ろしM1911を腰のホスルターに戻した。この俺に三発も撃たせて死なずに済んだとは、死ぬほど運のいい野郎だぜ。微かな嘲笑で頬を緩ませた後、それを真顔に戻してからパナメーラに振り向くとコバヤシ会長の無事を確認しに後部座席に引き返した。

「会長! 大丈夫ですか?」

「馬鹿野郎! このクルマ防弾じゃねえのかよ!」

 残念ながら防弾のクルマを買えるのは合衆国大統領かローマ法王クラスに限られるだろう。オカダはそう思いつつただ黙っていた。会長は死んだ中年のドライバーを見ながら続けた。

「こいつにだって女房、子供もいるんだぞ」

 確かにな。そんなのが無い俺はいつ死んでも誰も困らん。その時だった。一瞬、後ろに殺気を感じたのは――しまった、会長の下らない戯言に付き合っちまったお陰で俺までくたばるとは――オカダの耳にサブマシンガンのフルオート連射音が響き渡り、無数の銃弾が彼を貫通するのを感じた。

 シンガーのMP7の残弾はたった三発だったがそれで会長を始末するのには十分だった。残った仕事を済ませると彼はそこから数十メートル手前に停車したエンジン掛けっ放しのセリカに引き帰した。助手席に全弾をフルオートで撃ち尽くしたMP7を放り投げるとEブレーキを下ろしアクセルを踏んだ。バッテリーの弱ったセリカだったがオーディオを切っていたお陰でそこそこの加速でその場からズラかる電力は十分に充電されていた。

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