第6話

 カミルがラングの部屋に突入してからは実に鮮やかな逮捕劇が繰り広げられた。派手な戦闘など行う必要もなく、抵抗を見せたラングからすぐさま、ルーンを遠ざけ、彼女と入れ替わりで突入した衛兵たちがラングを取り押さえたのだ。衛兵には2日目の降伏宣言時に協力を取り付けていた。


 犯罪者としての手腕は最高クラスだが、しょせんはただの肥えた男。普段から鍛えられた衛兵たちに取り囲まれれば、大人しくせざるを得なかった。


 後の処理は街の衛兵たち任せて、カミルたちはルーンを連れて、【ヤドリギ】へ戻った。

 すでに閉店している店にいるのはカミルとルーン、それにデネブルの3人だけだ。


「お前の本当の姿はそうなのだな」

「はい……」


 カミルの目の前にいるのは、しかし彼の知る、赤髪のルーンではなかった。

 彼女の髪色は藤色。光の当たり具合で月と同じ輝きを放っている。長い髪を演出するカツラは隣のテーブルに置かれている。

 顔の良さに優劣は無いが、接客時に見せていた少女のようなあどけなさは無く、整った女性としての美貌を持っていた。

 と言っても、落ち込んでか彼女の表情は鈍く陰っているせいなのかもしれないが。


「ドワイト殺しもお前か」

 ルーンが頷く。


 ドワイトに恨みを持つ者は少なくない。身寄りのない孤児を中心に攫うといっても、兄弟姉妹を取りこぼすことはケースとして珍しいが皆無とは言えない。しょせん、残された子どもが大人に助けを求めるのは困難だ。そもそも、そんなことができれば、孤児などやっていないだろう。どこかの家庭に拾われて、それなりに平穏な暮らしを手に入れている。


 だから、彼女がドワイトを殺害した事実に驚きは少ない。ただ、あのどこか抜けた──妹の面影を重ねてしまう少女が、今まで憲兵・衛兵が手をこまねいていたドワイトとラングを追い詰め、ついに片方には復讐を達成させた、その周到さは意外だと言わざるを得ない。


「姉は、攫われたんです。これは後から知ったことですけど」

 ルーンが天井を仰ぎ、語り始める。


「私たちは戦争孤児でした。父は出兵して、母は病気で死んで。姉と二人で暮らしていました。まだ、姉は12のころです。私も10になったばかりだったかと思います」

 瑠璃の瞳に灯の揺れが映り、懐旧の色を湛える。決して楽な生活ではなかったはずだ。彼女の背格好から、おおよそ5,6年前の話だろう。そのころは、戦争の真っ最中。彼女たちのような戦争孤児など10ダースはくだらない。それだけに、周囲の大人も行政も構っている暇はなかった。孤児に対して政治が本格的に目と手を向けたのはここ2年。細かな諍いを残しつつも、表向きは終戦を迎えて、人々が平和に慣れてきてからだ。そのころには、ルーンに限らずどんな形であれ、戦争中に孤児となった子どもは独り立ちを果たしている。


「孤児といっても、私たちは他の子どもと比べてまだマシな方でした。姉は見た目が良くて、気立ても良かった。少し、お腹を空かせた顔で空の缶詰を持って道端に立てば、お金を恵んでくれる人が少なくなかったです」


「そうであれば、引き取ろうとする大人もいたのでは?」

 デネブルが問う。 

 だが、まさにそれはドワイトたちの手口の1つだ。カミルは無神経だろ、と咎めようとしたが、ルーンは気にすることなく首を横に振ったので、コップの水と一緒に胃へ収める。


「デネブルさんの言う通り、姉を引き取ろうとする方はたくさんいらっしゃいました。だけど、姉が絶対に妹──私も一緒ではないとダメだと言うと、それはできないと離れていくのです」


 彼女たちがどこで物乞いをしていたかわからぬが、決して富裕層が集まるような地域ではなかったはずだ。


「優しい姉でした。でも、やっぱり、私は重荷だったのでしょうね。ドワイトたちが姉を引き連れていくとき。あいつらが姉に目を付ける前に、姉は私に隠れるように言いました」

 これはドワイトたち手口だ。カミル自身もよく知っている。


「物陰から見ていても、あいつらが下卑たクズだなんて、気づきませんでした。本当に優しそうなおじさんって感じで。だから、姉があいつらに手を引かれて連れていかれたときは。本気で姉を恨みましたし、悲しかったです。ああ、やっぱり私は邪魔だったんだ。私なんかいないほうが幸せになれるとわかっていて、妹の私を遠ざけたんだって」


 それからは物乞いを続けつつ、かつての姉と同じ年ごろになると客を取るようになった。

 そして、


「この街に来たのは気まぐれでした。父と母に会いたかったのも事実です。姉は私を見捨てた。私はそれでも一人で生きてきた。褒めてほしい気持ちがあったのでしょうね。そしたら、今までのような仕事はやめて、誰も知らない土地で日の下で生きようって」

