SINGER

@shakes

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第一章


 これが片付いたら、このアリストはお払い箱だ。そう目論んでいた助手席のマジックの視線の先には、このヤマの標的となるカジノ〈クリスタル・ドリーム〉の派手な電飾が輝いていた。その安っぽい光の下にはこの街の人気店への出入り口と頑丈そうな扉があり、その前には肩にヘッケラー&コッホ社製のサブマシンガンの革のストラップをかけた屈強そうなロシア人が眼を光らせていた。そのロシア人は同じくロシアからやって来た犯罪組織に属しており、カジノもその組織を率いるボスが所有していた。陰気で不機嫌で高圧的な門番とは逆に、彼の許可を得て入店した店内は明るく華やかで、カネさえあれば美しい女達の運ぶ上等なカクテルを飲みながら、ルーレットやブラックジャックをそのカネが続く限り存分に楽しめたであろう。流行のアーティストによる楽曲のリズミカルなテンポに合わせ巧妙にかき集められた客のカネはマシンガンを持った見張りやカードを配るディーラー達の給料、ないしは電気代、食材代、酒代を賄った上でロシアン・マフィアのボスの懐に転がり込む。奴は手下の店長が持参した札束の前で、キューバン・シガーをくゆらしコニャックかなんかを優雅にすすったりでもしていることだろう。日々の売り上げはその日数とともに膨らみ続けることだろうが、そのごく一部、たったの一日分だけをこちらで拝借させて頂くこととしよう。まあ、それとそれ以外にそっちで用意してある金庫室のカネも一緒に頂戴させて貰うがな。肝心な金庫室の位置はもちろん、見張り、ガード、店員、ディーラーの人数、間取り、武装詳細等は、マジックをヤマに誘ったアリストに乗る四人の中の一人であるタケザキの兄貴分であるクロカワが事前入手した内部情報から完全に記憶されていた。誰を脅し、誰を殺すべきかも予め想定してあった。タケザキとは二年前に刑務所で知り合った。その後、先に出所していたタケザキからこの街に呼ばれクロカワに紹介された。全てはクロカワがお膳立てをし、計画は完璧だった。ただ、金庫室の金庫だけは別だった。上手く脅し開けさせられればいいが、あるいは上手くいかないかもしれない。だからマジックが呼ばれたのだろう。彼は天才的な金庫破りとして名を馳せていたのだ。彼の手に掛かれば大抵の金庫なら容易く破れる。まるでマジックのように。

 

「BMW M4。いいクルマですね」

「……まあ、な」

「俺もこんなのが買えたらなあ」

「そいつはあんたの腕次第ってもんだ、マジック」


 出所の日。確かタケザキが組のベンツでお迎えに来てくれるって話もしてたが、別の用事があったらしいな。仕方が無い。とにかく当座のアシが必要だ。マジックは刑務所の塀から出たその足で、ホームセンターでドライバーを万引きし、夜になると手近な中古車屋の事務所のガラスをドライバーで割り、中に入った。派手に侵入してしまったので、警備会社へ通報する警報が鳴り響いた。くそ、急がねえと。鍵は? クルマの鍵は机の引き出しに入っていた。よし。彼は外へ出ると、アリストV300の電子ロックを解除し、運転席に乗り込んだ。キーを差しエンジンを掛けた。2JZエンジンは機嫌よくアイドリングを始めた。上等だ。Eブレーキを下ろし、シフトをDに入れるとクルマは颯爽とその場を後にした。盗んだハイパワー・セダンで久々のドライブ。六年振りか。彼はウィンドーを下ろし、春先の心地良い夜風を浴びた。音楽が必要だ。バッグからリンキン・パークのCDを取り出すとプレイヤーのスロットへ流し込んだ。マジックは久々にロックを聴き、いつしか一緒に歌い出していた。歌ってる場合じゃねえ。パクッたクルマでいつまでも走ってたら直ぐパクられちまう。ナンバープレートを別のクルマと交換しなければならない。彼は道路脇を眺め都合のいい駐車場を探した。しばらく、走ると月極めの駐車場を発見し、そこへ乗り入れた。マジックは薄汚れたクルマの隣に止めた。このクルマの持ち主だったら、ナンバーが別物にすり替わっていることを即座に感づくような抜群の注意警戒能力は持ち合わせてはいまいと同時に早々と警察の注意関心を引くこともあるまい。彼はそう予測し、仕事に取り掛かった。器用な手先でそれを五分で終えたマジックはアリストでタケザキと待ち合わせているコンビニへと向かった。

