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   第二章


 今夜はあの女は一緒じゃないのね。ふうん、誰かしらあの人。クロカワらが来店した時、〈ジュリアス〉のウェイトレス、ユリカの頭には根拠の無い憶測が飛び交っていたとしても不思議ではなかったであろう。どうせ、何かの密売人かなんかね。銃器、ドラッグ。あるいは運び屋。もう、どうせなら殺し屋とかだったら面白いのに。コバヤシ組の若頭っていう肩書きだけで威張ってる偉そうなクロカワ、あいつの頭をここでブチ抜いて貰いたいもんだわ。それもトイレのタンクの裏にテープで留めたリボルバーで。なんかそんな映画いつか見たかも。けど、全然思い出せない。きっと、あまり面白くなかったのね。

「お飲み物はいかがいたしましょう」

「ドライ・マティーニで」

「かしこまりました」

 マティーニ? ま、なんか知んないけどバーテンに言えば作ってくれることでしょうよ。そんなことより、早く帰りたいわ。早く帰って、缶ビール飲んでテレビ観たい。だからこいつらもさっさと帰って欲しいわ。全くこんな遅く来ていつまで居る気? それにしてもあの殺し屋、やたら楽しそうね。あんな愉快に飲んで食べて。あれじゃ殺しそうにないわ。ま、実際に殺したら、警察とか来ちゃって帰るの遅くなるから、それならそれでも構わないけど。テレビ観たいし。ああ、食事が終わったと思ったら、タケザキが何か出したわ。タブレット。殺し屋がそれ見てる。缶ビール飲みたいのに、何かのビジネスミーティングが始まってしまったわ。ああ、終われ。終わって、そして立ち去れ。


「カジノの閉店は午前五時。映像はその三十分後だ。その時間に二台のダッジ・チャージャーで四人の護衛が迎えに来る」

 タケザキの説明にマジックは応じた。

「であれば襲撃は護衛到着前に行なった方が敵の数は減る」

「無論だ。閉店後には玄関ホールの外側と内側の護衛が中に引っ込み扉が旋錠されてしまうから、襲撃開始は閉店前に開始し、それと同時に二人の護衛を無力化し内部に突入したい。だからある程度余裕を見て、作戦開始時刻は四時半の予定だ」

「突入の具体的方法は?」

「開店時においても客は一組ずつ身体検査され、一回ごとに扉が開錠されるシステムになっている。当然武器を持って突入する訳だしまともに正面突破しようとしても無駄に時間がかかる。であればここは重火器に頼るという選択肢も有効だと考えた」

 タケザキはタブレット画面を操作し重火器のファイルを開き、マジックに武器の写真を見せた。

「バズーカか?」

「SNAWロケットランチャー、肩撃ち式の多目的ロケット擲弾発射器だ。これで対戦車弾を撃ち込めば一瞬で問題は解決する」

「音が大き過ぎる。近隣住民にガス爆発かなんかと勘違いされて通報されるな」

「それにこのロケット弾はコストが掛かり過ぎる」

「プランBは」

 タケザキは別の写真を開いた。

「バーレットM82A1 セミ・オートマティック・ライフル。一般的に対物破壊ライフルに区分されるハイパワー・ウェポンだ。マガジンに口径12・7ミリの大口径ライフル弾を十発装填しセミオート連射出来る。これでも短時間で護衛の排除と扉の破壊が可能だ」

「なかなかいいぞ」

「だろ。だが、ここからが厄介だ」

 タケザキはタブレットで別の写真を開いた。

「マジック、これが何だか分かるか」

「ああ――これが金庫室にあるのか」

「最新式のAI金庫のハイエンド・モデル」

「五重旋錠方式。初期設定で業者によるハッキング開錠も不可能に設定できるから。金庫破りの方法として物理的破壊以外は絶対不可能なモデルだ」

 ここでクロカワが口を挟む。

「お前らしくないな、マジック」

「短時間での金庫破りは無理だ。開錠登録者以外は絶対開けられない。あのダッジ・バイパーに乗ってた首領格が登録されているだろうな」

「ロシアン・マフィアのアンダーボス。ニコライ・ルシコフ。妻と娘が一人。住所、娘の通学先、写真。全て入手済みだ。これで脅せばどうだ」

「そうシンプルじゃない」

 クロカワは尋ねた。

「何がどうシンプルじゃないんだ?」


 え、会計。ハイハイ、ありがとうございました。十万でございます。ハイハイちょうどで。ありがとうございまーす。やったー。テレビテレビ。え、何か用? 無理無理帰るから。お断りします。ってオーナーの言うことに反抗出来ません。ったく、仕方無いわね。ハイハイ行きますよ。行けばいいんでしょ。あんたの女、マヤがいる〈アルテミス〉にね。