 しかし、彼女は日の出ぬこの街で、日の上らぬ時間の仕事をしている。


「でも、初めての雨上がり。あなたの前に現れたのはお姉さまだった」

「はい。言ってやりましたよ、幸せな暮らしができたんだよね。おいしいご飯も食べて、学校も行けて。私を見捨ててよかったでしょって」


「お姉さまはなんと?」

「なにも。素敵なドレスを着て、綺麗なお化粧をした姿で立っているだけでした。私が言いたいこと言い切っても、姉は何も言いませんでした」

 ルーンが自嘲気味に笑う。まるで恨んでいるような口ぶりだが、本心ではないはずだ。今さら、そんなことは本人の口から聞き出さなくとも、カミルたちは理解している。


 ルーン自身だけが気づいていないのかもしれない。時として、持ち主のみが本心を見逃す。それでは、あまりにも彼女の姉が浮かばれないような気がして、カミルが口を開く。


「最後まで、君を守ろうとしたのだろう」

 自分語りだ。氷を浮かべただけの琥珀色の蒸留酒を一口含む。


「どうしてわかるんですか? 姉のこと、お兄さんは何も知らないですよね?」

「わかるんだよ。俺も、できればそうしたろうさ」

 かつてのことだ。ルーンたちが孤児になる前。恐らく、まだ彼女たちが赤ん坊のころで、お開きにするタイミングを失った飲み会のような惰性の戦争が続いていた時期。

 まだ中年という域であったドワイトたちは、カミルたちの前にも現れた。


「だが、俺は君のお姉さんのように頭が良くなかった」

 あれから何年経っただろうか。1人になったカミルは年齢を誤魔化して兵役に参加。幸運と武運、さらに信頼する豊かな金髪の主君にも見出され、初めての出兵から10年。今や若き上級大将に上り詰めた。


 もう何年も自らの手で銃の引き金は引いていない。直接、人を殺めてもいない。戦争が終わって、憲兵団の職に就いてから、その機会は今後減る一方だろう。


 だが、あの日、悪党の肩へ突き刺した錆びたナイフの感触はいつまで経っても手のひらに残っている。妹を取り返せず、動けなくなるまでボコボコに蹴られた痛みと無力感も一緒に。


 また一口、今度は水を飲む。


「いや、いいんだ。とにかく君の話だ。君だって、お姉さんが自分を助けてくれたのだと。知ったのだろう?」


「はい。偶然でしたけど。たまたま、ここのお客さんで姉の……“ルア”を知っている方がいらっしゃって。それからはできるだけ情報を得るために、再び娼婦に。いずれ、姉を連れて行った男たちがこの街に来たら、変態共です、必ず女を買うでしょうし。その時に指名されるよう、姉の名前とできるだけ容姿を似せてお客を取りました」


「そして、見事に引っかかったと」


「人は衛兵や憲兵さんたちみたいな強そうな男の人には案外喋らないんですね。ちょっと、楽しくお喋りすれば、色々なことを教えてくれましたよ。あいつらがルアを手放さなかったこと。最後は惨たらしく殺したこと。周りの変態に自慢していたみたいです」


 わずかに、彼女の語気に自信が滲む。男相手に仕事をしている女特有の誇りだ。日の下で生きたいと願った彼女には不要な誇りだが、完全に捨てさせるには難しいかもしれない。彼女の全身は既に取り返しのつかないところまで夜の陰に染まっている。


「この街も都合がよかったか」

「はい。雨上がりの日には死者が現れますから。1人目。ドワイトに呼ばれた日も、奇跡的に雨上がりでしたが、あいつは殺される直前まで私を本物の“ルア”であると錯覚していましたよ」


 自分で呼び出した娼婦もルアなんて名前であることも忘れて、他人の空似という可能性もすぐ捨てたのだという。用心深い男がすぐに警戒心を解いたとなると、よっぽど似ていたのだろう。


「……。だいたい、わかった。次は君の今後についてだが」

「それは、私も気になるところでございます。うちの大事な従業員ですので」

「デネブルには悪いが、彼女の身柄はこちらで引き取らせてもらう」

「ほう。ルーンを身請けされると。彼女は高いですよ? 都市予算ほどは覚悟しておくべきかと」

 まあ、そうであろう。年齢もまだ若いし、彼女ほどであれば不要な買いたたきを防ぐためにも金額は吊り上げられているはずだ。


「なんでデネブルさんも知ってるんですか? もしかして娼婦だってことも……?」

「よく噂を耳にしていましたので。それにあなた、お客を取ったあと、身を清めもせずにうちで働いていましたでしょう?」

「へ?」


「匂いでわかりますとも。特有の御香と、汗と体液の臭い。香水で誤魔化していたつもりでしょうが、わかる者にはわかります」

「あー……ははは……」

 ルーンが気まずそうに頭をかく。

 これは気の毒だ。事情はどうあれ、行為後を悟られて胸を張れる人間も少ないだろう。この店では娼婦であることを隠していたとなると、なおさらに。


「金の心配はしていない。──いや、買う・買わないの話ではない。理由や相手がどうであれ、ルーンは人を殺した。この事実について、しっかりと罪を定めなければならない」


「つまり、逮捕し裁判にかけると」

「そうだ。罪が決定するまで拘留しなければならない。これは、どんな身分──例え皇帝陛下だろうと揺るがない強制措置である」

 これは、カミルが忠誠を誓う若き皇帝が定めた秩序だ。例外を認めれば、その皇帝へ背くこととなる。


「それでも、金が必要だと言うならば」

 カミルはポケットから硬貨を取り出す。


「400ミル。彼女に渡した800ミルのうち、400はデネブルに渡した。そのうちのもう半分。これで全てだ。今はとにかく、これで一時金とさせていただこう」


 カミルが400ミルを机に置くと、デネブルがそれを細指で摘まみ、掌に乗せる。

「私に払われても仕方がないように存じますが……。しかし、良いでしょう。800ミル。一晩の酒代としても心許ない金額。されど、我が店の罪人を突き出すには十分すぎるほどの報酬。まだまだ学ぶべきの多い従業員をどうぞよろしくお願いいたします」


 デネブルが口元に穏やかな笑みを浮かべて、カミルもつられる。一口、今度はまた酒の熱を喉に通せば、失った欠片を取り戻せたような満足感が腹に落ちた。

 ルーンだけが、よくわからぬという顔で大人2人を見つめるのだった。

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