 ファイアーマート。ここか。マジックは駐車場に乗り入れた。大型トラックが二台、それとリアスポイラー付きの黒いセリカが止まっていた。こっちが先に着いたらしい。彼はアリストを降り、店へ向かった。他に客はいない。しばらく適当に雑誌を立ち読みしてから缶コーヒーを取ってレジに向かった。店員に煙草の銘柄を伝え、会計を済ますと、ラッキーストライクのフィルムを剥がした。「兄ちゃん、悪いけど、ライターないか?」「あ、はい」店員は余った景品のライターをくれた。いい奴だ。マジックは礼を言って店を出、煙草に火を点けた。煙を深く吸い込み存分に味わってから、甘い缶コーヒーを流し込む。堪えられねえ。クルマに煙草、コーヒーか。昨日まで檻の中に閉じ込められていた囚人が一転、電車で会社行ってふざけた上司相手に長時間残業させられてるような奴らよりは遙かに自由を堪能してるって訳か。全く、人生はジョークだな。酒でも何でも好きにやればいい。楽しんだ奴の勝ちだ。ラッキーストライクを吸いながらマジックはそんな感じのことを考えていた。他に客もいないってことは、あのセリカ、さっきの兄ちゃんのか。ふうん、セリカね。FF。1・8リッター。百九十馬力。少なくとも三百馬力はないと面白くないだろ。すると轟くエンジン音が次第に接近して来た。ダークグレーのクーペは店先で煙草を吸うマジックの前に止まった。直6、3リッターターボ。四百三十馬力。やっぱスポーツカーはこうじゃないとな。


「マジック? ふざけた名前だな。ひょっとしてそいつとんでもねえ間抜けかなんかか?」

「いえ、プロの犯罪者でおまけに凄腕の金庫破りって話です」

「ふうん、凄腕ね」

ハンドルを握るクロカワは舎弟のタケザキから既にそんなような説明を受けていた。凄腕って、一体どれほどのもんなのかね。怪しいもんだ。ファイアーマートの駐車場に乗り入れると、大型トラックが二台、それにセリカとアリストが停まっていた。店先では洒落たジャケットを羽織った長身の男が煙草を吸っていた。

「あいつか」

「はい」

クロカワは男の前にクルマを停めた。

「いい男じゃねえか。ムショ出たばっかには見えねえな」

「ハハ、じゃ、ちょっと行って来ます」

最初、マジックは多少戸惑ったような様子だったが、直ぐにその顔は親愛のこもった笑みに覆われた。タケザキがマジックを連れ、助手席のドアを開けた。

「マジック、こちらクロカワさんだ」

「どうも、初めまして」

「おう、ま、後ろ乗れよ」

「はい、失礼します」

タケザキがシートを前に押し倒すと、マジックは後部座席へ滑り込んだ。


あれ、これ誰だ? BMWの助手席から出て来た太った男は親愛の笑みを浮かべた。

「よう、マジック。久しぶりじゃないか」

「タケザキって、お前、随分太ったな、ええ」

「ハハハ、仕方無いよ。外は誘惑が多いからなあ。お前も気を付けろよ」

「誘惑ってお前、今日出てからまだ缶コーヒー一本だよ」

「いや、悪い悪い、待たせたな。とりあえずクロカワさんに挨拶しろよ」

「お、おう」

しかし、すっかり腹ペコだよ。ここはお世辞言ってご機嫌取って、なんかご馳走して貰いたい局面だな。とりあえず、クルマ褒めれば誰でも嬉しいだろ。へへ。

クロカワが彼の所有するレストラン〈ジュリアス〉へマジックとタケザキを連れて来たのは特にクルマを褒められたからという訳ではなかった。〈ジュリアス〉のフロアは広々としており、奥にはバーカウンターもあり、マティーニやトム・コリンズを飲んだりも出来る小奇麗でカジュアルな店であった。週末には中々予約の取れない程の人気店であったが、ピークタイムも過ぎ閉店時間が近かったので店内は閑散としていた。ウェイトレスはオーナーとその部下、そして見たことのない男を奥まったブース席へと案内し、彼らにメニューを配った。店内は程よいボリュームでオシャレ系UKロックバンドの楽曲が掛かっていたし、少ない他の客とも十分に離れている。ここなら、話を他人に盗み聞きされる心配もあるまい。クロカワはそんな思案を巡らしていたが、さっきムショから出たばかりなマジックのメニューに目を凝らす様子からは食事以外に関する思案といったようなものは何も見出せなかったであろう。「お飲み物はいかがいたしましょう」彼らはそれぞれ飲み物を注文し、曲がコールド・プレイからデュア・リパに変わったあたりで、クロサキの赤ワイン、マジックのドライ・マティーニ、そしてタケザキには生ビールの中ジョッキが給されると、彼らは料理を注文した。

