第7話

「大丈夫でございます。この子は耳が聞こえませんので」

 前を歩くデネブルが彼女の左手を繋ぐ少年の頭を撫でながら、カミルを振り向く。


 滞在6日目。いよいよ、カミルもこの街を明日出発するが、その前に見せておきたいものがあると、デネブルから誘いを受けて、今彼ら3人は町はずれの洞窟を進んでいる。

 ここに来る時のみ、デネブルが道案内をお願いしているという従者を連れてきている。

 まだ、年端もいかない少年だ。事件は解決したが色々と訊きたいことがあるが、殺しの顛末を彼の耳に入れるべきではない。カミルは当たり障りのない──【ヤドリギ】についての雑談を広げていたが、しかし、声の端々に追求したい欲が滲み出ていたのだろう。


 ついに、デネブルからその話題を切り出すきっかけを作ってきた。

 聾者であることを気の毒と思いつつも、それならば聞かれる心配もない、とカミルは一番気になっていたことから彼女へ訪ねた。


「どうしてお前はルーンがドワイト殺しだとわかったのだ」

「匂いでございます」

「匂い?」


 デネブルはルーンが娼婦であることも“匂い”でわかったと言っていた。特定の分野を極めるうちに、身につく嗅覚は存在する。カミル自身も軍隊指揮を行っていた時期には戦場の流れや敵指揮官の考えを。今の立場──憲兵団団長──では、テロの予兆や事件の真相を根拠よりも先行して察知できた経験は多々あるが、これは“勘”と呼ばれる領域だ。鼻孔で感じ取るようなものではない。


 しかし、デネブルのそれは本物の“嗅覚”であろう。そうでなければ、香水を吹いた女の身体から行為後特有の匂いなど察知できるはずがない。


「鼻が人より優れているのです。あなた様が“冒険者”ではないことも初めからわかっておりましたとも」

「それも匂いか」

「ええ。冒険者様特有の生きた魔物や獣の匂いが薄かったものですから。その代わり、鉄と火薬。それと人の血の匂いがはっきりと」


 動きが高速かつ、硬い骨格を持つ魔物や獣相手には銃は不向きだ。その代わり、近づくリスクは伴いつつも、柔らかい部位を狙える剣を冒険者は好む。ゆえに、冒険者の装備は剣や斧などの刃物が主流。逆に、カミルのような人間を相手にする軍人や憲兵は銃の装備が基本となっている。


「……次の潜入からは匂いにも気を配るとしよう」

 正直、カミルはその立場から、もう長い間、敵の血を浴びていない。それでも、まだ人の血の匂いがするというならば、いかなる理由があろうと背負った人殺しの罪をまだまだぬぐい切れていないのだと、カミルの胸は締め付けられる。


「それがよろしいかと。私の才は後天的なもの。この子の目のように、生まれながらに優れている者はより多くの情報を受け止められます。そのような者は多くはいませんでしょうが、重要な局面ほど、立場に関わらず奇跡は舞い降りるものですから」


「今回は俺に奇跡の女神が微笑んだか」

 少し皮肉を放ったつもりだったが、デネブルは意に介さず頷く。


「私がドワイト殿の部屋に入ったとき。やはり濃かったのは血の匂い。それと、柑橘の匂いでございます」

「そう言えば、あの日の別れ際にドワイトは柑橘が好きかどうかと。そんなことを問うてきたな」

「柑橘の香水は、ルーンが好んで使用しておりましたから」


「それだけか?」

「それだけでございます」

 これに、カミルはただ黙るしかできなかった。カミルだけではない。多くの憲兵が年月を費やして探したドワイトとラングの居場所が女一人の“匂い”で見つかってしまったのだ。捜査によってこの街にいる可能性が高いと追ってきたとはいえ、最後がこれでは先人たちになんと報告しようか。


「単身でこの街にやって来られたのは? あなた様には多くの部下がおりますでしょう」

「理由は3つだ。1つはあいつらの行動に確証は持てなかったこと。2つ目は多くの余所者の憲兵をこの街に入れてしまえば、あいつらの悪人としての“嗅覚”を刺激してしまいかねないと危惧した。追い詰めた段階でこの街の衛兵たちに声をかけて、最後の逮捕には協力してもらうつもりで、実際、そのように動いた」


 そして、3つ目。


「そして、3つ目。これが最大の理由でもあるのだが。これは個人的な調査だった。俺の仕事に違法奴隷商の捜査は割り振られていない。ゆえに、この街には休暇を利用してやってきている」


「それはそれは。憲兵団団長、それも上級大将ともあろうお方が7日間もお休みを取られるのはなかなかに大変なことでしたでしょう」

「皇帝陛下には頭を下げた。帝都へ帰ったら改めて御礼を申し上げねばならんな」

 若き皇帝とは、皇帝がその地位に収まる前からの付き合いだ。恐れ多くも、カミルは革命成功の一助を担ったと自負しているが、その過程で浴びた血のせいでデネブルには正体が気づかれたのだから、因果はわからぬところで作用するものだ。


 一通り話終えるころには、カミル達は洞窟の深いところまで進んでいた。下っているような気配はないが、2本の松明では足元を照らすのがやっとだ。

 従者はほとんど喋らぬが、握る手から伝えているのだろう。デネブルが障害物を警告してくれるおかげで、なんとか順調に進めていた。

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