 マジックはクロカワに何がどうシンプルではないかを説明したが、クロカワにとってそれはあまり重要ではなかった。彼にとって重要だったのはその問題が解決可能かどうかであった。マジックはこう答えた――マジックという名は伊達じゃない――と。クロカワはその答えに満足し、そのビジネスミーティングが一旦終了した後、マジックは少し気になっていた事についてクロカワに質問したらしい。まあ、仕事は適当だし、よく好き勝手に休むが容姿はかなり端麗であったユリカをマジックが気になるのも無理はないことだと想像したクロカワが凄腕の金庫破りに気を使ったという訳であったのだろう。マジックももうすっかりジントニックの杯を無数に重ねてしまった次第で、拝借したアリストの運転も困難であろうという理由もあってクロカワはこう切り出した。

「どうだ、マジック。ユリカのクルマに乗せて行って貰えよ。なあ、ユリカ。今日は助手席空いてんだろ」

「え、ああ、はい、まあ」ユリカはマジックに訊いた「良かったら、乗りますか」

「え、いいんですか」

「はい」

「あ、じゃあ、お願いします」

 ユリカがプッシュボタンを押すと86後期型の直4水平対向エンジンは軽やかな調べを奏で出した。シフトレバーが一速に送りこまれ、クラッチペダルを踏んでいた彼女の優美な左足はゆっくりと後退を始めると同時に絶妙な加減に調節されたアクセルペダルによってシリンダーにガソリンは流し込まれた。調和の整った動作によって適切に操作されたマシンはそれ自身を優雅に動かし始め、呻りを上げるエンジン音を伴い瞬く間に巡航速度へと加速し目的地へと向かう。まるで舞うようにトランスミッションを操るユリカの左手の軽妙な動きを眺めながらマジックは掛かっていた曲に耳を傾けていた。Hey, Pretty baby with the high heels on という歌詞で始まるその曲を彼は知らなかったが、明らさまにマイケル・ジャクソンの曲であろうことは見当が付いた。ならきっと次もマイケル・ジャクソンであろうと予測したが、プリンスの《SEXY MF》だった。それは知っていた。その頃のプリンスは結構好きだった。なぜならマジックは一時一世を風靡したスーパースターの人気が一旦低迷し出した辺りのタイミングで逆に応援したくなる気性の持ち主だったからである。若い割りに選曲が結構往年の名曲に偏るなという感想を抱きつつ彼はステアリングとシフトを操るマイケル・ジャクソンファンとの会話を弾ませた。マジックって、自分で付けたの? え、まあ。別名ってことよね。スヌープ・ドッグみたいなことよね。そんな感じだね。でも、それ映画の登場人物だったら絶対悪役だよね。え、そうかな。悪役ね。でも、バスケットボールの選手でいたよね、マジック・ジョンソンって。ああ、まあ。あいつは悪役じゃないだろ。まあ、そう言えばそうだけど。ちなみに、そのマジック・ジョンソンってマイケル・ジャクソンの《リメンバー・ザ・タイム》のビデオクリップに出てたって知ってる? そうなの。へえ。で、どうなの。何が。マジック・ジョンソンは悪役だったの、それで。いや、悪役はエディ・マーフィーで、マジック・ジョンソンはその家来みたいな感じだったわ。ふうん、そうかい。

 〈アルテミス〉でまずマジックの眼を惹いたのは奥の角に二対十字交差状に設置されたレースゲーム用と思われる四連コックピット群であった。ゲーセンってことか? ここはラウンジだろ。会話、音楽、カクテル、そして時にはダンスを楽しむ為の場所のはずだ。そのようなマジックの疑問にタケザキは答えた。面白いだろ、あれはこの店特製のF1カジノ・マシンだ。F1カジノ、カジノってことはカネを賭けてレースするってことか? サーキットは。全部か。全部だ。全二十戦、二十台、十チーム、そして各レースの勝者一名が参加者のプールした掛け金を総取りする。マシンが四台ということは参加出来るのは最大四人だな。そうだ。サーキットは実際の開催順通りオーストラリアGPから最終戦アブダビGPまでが繰り返される。まず予選十分間のベストラップでポールから最大四番グリッドまでが参加者で配置されレースは実ラップ数の十パーセント、5~6周、途中最低一回はピットインしタイヤ交換しなければならない。説明を聞いたマジックは一口、カクテルをすすった。