ミディアム・レアの分厚いステーキを頬張り、肉汁たっぷりのジューシーな食感を堪能しつつマティーニを流し込むと立て続けにピザのスライスへと手を伸ばし一気に口へ放り込む。三年振りでやっとまともな食い物と酒にありつけた。掛かっている曲のシャウトとビートに合わせリズミカルに首を動かしご機嫌に食事を進行させながらも、クロカワやタケザキとの会話に適当に調子を合わせつつ、絶妙なタイミングでカクテルを注文し、飲み、料理の処理作業は決して怠ることはなかった。噛み、飲み込み、更に食べると流し込み、人差し指を上げ、ジントニックをオーダーする。こういった一連の動作はあたかも音楽そのものででもあるかのように軽やかに執り行われたので、その様子を目の当たりにしたマジックの同席者らも彼の適当さ丸出しな受け答えで会話をないがしろにされているのにも関わらず、どこか快い気分をこの世知辛い世の中で久々に味わい楽しんでさえいたとしても何も不思議はなかったであろう。うん。ええ。ああ。はいはい。はいはいはいはいはい。なるほど。そうだったんですか。でしょうね。で、あと、またこれと同じのもう一杯ちょうだい。うん。ええ。ああ。やっぱり。そうだと思いました。それにしても、このピザ絶品ですよ全く。ほう。ふうん。この店ってクロカワさんの店だったんですか。なに。ここだけじゃない。他にラウンジも持ってる。そいつはすごい。〈アルケミス〉ってんですか。なるほど。タケザキがそこでバーテンを。へえ。お前もそのうち店くらい出せよ、全く。あ? ハハハハハ。じゃあ、なんですか。やっぱり綺麗な人揃ってんすか。いやあ。行ってみたいですね。ええ。行きましょう。是非ともご一緒させて頂きます。ありがとうございます。

このリトル・パーティーもその酣を過ぎた頃、クロカワの手はおもむろにマルボロのボックスから一本取ると、それを口へと運ぶ。と同時にその動向を感知したタケザキは反射的にライターで煙草に火を点けるべく素早く動き出した。ジッポの炎がマルボロに移るその刹那、クロカワの視線は瞬時になにがしかのシグナルを彼の舎弟へと送る。ジッポの蓋を閉じながら心得ましたとばかりに企む笑みをかすかに返すタケザキは、ライターを懐に収めると、その手をバッグへと伸ばす。この一連の動向は時間にするとほんの一瞬の出来事であった故にマジックはそのことを一切感知することもなく、彼の観察対象であった美人ウェイトレスをどうにかしてこのパーティーの一員として迎え入れられないものであろうか程度のことでその頭は一杯であった。

「これを見てみろ」

タケザキはマジックにタブレット端末を渡した。

「これを見てみろ」マジックはタケザキを真似て言った。「ハイハイと。一体なんですか」

 これは何らかの建物の出入り口らしいな。人影は無い。何か音がする――エンジン音だ。ブラックのダッジ・チャージャー。V8、5・7L、350馬力。二台。それぞれから二人ずつ出て来た。全員自動小銃で武装している。出入り口の扉が開いた。まず二人、サブマシンガンを持っている。それからまた二人、自動小銃で武装。それにそれぞれがスーツケースを持っている。最後に一人。武器は持っていない。様子からして護衛に警護された首領格だ。画面がパンする。そいつは近くに止まっていた赤いスポーツカーの運転席に乗り込んだ。ダッジ・バイパーACR。V10、8・4L、654馬力。二人の護衛はバイパーのリアトランクを開けそこへ二つのスーツケースを入れる。その護衛の一人がバイパーの助手席に乗り込む。他の者もそれぞれのクルマに乗り込み、チャージャーが前後をガードするように順に走り出し、通りへ出て行った――ふうん。

「ふうん……さては、お前さん方。何か――企んでらっしゃいますな」

 タケザキは忍び笑いを浮かべる。

「ロシアン・マフィアのカジノだ」

「こいつらを襲撃しようってのか? このバイパーのリア・ウイングを見てみろ。これで逃げられたら、クロカワさんのM4でも追い付けねえぞ」

 クロカワは笑って応じた。

「それはそうだな。V10のアメリカン・スーパースポーツだ。ただ――チューニング次第で、GT―Rなら打ち負かせるぞ」

「それ以前にだ。こいつらの武装を見てみろ。アメリカ海軍特殊部隊ネイビー・シールズの対テロ組織部隊チーム6でもかなり手こずりそうなレベルだ」

「いかにも」タケザキが応じる。「こいつら多分、元スペツナズかなんかだろうな」

「だろうな」

「なら、無理じゃないですか」

「無理」クロカワは質問した。「マジックを名乗るお前でもか?」

「無理無理無理。絶対無理」

「マジック」タケザキは深刻そうに言った。「お前には失望したぞ」

「勝手に失望しろ。こういう感じの人々と戦闘とかするのは、俺の専門外だ」

「冗談だよ、マジック。心配無用。ちゃんと策は用意してある」

「なあんだ。だったらその策、早速説明してくれ」

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