「なるほど――じゃ、やろうか。カネはどうするんだ。百円玉をスロットに入れる感じか」

「百円単位では面白くないだろ。使うのは専用の電子マネーカードだ」

 マヤにマルボロの火を点けて貰うと、クロカワは満足気に煙を味わった。

「マジック、今日は店の奢りで少し出してやるよ」

 クロカワはタケザキに金額を言い、カードを用意するよう指示した。タケザキは席を立ち、カードを持って戻って来た。

「さあ、これ、増やしてみろよ。ただし一人強敵がいるぞ」

「誰だ」

「ここで雇ってる元レーサーだよ。客同士で遊んでるだけじゃ店の利益にならんだろ。だから、そいつに元金を渡し、そいつの取り分以上の勝ちは店の利益になるってシステムにしてある」

「そのハスラー、一体どれほどのものかな」

「試してみな。来いよ、紹介しよう」

 ツチオカはカウンター席についていた。

「ツチオカさん。こちら、マジックだ」

 マジックは手を差し出しだ。

「よろしく」

「こちらこそ」

 二人は握手し、マジックは相手の飲み物を見た。

「それ何飲んでるんだ?」彼は隣に座りながら相手に訊いた。「ウォッカの水割りかなんかか?」

「クラブソーダだ」

「さながら《ゴッドファーザー パートⅡ》のマイケル・コルレオーネってとこか」

「……あ、ああ」

「オープンテラス席でフレドと話すシーンだよ。フレドはバナナ・ダイキリを飲んでたろ」

「……そうだったな」

「腕の方は相当なものだって話を聞いたが」

「まあ、負けたことが無いからな」

「へえ、勝ち数は?」

「いや、まあ、細かい数字は、ちょっと――」

「ツチオカさん。質問しているんだ。何勝したんだ?」

「……八百七十四勝、無敗だ」

「ハッ、八百! 七十?」

「いや、八百七十四だ」

「すごいじゃないか。どうだ、マシンで予選が始まったようだ。俺と一勝負と行こうか」

「あのマシンは特製だから、データは全て今季の最新版設定だ。各マシン性能も直近のグランプリ結果を反映し実車を忠実に再現してあるから、有利なのはメルセデスとフェラーリだ」

「そっか、じゃ行こう」

「待て」

ツチオカはクラブソーダを一口すすった。

最低二名のプレイヤーが揃った段階で予選のQ3が開始される。制限時間は十分でその時間内であれば更に二名まで参加可能だが、後から参加しても制限時間の終了は先行者と同時になる。既にピットから出てアタックラップに入っていた二名は共にメルセデスのバルテリ・ボッタスとルイス・ハミルトンを選択していた。そもそもメルセデスは何となく性に合っていなかったマジックはフェラーリのセバスチャン・ベッテルを選択し、ツチオカは元々お気に入りだった同チームのナンバー2ドライバー、キミ・ライコネンを選択すると、両者も颯爽とピットロードを通り抜けアウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェへと躍り出ていった。Q3の模様は四連F1カジノ・マシン上部に設置された55V型有機ELテレビによってフロア全体から観賞することが出来る。そしてそれはさっきまでマジックがダイキリを一緒に飲んでいたテーブルのタケザキ、クロカワ、ホステスのマヤ、ユリカら一同のいい余興となったことであろう。ラムベースのショートカクテルの所為ででもあったであろうかQ3でのベッテルは精彩を欠いていた。ポールはライコネン、二、三番はメルセデス軍団のボッタスとハミルトン、そしてベッテルは四番手スタートという結果に終わった。本選前に賭け金のベットが実施される。まずライコネンがベットし、続いてボッタス以下がコールもしくはレイズ、あるいは棄権等をタッチパネルで操作し、その模様ももちろん大型テレビに映し出される。ベット終了後にピットタイミング、使用タイヤ等各種設定を行なうとフォーミュラー・ワン ブラジル・グランプリ、その熱戦の火蓋は遂に切って落とされた。

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